5 ☆
♦︎ロキルside♦︎
目を開けると、そこは辺り一面満点の濃霧で覆われた、白く静かな場所だった。おまけに平衡感覚がないようで、ロキルはそのどこか現実味のない感覚に、ここが夢の中の世界なのだとすぐに気がついた。
しばらく動かずその場で佇んでいると、やがて霧の奥から人の形をした黒い影がぼんやりと浮かび上がった。そして影は段々大きくなり、次第にその姿がはっきりと露わになる。
ロキルという人物というのは、これまでに魂を37回の輪廻転生を繰り返してきた転生魔術師の器である。
——その、今まで転生をして来た器である内の一人の男が、ロキルの目の前に立っていた。
『久しぶりだね。もう一人の《僕》』
「ああ、そうだな。もう一人の《俺》。……で、なんでルークスがここに?オプスはどうしたんだ。てっきりヤツが来るものだと思ってたんだけど?」
王族らしく煌びやかな礼服を身に纏った金髪の優男——ルークスは、前髪を搔き上げロキルの疑問に肩を竦めて答えた。
『彼は今頃眠っているよ。今は僕が起きている時間だからね。ちょうど《僕》が眠っているところへ僕が会いに来たっていうだけのことさ』
「なるほど、そういうものなのか。……それで、ルークスがわざわざなんの為に会いに?お前のことだから重要な話があるのは確かなはずだけど」
『あはは。特に理由なんてないよ。まあ、敢えて言えば《僕》とお喋りしたかったからかな。なにせ僕たちは、何千年かの間ずっと同じ相手の顔しか見ていないからね。たまにはこうして話しをしたことがない相手と談笑したいものだよ』
「前の俺が死んでから、そんなに時が流れていたのか。それはまた随分と待たせたな」
『あはっ。うん、だからね。短い時間だけどお話しようよ』
この瞬間をとても心待ちにしていたかのように、ルークスは鼻歌を歌う。そして、いつの間にか目の前に現れていた椅子に腰掛けた。彼はテーブルの上に置いてあるティーセットに手を伸ばす。
『さ、早く座りなよ。僕の淹れた紅茶はおいしいんだよ?』
「いや、遠慮させてもらおう。夢の中でなにかを口にするのはご法度だからな」
『おいおいおい。僕は《僕》の味方だよ?オプスと違って、僕は《僕》の魂を無理やり乗っ取るつもりはないんだから。むしろ、僕はオプスに敵対している身なんだよ』
「その割には俺のことを《僕》と呼ぶじゃないか。俺はローウルフのロキルでルークスじゃない」
『おっと……これは失敬。えーっと……ロキル、だね?君は僕と同じで、珍しく器の人格に強く影響を受けているみたいだね。オプス以外に君のような人物に会えて嬉しいよ。小躍りしちゃいそうだ』
そう言って満面の笑みを浮かべるルークス。彼は再度紅茶を勧めようとするが、ロキルは胡散臭い目つきで頑なに断った。
ルークスは紅茶の香りを楽しんでからカップに口を付ける。そして身振り手振りを交えた大仰な態度で感動を物語った。
『ぅん〜……。鼻につかないフルーツの甘い香り。そして濃厚な香りだというのに、甘さを控えたほろ苦いこの旨味……。嗚呼、幾年も掛けて完成させたこの秘茶を飲まないだなんて、なんともったいないことだろうか……!』
「いや、そういうのは良いから。それより早く本題に入ってくれ」
『君は面白くないねえ。話をするときは、紅茶を飲みながらするのが一番絵になるというのに……』
ルークスは『君にはまだ美意識が足りないようだね』と肩を落としてから、その場から一向に微動だにしないロキルをスッと見据えた。
『ちょっとね、君に忠告しておいてあげようと思って今回は呼び出したんだ。どうだい?忠告するって言われると、聞く耳を待たざるを得ないでしょ』
「良いからさっさと要件を言ってくれ。こっちはあまりお前の顔を見ていたくないんでね」
『つれない人だねぇ……。ん、じゃあ早速本題に入るけど、今の君は少し危険な状態にあるんだよね』
「それは俺にとってか、それともお前にとってか」
『……ま、一応両方といったところかな?』
そう答えたルークスに対し、ロキルは疑いの目を向けるものの、首肯して続きを促した。
『それで一応聞いておくけど、オプスから能力をもらったとき、彼になんて言われたか覚えているかい?』
「だいたいのことは聞き取れたけど、あの時はそんなのに構ってられなかったわからな……。確か「賭けには勝ったと」か言ってたと思う」
『どうやらちゃんと聞いていたみたいだね。なら話は早い。彼が言っていた掛けについてだけど——』
「それについては大体の予想がついている。恐らくお前たちは、俺を賭けの商品にして、何らかの取引をしていたんじゃないのか?」
『……本当に話が早いね。まぁ、簡単に言えばそういうことになるかな』
どうやらロキルの予測は的を射ていたらしく、ルークスは満足そうに足を組んだ。
「で、勝手に掛けの商品にされて、いま直ぐにでも殴ってやりたいんだけど……。一体なにを賭けたんだ?」
『うん、それはね。君がオプスに助けを求めるか、それとも僕に助けを求めるかを賭けていたんだ』
「そうした結果、俺はオプスを選んだと……。で、負けたお前はどうなる」
『僕は特になにもないよ。ただ、君が彼の方へ取り込まれ掛けているってだけさ』
しれっとそんなことを言うルークスに向かって、ロキルは目を細めた。
「なんだ、やっぱりお前も俺を取り込もうとしてたんじゃないか」
『おっと、それは聞き捨てならないね。僕とオプスとでは全く違うよ。僕は君をこちら側に引き寄せるだけるだけのつもりだけど。彼は君の魂を完全に取り込んで、君に成り代わろうとしているんだ』
少し怒気をはらんだ声音で嫌悪感を露わにするルークス。だが、彼はそれでも優雅な仕草で紅茶をカップに注ぎ入れる。
彼の抑えきれない怒りを肌で感じたロキルは、彼との圧倒的な力の差を垣間見たような気がして、背筋をゾクリと震わせた。
『この際問題なのは、僕がなにを賭けたのかじゃない。君の魂が不安定に揺れている現状が問題なんだよ』
「それで、俺にどうしろと?」
『どうもしないさ。オプスには気をつけておいた方が良い。ただそれが言いたかっただけさ』
「そんなことお前に言われるまでもない。大きなお世話だ」
『そうかい。まあ今はそれで良いかな。……じゃあ、あまり時間もないようだし、今回はそろそろ失礼するよ』
「出来ればもう来ないでほしいんだけどな」
『あはっ。そうかい?でも多分、そのうち……から……ると……けどね……』
辺りの霧と共に、徐々に姿が霞んでいくルークス。断片的に伝わってくる彼の言葉にロキルが舌打ちを打ったところで、彼は急速に目を覚ますのだった——。




