246 エイムとお説教
「今日は、ちゃんと靴をそろえないと、ってお母さんに言われた」
私は、スライムさんと話をしていたときふと、そんなことを思い出した。
「えいむさんは、そろえないんですか?」
「そろえてるけど、面倒で、手でそろえないときもあるよ。うしろを向いて靴をぬいで、なんとなくそろえるときとか」
「こうりつか、ですね!」
「でも見られてて」
「うかつでしたね」
「うん。それで、靴の乱れは、心の乱れとか言われるんだよ、ってお説教された」
「くつのみだれが、こころのみだれ?」
「ちゃんとしてないところがあると、他のところも、どんどん、ちゃんとしなくなるよ、っていう話なんじゃない?」
「なるほど!」
スライムさんは納得したようだった。
「それが、おせっきょうですか」
「すぐ終わったけど」
「おせっきょうって、なんですか?」
スライムさんが言った。
「え?」
「おせっきょうって、なんですか?」
「お説教は……。注意とか……」
「ちゅういのことですか?」
「お説教。注意。うーん」
お説教とは?
「ええと……。ちゃんとした話かなあ」
「ちゃんとした?」
「こうすると、いい人になれるとか。こうすると、まちがった人にならないとか。そういうのを守っていったら、きちんとしそうでしょ?」
「しそうです!」
「でも、面倒くさいなあ、とも、思いそうでしょ?」
「おもいそうです!!」
スライムさんが、くるんと回った。
「そういうのを、じっくり言われるのがお説教かな」
「おせっきょうは、ながいんですか?」
「長い? うーん。たしかに、短くはないかもしれない」
「みじかかったら、ちゅういですか?」
「そうだね。靴をそろえなさい、だけだったら、注意かもしれない」
「とすると、おせっきょうと、ちゅういのちがいは、ながさ……?」
スライムさんが核心にせまった。
私は、うん、と言いかけて、考える。
「お説教を、短くすると、変かもしれない」
「へんですか?」
「だって、だいたいのお説教は……。まとめると、ちゃんとしたらちゃんとした人になれるよ! っていうことだから」
「みじかいです!」
「でも?」
「よくわからないです!」
「そうだよね」
短くまとめると、大ざっぱになる。
たぶん、細かく、具体的に、しっかりと、導くような教え方をする。
そういうことが、お説教なんじゃないだろうか。
「だから、長いと、聞いててつかれるし、同じようなことを何度も言ってたりするから、嫌なのかなあ」
「じゃあ、みじかければいいんですね!」
「うん」
「やりましたね!」
スライムさんが、ぴょーん、ととぼうとして。
「でも、靴! って言われるのは嫌かなあ」
「くつ、ですか?」
スライムさんが、ぴた、と止まった。
「靴がそろってないとき、お母さんがちょっといらいらしてると、靴! とだけ言うの」
「くつ。みじかいです!」
「それは嫌」
「みじかすぎて、わかりません!」
「でもわかるよ」
「どうしてですか? ずのうめいせきだからですか?」
「そうじゃなくて……」
言われたことがあると、靴がそろってないことを言っているんだろうし、ちょっといらいらいしてるっていうこともわかってしまう。
それに、靴! とだけ言われると。
一瞬、なんの話だろう? と思う。それから、ああ、靴がそろっていないんだ、と思う。またあの話だ、とも思う。
そういうことを、全部、私が注意されていることを、自分でいちいち考えさせられていることが、嫌なのかもしれない。
言われてるんじゃなくて、全部私が考えさせられている。
これは……?
私が、自分で、自分に、説教させられている……?
「短いほうが、嫌かもしれない」
私は新たな事実に気づいた。
「長いほうが、聞くだけでいいのに。短いのは私がやらないといけない。ううむ……?」
私はしみじみと、かみしめた。
「えいむさん?」
「説教は、表面的に長いか、聞いている方が長くしなければならないか、の2つなんだ。そして、短い説教こそが、最も、悪……!」
「あく?」
「短いお説教は、悪……!」
「あく!」
「悪、は言いすぎだったかもしれない」
「れいせいに、なれましたね」
「お説教は……」
「おせっきょうは?」
「面倒!」
「めんどう!」
お説教は、面倒!




