29. イクルと師匠
視点:イクル
ハル・スズハナとは俺が7歳のときに出会った。
自分のことを初代勇者だと言うハルは、正直にうさんくさかった。
呪奴隷村に生まれ、呪奴隷として生活している俺に、両親はすでにいなかった。
そんなとき、出会ったのが師匠のハルだ。
◇ ◇ ◇
「ほら、イクルはそこで腰が引けるんだよ」
「むぅ……」
小さな手で必死に棍を振る。姿勢を正すように、師匠の手が背中へと触れ矯正される。
圧倒的な力を持つ師匠は、とてもじゃないけれど幼い自分では敵わない。
小さな家の庭で、僕は毎日強くなるために鍛錬をする。
暮らしている呪奴隷村は小規模だけれど、近くには森があり魔物との実践を訓練してもらうこともでき、そこまで悪い環境ではない。
「師匠はなんでそんなに強いのさ。ずるい」
「イクルだって、たくさん鍛錬すれば強くなるさ。今、10歳だろう? 十分強いよ」
「……むぅ」
生きるために、強くなる。
師匠は僕に、戦う方法や生活する方法を教えてくれる。
「じゃぁ、素振り後100回。その後は、ご飯にしようか」
「はいっ!」
素直に返事をして声をあげれば、師匠は微笑み「頑張れ」と応援をしてくれる。
厳しく修行をつけれくれるけれど、僕にとって師匠はとても優しい存在だった。
「イクルは素直だなぁ。普通、10歳だったら遊びたい盛りだろうにね」
「……別に。僕は呪奴隷だし、遊んでたら生きていけない」
師匠は、子供なのに鍛錬をして偉いと僕を褒める。自分は、何もしてこなかったからと。師匠のことも時代はしらないけれど、おそらく10代の半ばくらいだろうと思う。
そこまで年が離れているわけではないのだけれど、強さは圧倒的に違った。どうしたら、こんなにも凄まじい力を手に入れられるのか。
僕がしているような鍛錬だけで、師匠ほどに強くなれるのか不安になる。
「それじゃぁ、イクルは最高に強くならないとね」
「え?」
「だって、初代勇者の俺が師匠だよ? イクルが強くなれないわけがない」
「……だから、そんな嘘ははやらないよ」
あははと笑う師匠は、自分を初代勇者だと語る。数百年も前に生きた勇者が、こんな若いわけがない。というか、生きているわけがないのに。
……僕を笑わせようとしてくれているのだろうか。
「まぁ、いいや。夕飯の用意をしておくから、終わったらおいで」
「ん」
頷いて、師匠の後ろ姿を見送ってから再び棍を振る。
師匠にもらった棍は、軽くて僕の手によく馴染んだ。〈風の棍〉という名前のついたこれは、師匠が僕に初めてくれた贈り物だ。
僕の属性は風。それに馴染む棍を用意してくれた。
師匠の属性は炎。圧倒的な火力を持ち、敵をねじ伏せる。
……風属性は、どちらかというとサポートよりだ。もちろん、攻撃魔法もあるけれど、呪奴隷である僕には使えない。いつか解除をすればいいのだろうけれど、現状その必要はない。
師匠にもらった棍で、強くなりたいから。
「はっ、はっ……!」
ヒュンッ! と、棍が風を切る音が耳に届く。
最初はブンという鈍い音がしていたことを考えると、僕はこの3年で大分上達したのだと思う。
でも、まだ足りない。師匠が棍を振るうと、音がしない。それほどまでに早く、そして風を読んで棍を振るうのだ。
「……ベテランの冒険者だって、あそこまで強くないのに」
以前この村にきた冒険者のことを思い出す。
ランクはAだったのに、師匠よりも大分弱いように感じた。
「……本当に勇者なのかな?」
あんなの、嘘だと思っているけれど。
あの師匠には、説明できないようなことがたくさんある。
圧倒的な強さ。
知らないことはないのではと思う、知識量。
そして何より、師匠は……成長をしていないように思う。
出合った3年前と、なんら変わっていない。僕の身長が、師匠に向かって伸びるだけ。
成長期であるはずなのに、変わらないのはおかしい。何かの呪いなのかはしらないけれど、師匠は何も言わない。だから、僕も何も聞かない。
……聞いたら、師匠と僕の関係が終わってしまうような気がしたから。
◇ ◇ ◇
季節は巡り、僕は17歳になった。
気付けば師匠と同じくらいの高さまで身長が伸び、同い年のように見える。
けれど、やはりその理由を僕から問いかけることはしない。
「あれ?」
朝、目が覚めて違和感を感じた。
はじめて受けたその感覚に、なんだか背筋が震える。風邪をひいたのだろうか、しかしだるさや熱っぽさがあるわけではない。
「……? なんだろう、視界がぼやける?」
ぱちぱちと目を瞬かせる。
どうやら、両目ではなくて左目のみがぼやけているらしいということがわかった。
視力が悪くなるという現象はもちろんあるけれど、このように一晩で起こるということは今までに聞いたことがなかった。
「大丈夫、すぐに治る……」
目が見えなくなる。
しかし急に襲いくる不安に身体が恐怖を覚えるのは、一瞬もあれば十分だった。ベッドから身体を半分だけ起こしたまま、自分の身体をぎゅっと抱きしめた。
「…………」
どれくらいの時間、そうしていただろうか。
キッチンから僕を呼ぶ師匠の声が聞こえて、それでも起き上がろうとは思えなかった。鼻をくすぐる朝食のいい匂いは、いつのものように食欲を掻き立てたりはしない。
「イクル?」
痺れを切らしたのか、師匠が僕の部屋へとやってきた。少し心配そうに呼ぶその声は、いつもより穏やかなのに……僕の中を素通りしていく。
「具合でも悪い?」
「……」
すぐ横まできて、僕の額に手を当てる。
「んー、熱はないみたいだけど」
「……」
「イクル?」
「…………師匠」
「うん?」
「左目が、ぼやけるんだ」
僕がやっと、臥せっていた理由を告げれば師匠の息を飲む音が小さく聞こえた。「見せて」と僕の顔を覗き込んだ。
こんなに焦った師匠の声、もしかしたら初めて聞いたかもしれない。
「《完全なる復活》」
「……っ!?」
師匠の手が僕の前髪を抑えて、両の目を見られる。
次の瞬間には、師匠の口から聞きなれない言葉が紡がれた。しかし、その圧倒的な魔力を感じ、ありえないような回復呪文なんだということはわかった。
「……どう?」
不安の色がのった師匠の声に、けれど僕は肯定を返せない。
ぼやけた視界が治ることはなかったから。
「そうか」
力ない師匠の言葉は、僕に深く突き刺さった。
こんなに強い人で、不可能なんて何もないと思っていた師匠であれば、どうにかなると思ってしまっていた小さな僕の希望。
「別に、大丈夫だよ。右目は普通に見えるし、風の力だってあるから、サポートも十分だし」
「……ふぅ。イクルは、本当に頼もしく育ったね。でも、絶対に治療する方法を見つけるから」
ぽんと頭を撫でられて、僕はもう小さな子供ではないと叫びたくなる。
しかし、師匠の不安に揺れている瞳を見たらそんなことはとてもじゃないが言えない。
「じゃぁ、期待せずにまってる」
了承の旨を伝えて、2人で朝食を食べていつもの日常が再びはじまる。
けれど、それが壊れてしまうのもまた一瞬のことだった。
師匠が、いなくなった。
「なんで」
左目の視界がぼやけるようになってから数日、師匠は姿を消した。
今まで、どこかに出かけるときは必ず行き先を告げていたし、遅くとも夜には帰ってきていた。それが、3日経っても連絡がない。
「何かの事件に巻き込まれた?」
いや、それはない。すぐに浮かぶ否定の考えは、師匠の圧倒的な強さを考えれば当たり前のことだった。
師匠がやられるということは、万に一つもない。
可能性としては、他者に何かがあって師匠が助けようとして事件に関わった可能性。
「って、師匠なら3日で解決できる」
すぐに自分で出した結論は、しかし間違いがない。
師匠と一緒に暮らしていた10年間は、事件が皆無だったわけではない。基本的にはその日のうちに解決をするような師匠だった。
魔物討伐、村の改修作業、森で迷子になった子供の捜索、盗賊退治などなど。
「……もしかして」
最後に導かれた可能性は、最悪なものだ。
しかし、一番信憑性がある。
「僕の目が見えなくなったから、出て行った?」
弟子の将来に、希望を見出せなくなったのだろうか。
「……探し出して、殴ってやる。俺を置いて出て行ったこと、後悔させてやるから」
◇ ◇ ◇
「ひなみに触って、また瘴気をまきちらかされたら困るんだけど。……ねぇ、師匠?」
ひなみ様を地面にしっかりと立たせて、約3年ぶりに師匠を見る。
その姿は、いなくなったときから……いや。出合ったときと同じ姿だ。
俺の年齢が19歳だけど、師匠は大人びているから同い年くらいに見える。
「……イクル」
「え、え、えっ!」
師匠が観念したように俺の名前を呼べば、ひなみ様が驚いて声を上げる。
「って、イクルがぶん殴りたいって言ってた師匠さん!?」
「……ひなみ様」
まったく、どうしてそんなどうでもいいような話を覚えているのか。
師匠が驚いた顔をしているけれど、「たくましくなったねぇ」と笑っているのを見逃したりはしない。
「ぶん殴りたい、かぁ。俺はそれだけ酷いことをしたから、仕方ないか」
「やけに素直に言うんだね」
「まぁね。でも、イクルが瘴気のことを知ってたなんて、驚いた」
師匠の言葉ももっともだ。
瘴気なんていう存在、〈レティスリール〉では一般的ではない。けど、どうして俺が知っているかは教えてやらない。
俺を置いていった師匠に、そこまでしてやるいわれはない。
「別に、師匠には関係ない」
瘴気の存在をしったのは、精霊にもらった本に書いてあったからだ。
ひなみ様があのとき俺に買ってくれなかったら、ずっと理由をしることはなかっただろう。
師匠の身体から瘴気がでていたことも。
まして、俺の視力がなくなった原因がその瘴気だったことも……。
師匠が俺を置いて出て行ったのは、原因が自分だったからだ。
「師匠」
「……イクル」
すぐ近くまでいき、力いっぱい師匠をぶん殴ろうとして……でも、それはできなかった。力が、入らなかったからだ。
ドンと、少しだけ強く師匠の肩に手を置いた。
師匠が俺を捨てたから、ぶん殴りたかったんじゃない。
師匠に真実を告げてもらえない自分が不甲斐無くて、自分自身をずっとぶん殴りたかったんだ……。




