1161 おじさんはケルシーが調子を悪くするのを心配する
少し濁った真珠みたいな色をした空から、ひらりと雪が降る。
今日は冷える。
起きたときにそう思ったおじさんだ。
当然だが、王国に天気予報というものはない。
もちろん経験則的に、ある程度の予想をする者はいる。
なので、もし予報ができれば新しい商売になるかもしれない。
そんなことを思う。
ただ、どうすれば天気予報ができるのか、などの具体的な知識はない。
「うう……今日は寒いわねえ」
聖女だ。
教室に入ってくるなり、言う。
ごきげんよう、と挨拶を交わす。
「ねぇねぇ……今日は学生会室にいかない?」
学生会室なら、暖房器具も揃っているから。
あったかいところへ行こうと、いう聖女の提案である。
「……さすがにそこまでは難しいですわね」
おじさんは苦笑した。
ただ、教室内を見渡してみれば、ちょっとがっかりした表情の皆がいた。
教室内にも魔道具は設置してある。
ただし、かなり旧型のものだ。
故に温まるまでに時間がかかるのである。
いつも講義が始まる前に、持ち回りで起動させるのだ。
「でもさ~、リーがいるってことは好きにできるじゃん」
よほど寒いのだろうか。
聖女は手をこすりあわせている。
「それはそうですが、そこまで自由にはしません」
きっぱり断るおじさんだ。
ただし、と言葉を続ける。
「そうですわね。講義をかねて、魔道具を作り直すことはできますわ」
「え!?」
さすがの聖女も予想していなかった答えだ。
「なにを驚いていますの? 暖房の魔道具なんて……」
と言いかけて、おじさんは思う。
自分たちの教室だけ変えてしまうのはよくないか、と。
魔道具を作り直すくらいはかんたんだ。
いつもやっていることだから。
ただ、他の学生たちのことを考えると……。
学生会室を初め、薔薇乙女十字団の部室など魔改造しているのだから、今さらと言えば今さらかもしれないが。
「仕方ないですわね」
と、少し切り替えるおじさんだ。
宝珠次元庫から、懐炉の魔道具を取り出す。
「こちらを使いますか?」
だいたい掌サイズの魔道具だ。
魔力を通すと暖かくなるというだけの。
「うひょお……いいの!? 懐かしいわねえ」
聖女が言う。
「うちはこっちの懐炉を使ってたんだー。使い捨てじゃなくって」
ちょっと慌てるおじさんだ。
気が緩んでいるのか、教室内で前世の話はマズい。
そう思った矢先である。
「まーた、エーリカは訳の分からないことを言ってるのです」
近くにいたパトリーシア嬢がやれやれという感じでツッコんだ。
「お、おほほほ。ゆ、夢で見たのよ」
「……夢なのです?」
少し首を傾げるパトリーシア嬢だ。
どうするんだ、とおじさんは聖女を見る。
聖女はくわっと目力をこめておじさんを見返す。
これはダメなようだ。
「パティ、少しいいですか?」
「はい、なのです!」
「先ほどエーリカに渡した魔道具ですが、皆にも渡しておきますので」
「いいのです!?」
もちろんと返すおじさんだ。
ニコッと微笑みながら。
「さすが、お姉さまなのです!」
と、他の面々に声をかけにいくパトリーシア嬢であった。
「ふぅ……危なかったわね」
「まったく。気が緩みすぎですわよ」
くすくすと笑うおじさんと聖女であった。
そこへ男性講師が入ってくる。
「おー揃ってるなー。えーと、今日からビブリオバトルの予選が始まるからなー。参加する者はしっかり準備しておけよー」
と、男性講師が教壇の前に立つ。
「あれ? 今日は講義するの?」
聖女が声をあげた。
「当たり前だろー」
くしゃくしゃと頭を掻く男性講師だ。
「いっつも任せてるわけにはいかないからなー」
それじゃあと講義が始まる。
なんだかんだで講義はきちんとやる男性講師なのだ。
サボるときはサボるけど。
「じゃあ、座学はここまでなー」
午前中の講義が終わった。
今回は野営訓練の座学である。
内容が面白かったのか、比較的に聖女も大人しくしていた。
「やった! お昼ね!」
聖女が立ち上がる。
が――いつものようにケルシーがのってこない。
「ん?」
と視線を送るおじさんだ。
すると、ケルシーが机に突っ伏している。
「ケルシー?」
心配になって声をかけるおじさんだ。
「う……う~」
苦しそうな声をあげる蛮族二号である。
近づいて、その額に手をあてるおじさんだ。
「あら……熱っぽいですわね」
「うう~しんどい」
それだけを口にするケルシーだ。
少しあげた顔が赤い。
「風邪でもひいたのかもしれませんわね」
朝は元気だったのに。
あれは空元気だったのかもしれない。
「どうかしたの?」
と、聖女たちが近づいてくる。
「ちょっとケルシーの体調が良くないようですわ。医務室につれていきますので、皆は先に食堂棟へ」
同時に、ケルシーを背に担ぐおじさんだ。
うう……お腹、すいた-。
体調が悪くても、お腹はすくものだ。
「あとで特別な食事を作ってあげますから」
と、おじさんが魔法をかける。
睡眠を促すものだ。
すぐに、くーと眠るケルシーである。
「では」
と、言い残して教室を後にするおじさんであった。
「バカは風邪ひかないって言うけど……嘘だったのね」
なかなか辛辣なことを言う聖女である。
「エーリカ、それを言うなら風邪をひいていない私たちは……」
あ、と口にだす聖女だ。
「おほほほ! ケルシーのことはリーに任せておきましょう。さぁ行くわよ。食堂棟に!」
笑って誤魔化すのであった。
おじさんがケルシーを背負って学園内を歩く。
その様子は少しだけ奇妙だ。
本当なら侍女が背負っていくものである。
他の学生たちの目を引く。
が――誰もなにも言わない。
ただ、おじさんが歩きやすいように道を空ける。
「さて」
医務室についたおじさんだ。
とりあえず、ケルシーを寝台に寝かせる。
昼時だからか。
担当の医師がいない。
どのみち風邪に特効薬はないのだ。
栄養をとって静養するに限る。
そこへドタドタとした足音が聞こえてくる。
少し乱暴気味にドアが開いた。
「クロリンダですか」
「ありがとうございます、御子様。うちのお嬢様がご迷惑をおかけしたみたいで申し訳ありません」
「いいえ、お気になさらず。恐らくは風邪だと思うのですが、医務室の先生に詳しいことを聞いてくださいな」
椅子から腰をあげるおじさんだ。
代わって、ケルシーを見るクロリンダである。
「あら? これひょっとして」
ん? と思うおじさんだ。
「風邪じゃないです。北風の祝福かもしれません」
「……北風の祝福?」
こくんと頷くクロリンダだ。
「ええと……詳しい説明は後でします。御子様、申し訳ありませんがうちの族長を連れてきていただいてもよいでしょうか?」
「ハルムァジン殿を? べつにかまいませんが……」
「族長に、北風の祝福と言えば伝わりますから」
「……承知しました」
「御子様を使ってしまって申し訳ありません。お詫びは後ほど致しますので」
そんなクロリンダの言葉に微笑みをむけて、おじさんは転移するのであった。




