10 生活委員長レオナルドくん
その日から数日の間、夕飯の後に二人で納品準備をするのが習慣になった。
食後、私がテーブルに詰め替え用のボトルや計量カップを並べると、レオナルドは何も言わずに手伝いに入ってくれる。ボトルを持っていてもらうとか、栓を閉めるとか、その程度。それでも私は「助かる〜」といつも通り淡々と準備作業を進めていた。
「ところで、この液体は何の薬剤なんだ?」
「知らんでやっとったんかい。洗髪剤だよ」
不意に真面目な顔でそう尋ねられ、思わず私は手を止めた。
説明すると、レオナルドは驚いたように目を瞬かせ、それから感心したように一つ頷く。
「以前、貴族らの間で流行っていると聞いたことがあるな。……なるほど、"ここ"の製品だったか」
どうやらレオナルドは自分の身近にある製品が私の商売品だと最近まで気づいていなかったらしい。
──というか、自分の髪に使ってるくせに今さら気づくんかい。
最近のレオナルドは、完全にうちのシャンプーの虜だった。メントール入りの男性用シャンプーがお気に入りで、お風呂を妙に楽しみにしている節さえある。あのスースーする爽快感にすっかりハマっているのは明らかだった。
「……あれは売っていないのか。俺が使っている……その、メントール? あれを騎士団に卸せば、きっと人気になるぞ」
「売ってないねぇ」
私は肩をすくめた。
「あれねー、原材料が誤魔化し効かないからなぁ。この世界、ああいうスースーするやつ、ある?」
「そうだな……確かにあの、冷気の類ではないが冷たい、という感覚を再現するのは一筋縄では行かないだろうな。一般的なミントなどの清涼感ともまた違うし……」
「魔獣素材とかは?」
「やはり氷属性のものしか思いつかない。研究すればやりようはあるのかもしれないが」
レオナルドは真剣に考え込み、私は苦笑する。
「でもね、一応、融通とかはしないけど、買ったものを研究するのは自由にしてあるんだよね。似たような商品もちょこちょこ出て来始めてるから、自然とそういうのも作られるかも」
「それは……いいのか? 君の飯の種なんだろう」
怪訝そうに問いかけてくる彼に、私は少しだけ肩をすくめた。
「私一人で国民全員分のシャンプーを供給する訳にはいかないし、日本のシャンプーが売れなくなったら別のもの出せばいいからね」
そう答えると、レオナルドは少し難しい顔をしながらも納得したように黙った。
私は淡々とリンスを詰め替えながら、彼に計量カップを手渡す。今日は高級志向の貴族向けリンスだ。香りがよくて、髪がしっとり滑らかになるタイプ。テーブルにはそのガラス瓶が三十本ほど並んでいる。
「確かに。今までは君一人でこの量を用意していたのか」
レオナルドはテーブルに並んだガラス瓶を一瞥した。
以前は一人だったのでもっと小まめに準備していたが、今はこうして彼が手伝ってくれるので一気に詰めている。
彼は黙々とキャップを閉めて並べていく。手際がいい。きっちり均等に閉めて、迷いなく瓶を揃えていく姿には、無駄がなく几帳面さすら感じられた。
私はそこまでの丁寧さを求めていたわけではないけれど、正直、助かっている。レオナルドの存在のおかげで、計量する手間、ボトルを押さえる手間、キャップを閉めて並べる手間……ひとつひとつは小さいことだけれど、確かに、私の負担は減っていた。
「この量を一人で持っていくのか? 馬車はあるのか?……いや、アイテムボックスか。だが、この規模の納品は門で荷物検査があるのでは?」
「それね〜。見て」
じゃじゃん、とアイテムボックスから取り出したるは、三段に積まれた木箱を革のベルトで固定した、アルミ製のハンドキャリーカート。
「なお、中身は空です」
組み上がった軽いキャリーカートを持ち上げて見せた後、もうひと組、木箱とベルト、キャリーカートをバラバラの状態で取り出す。
「で、こっちに商品を詰めたセットを作って、いい感じのタイミングで空の方と入れ替えて楽をします」
「なるほど」
因みに、キャリーカートの素材について門番やセルディに突っ込まれた時は「亡き親にもらいました。魔物素材らしいです。詳しくは知りません」で通した。
この世界で作られたものが使えればよかったのだが、アイテムボックスで収納できるのが現代の物のみだったのだ。ゴミはこっちの世界産でも処理できるくせに。
しかし代わりにというのは何だが、このアイテムボックス、"フォルダ分け機能"と"一括収納"ができる。
アイテムボックスは、通常なら一種ずつしか収納・取り出しができない。なので『緩衝材で包んだガラス瓶を詰めた木箱』を収納・取り出しをすると、ガラス瓶、木箱、緩衝材と別々になって出てきてしまうのだ。
それを、専用フォルダを作り、そこにベルトやカートもまとめてぶち込み、フォルダに対する一括機能を使えば、ちゃんと『梱包したガラス瓶を詰めた木箱を積んだキャリーカート』として出し入れすることができるのである。
ということをレオナルドに説明すると、彼はよく分からないなりに理解したらしく、納得したように頷いた。
「つまり、その一括機能を使えば──この家を丸ごと仕舞い込み、移動ができる、ということか」
「そゆこと」
私は軽く笑って返した。ユニットハウスごと家をアイテムボックスに仕舞い込むことは既に何度か試しているし、"森からの即時撤退”は可能だと確認済みだった。
レオナルドは少しだけ目を細め、再度、家の外壁をちらりと見やって、重々しく頷く。
防御線といいアイテムボックスといい、彼にとっては驚きの連続らしい。けれど、真面目な性格だからか、それを驚くより戦術的に捉えて理解しようとする傾向がある。
「要するに、君は……逃げる準備は常に整えているんだな」
「うん。戦うより逃げる方が楽だからね」
「それならば……万が一、危険が迫った場合でも問題はないな」
レオナルドは真剣な表情のまま、素直に頷いた。納品に行くという話をしてからずっと気を揉んでいたらしいが、防衛策としては充分だとようやく判断したのだろう。
レオナルドはそれ以上何も言わず、再びガラス瓶の栓を閉める作業に戻っていった。
納品準備が終わった頃、私はソファに腰を下ろし、ひと息ついた。
レオナルドはその向かいに座って、じっとこちらを見ている。私は彼が淹れた麦茶を飲みながら訊ねた。
「どしたん?」
「……それほど手軽に"引っ越し"ができるのならば、街中に住んでもいいのではないか。仕入れに関しては、町を転々とすればある程度誤魔化せるだろう」
「あーねぇ……」
ずず、と麦茶を啜って、曖昧な答えを返す。
「人がいる場所に住む方が安全で、便利で、商売も楽なはずだ」
「そうかもね。でも、こういう生活はどうしても人目が気になるからさぁ。かといってこの文明による快適さを手放す気にはなれないし。怠惰サイコー」
実際、人の目を気にせず、好きな時に寝て、好きな物を食べて、好きな物を作って売る。この森の生活は私にとって最高に心地良かった。
それを聞いたレオナルドは静かに頷いた。勤勉な彼は私の怠惰さと真逆の存在だが、彼なりに理解はしているらしい。
「……わかった。君は……そういう生き方のために、ここで暮らしているのか」
「うん。まあ、そんなとこ」
「ならば、俺は……君のその生活を守ることが、今の役目だな」
「いやそこまで言わなくていいよ?」
唐突な使命感発言に思わず苦笑してしまう。ひとのだらけきった引きこもり生活を至上の命題のように言うのはやめてほしい。
でも、レオナルドの顔は至って本気だった。多分この人は、やることがないと落ち着かないタイプなのだろう。怪我も回復して早々手伝うことを探していたし、毎日細々と動いているし。
今は事情があってこの引きこもり生活を共にしているが、本来なら騎士団か何かで毎日外に出て働いていた筈だ。何か役目を与えるのも、ストレス予防には必要なのかもしれない。
「じゃあさ、せっかくだからもっと楽な生活にして」
「楽……?」
「家事とか、雑用とか、勝手にやってくれるのは本当に助かってるよ。もっとやってくれていいよ」
「…………」
冗談めかして言った台詞にレオナルドはわずかに目を細め、ふっと笑みを溢した。
「わかった。できる範囲で」
「よろしく〜」
私はのんびりそう言って、ソファに沈み込んだ。
──彼がその言葉を本気で受け取っているとは露知らず。
@ @ @ @ @
その夜。
俺は一人、小屋の中で小さく呟いていた。
「……“できる範囲で”と言ったが、俺に何ができる?」
日本語の辞書を捲りながら、俺は考え込んでいた。
(あかりの役に立つこと……)
昼間に料理や掃除はできる範囲で行っている。だが、それ以外に何があるのか。
ふと手元の日本語の教本を見下ろして、思った。
(……もっと、あかりの世界のことを知るべきかもしれない)
日本語を学ぶという行為そのものが、俺にとってはあかりの世界に歩み寄る行為だった。
その先にあるものは、まだわからない。けれど──何も知らずに守るよりは、“知って”守る方が良い。
朝、鳥のさえずりと共に目を覚ました。
一通りの鍛錬と防衛設備の確認を行った後、静かに母屋へ入る。
奥からは眠りの深いあかりの寝息。衝立の中をちらりと確認すると、掛け布団がずれていたのでかけ直しておく。
最初にするのは、台所の確認。冷蔵庫の中を見て、朝食の献立を考える。
「……この生活にも、ずいぶん慣れたものだな」
あかりが一人で暮らしていた頃は、食料品は殆どアイテムボックスに仕舞い込んでいたらしい。が、俺と生活をするようになってからは、食品の管理は俺がするようになり、冷蔵庫の中も食材が並ぶようになった。
冷凍ご飯がある。卵もある。ウィンナーは……賞味期限ぎりぎりか。
鍋に湯を沸かして味噌汁を作る頃、ようやく奥から寝ぼけた声がした。
「ん〜……レオナルドくん、朝ぁ……?」
「もう十時だ。起きろ。飯が冷めるぞ」
「んぇ〜……起こしてぇ……」
「まったく……」
そう言いつつベッドに歩み寄り、彼女の腕を引っ張って起き上がらせる。
顔を洗ってきたあかりが座るテーブルに、小さく盛ったご飯と目玉焼き、ウィンナー、味噌汁を並べた。彼女は嬉しそうに「ひゅ〜。レオナルドくん好き〜」と言って笑うが、これはあまり意味がないことを、もう学んだ。
朝食を終えたあかりは、食後の紅茶を飲みながらタブレットをぽちぽちしている。
その間に俺は食器を洗い、洗濯物をかごに集める。
「今日は晴れているな。外干しができる」
「じゃあ私は……日なたでごろごろする係」
「寝てばかりだな」
「生きてるから寝るんだよ〜……」
その言葉の意味はよく分からないが、あかりが元気でいることは確かだった。
昼。あかりが冷蔵庫の前で悩んでいた。
「お昼何がいいかなぁ……ラーメンブームは過ぎ去った……」
「冷凍した挽肉がある。ハンバーグにでもするか」
「えっ、やってくれるの? やった〜」
背を向けてソファに沈み込むあかりを横目に、調理にかかる。
辞書片手に日本語が読めるようになったので、説明書やレシピを読み漁り、家電の手入れの仕方や料理のレパートリーも増えた。日本の調味料の味も、既に一通り把握している。
出来上がった皿を出してやると、あかりは「うまっ! 料理男子最高!」と笑って頬張った。その姿を見るだけで、なんだか疲れが抜けるような気がする。
食洗機の中の食器は元通りに棚へ戻され、調味料の補充も完璧。
ティッシュなどの消耗品の残量もチェックし、足りない分はあかりに追加購入を促す。
「……私より管理してない?」
「当然だ。しかしこれは管理というより維持だからな。そう難しくない」
「いやぁ、ますます私のやることが無くなっていくな……」
「なら、休んでくれ」
「もしやレオナルドくん、もう私に家事をさせるつもりがない??」
夜、あかりが動画を見ながら笑っている横で、俺は漢字辞典を読みながらふと思う。
この日々が、もし明日で終わったら。
自分はどれだけ、喪失を感じるのだろうかと。
深夜。
あかりが寝静まった頃、家の周囲を軽く一周し、設備の点検をする。
「異常なし。……何よりだ」
母屋に戻ってくると、寝息が聞こえる。半分だけ布団をかぶっているあかりを、そっと直してやった。
その無防備な寝顔を見て、彼女の“日常”を守ることが今の自分の役割なのだと、自然に思えた。




