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絶望高校帰宅部  作者: 南野海風
七月
74/202

073.七月二日 土曜日





 商店街に敷き詰めてあるブロックは、乾いている。

 さんさんと降り注ぐ強い日差しに、今まで意識しなかったけたたましいセミの鳴き声が拍車をかけた。

 梅雨を過ぎた八十一町は、天気予報通り、午後から晴れた。未練がましく寝そべっていた雨雲は、この地に充分な恵みを落とすと、次の場所へと腰を上げていった。


 久しぶりの、嘘のような快晴。

 キツイ日差しも、今だけは少し嬉しい。……まあたぶん明日になったら疎ましくなるんだろうけれど。


 八十一町商店街に敷き詰められた乾いたブロックを踏みしめ、僕は足早にそこに駆け込んだ。照り返して上からも下からも襲い来ていた熱線が、開かれた隙間から漏れる空気に触れて逃げていく。


 ああ、暑かった。


 クーラーの利いた店内に飛び込むと、僕はほっと息をついた。今年の夏も文句なしに暑そうだ。





 駆け込んだ喫茶店「おいちゃん」には、すでに待ち人が来ていた。うへぇ……これでも全力で走ってきたっつーのに。約束の時間に遅れないのが礼儀なら、約束の時間より遅く来るのは優しさだぞ。


「遅い」


 店の中なので怒鳴ることはしなかったが、僕が何か言う前に責められた。


「前も言ったような気がしますけど、夏波さんが早いんです」


 そう――僕は今日、荒ぶる女子大生こと殺戮兵器・沢渡夏波さんとここで待ち合わせをしていた。


「あ、水貰っていいですか?」


 返事を貰うまでもなく、僕はテーブルにあった夏波さんに出されたのだろうコップを取り、氷水を喉に流し込んだ。つめてー! うめぇー!

 学校が終わってすぐ、ここまで走ってきたのだ。僕はすでに汗だくだ。


「……もういいから座れ」


 汗だくの僕を見て、走ってきたことはわかったらしい夏波さんは、いつになくゆるい責めで僕を許した。たぶん喫茶店の中だったから色々自重したのだろう。

 僕は味のある木製テーブルを挟んで夏波さんの向かいに座り、そして言った。


「洋子さん、お久しぶりです」

「おう」


 夏波さんの隣には、隣の殺戮兵器より強いと噂の遠野洋子さんが、相手に心臓破壊予告ブレイクハートを意味するいつものハートのヘアピンを着けて座っていた。





「昼飯まだだろ。好きなの頼みなよ」


 堂々たる貫禄で、洋子さんは僕にそう言った。ゴチです!

 そう、この人たちは理不尽なまでに年上年下にこだわり、理不尽なまでにそれに徹する。

 どこまでかはわからないが、基本的に喫茶店なんかの払いは一番上……今日の場合は洋子さんが自然と持つし、年下がそれに異を唱えるなんて考えられないという世界にいる。逆に「自分の分は自分で」なんて言ったら普通に怒られる。僕でも。あと残しても怒られる。おごられたものは完食が基本だ。これはなんとなくわかる。


 まあ、偉ぶる以上はそれだけの見栄も張る、ということなのだろうと思う。なんというか……やはり男らしいと表現したい。


「先輩、ボンゴレとパフェいいっすか?」

「いいよ。好きなの頼め」


 おお、かっこいいぞ洋子さん! でも夏波さん、あなたはダメだ。なんだよボンゴレって。もっと男らしいの頼めよ。なんでパフェとか女の子が好みそうなもの食べようしてんだよ!


「夏波さん、イカ墨パスタとかどうですか? ほら、真っ黒で男らしいですよ」

「え? いや、今はボンゴレがいい」

「なんで。牛丼とか豚丼もありますよ。ほら、大盛りもできるって」

「いやおまえこそ何でだよ。そんな食わねえよ」

「でもそんなの男らしくないです」

「女だからいいだろが」

「……」

「……」

「僕はカツサンドセットにしようかな」

「おい待て。今の間なんだ? 今の間の説明をしろ」


 僕は夏波さんの追及の視線から逃れるように、無愛想なウエイトレスを呼んだ。無愛想なウエイトレスは新たにやってきた僕にお冷を出しつつ「注文は?」とつっけんどんに問う。


「カツサンドセットとボンゴレとパフェ。……洋子さんは?」

「いい。コーヒーだけでいいや」


 ちなみにそのコーヒーはすでに運ばれており、洋子さんの目の前にある。

 無愛想なウエイトレスはぼそぼそと注文を繰り返すと、さっさと席を離れていった。……本当に無愛想なウエイトレスである。たぶん大学生くらいだと思うんだけどな……


「減量中ですか?」

「いや。このあと彼氏とメシ食うから」


 なるほど、デートの前の時間つぶし中ってわけか。――ちなみに洋子さんの彼氏は、筋肉高井のお兄さんである。

 ……さて。

 注文もしたし、挨拶も済ませたし。そろそろ本題に入ろうか。


「夏波さん。一昨日勝ちました」


 今日は、一昨日の赤ジャージとの勝負に勝ったことの報告に呼び出したのだ。


「ふうん。そう」


 ……あれ? 夏波さんの反応は想像以上に淡白だった。


「やけにあっさりな反応ですね」


 拍子抜けする僕に、夏波さんは首を振った。


「勝って当然だろ。それだけの努力をしたんだから」


 ……まあ、そう言われればそうなんですけど。


「報告とか要りませんでした?」

「要らないとは言わないけどさ。でも明日でもよかったんじゃないかとは思ってる」


 そうか……実は僕もそう思ってたんだよなぁ。強いて今日話すべきことではないよなぁ、とは思っていたのだ。だって明日の日曜日は、トレーニングの日ってことで会う予定だったんだから。

 でも、どうしても今日じゃないといけなかったんだ。


「もしや夏波さん、僕の呼び出しの用事について、予想してました? だから洋子さん連れてきたんですか?」

「……なんのことかな。全然言ってることわかんないし」


 いや。露骨に目を逸らさないで。それじゃ誤魔化せないから。


「バレてるなら仕方ないな」


 言ったのは洋子さんだ。夏波さんが「先輩!」と抗議の声を上げるも、洋子さんは黙らなかった。


「もしかしたら女の子の相談されるかもしれないから来てくれって言われてさ。つーかダメだろ友晴。相談する相手選べよ」


 あ、やっぱり。


「すみません夏波さん。残酷な相談しちゃって」

「ちょっと待て。残酷ってどういう意味だ」

「でもありがとうございました。例のキモ……かわいい『カプセルくん』のストラップ、すごい喜んでましたよ」

「話を進めるな。残酷ってなんだ」

「いいから話進めろよ。進展あったから呼び出してんだろ」


 夏波さんは不承不承ながら、わくわくして恋バナを求めている洋子さんの言葉通り話を促した。





 一歩だけ進んだ僕の恋愛事情に、大学生二人は興味津々な顔で相槌を打った。


「ほうほう。なるほど」

「あのクソキモいストラップで上手くいったのか……男女関係ってわからんわ」


 ですよねー……いや待て! あのストラップ渡せって言ったの夏波さんだよね!? 今「クソキモい」って言ったよね!? キモカワイイじゃないんだ!? メールにそう書いてあったけど本音は「クソキモい」なんだ!?

 やっぱり相談相手を間違えていたことを確信したが、今問題なのはそこじゃないので、あえて触れることもないだろう。だが今後は絶対、絶対に、夏波さんに恋愛のことを相談することはない。彼女は地雷すぎる。


「ま、お礼のお礼が言いたいって理屈はわかるわな。その子、ちゃんと先輩に教育されてると見た」

「そうっすね。私の後輩でも必ずやらせますね」


 いやまあ、相手は九ヶ姫のお嬢様だからね。部活の先輩じゃなくてご家庭の教育が行き届いているのかもしれませんけどね。


「で、友晴はこれからどうやってその子をデートに誘おうかってとこで悩んでいると」

「いえ」

「あれ? 違うの?」


 洋子さんの予想は大外れだ。まあ外れて当然だが。

 そう、違うのだ。


「実は、どうしても女性用のスクール水着を入手したいんですが、協力してもらえませんか?」


 言うと、目の前の女性二人は、真顔になった。


「……ちょっと待て友晴。先の話からどうやったらスク水に繋がるのか、ちゃんと説明しろ」


 ちゃんと説明……か。そうだな、そう言われるだろうと予想していたさ。


「それとこれは、ちょっと違う話なんです」

「違うのかよ!」

「じゃあなんの話だよ!」

「すみません。僕の恋愛の方はゆっくりじっくりやりたいんで」


 なぜスク水を欲しがるのか――そんな説明なんてできやしない。


 フラれるのを前提に告白してフラれてスク水黒ニーソの友達に膝枕で慰めてもらうんですイェー、なんて言ったら、僕はきっと目の前の二人に殺されるんじゃなかろうか。

 まず、逃げ腰で告白することに難色を示され。

 スク水黒ニーソの友達に失恋の痛手を慰めてもらおうって用意されている保険を叱責され。

 しかもその相手が男でしたー、なんて言ったら「ヘンタイ」のそしりと共に、どんな地獄が訪れるかわかったものじゃない。「正しい道に戻してやる!」くらいの気持ちで教育されかねない。


 しかし、僕がスク水を入手するために頼れるのは、この二人……というか夏波さんくらいしかいないのだ。

 高校からこっちに引っ越してきた僕には、女性の知り合いが極端に少ない。いざという時に頼れる異性は妹くらいなものだ。

 だが今回ばかりは、妹には頼めない。身内には絶対頼めない。頼めば即家族会議もので、それくらい危険なアイテムを欲しているわけだ。できれば僕の周囲の人たち……同じ学校の友達なんかにも秘密にしたいので、ONE関係の人たちも除外してある。


 そう考えると、夏波さんしかいないのだ。


「これには深い理由があるんです」


 僕は悲壮感を漂わせるよう両手をテーブルに組み、俯く。


「実は――」

「おまち」


 もう! 無愛想な上に間の悪いウエイトレスだな!





 僕は語った。悲壮感を捨ててカツサンドを食べながら。まったく雰囲気台無しだよ。……カツサンドは美味いけど!


「つまりおまえの友達でアッチ系の子がいて、その子が授業で使う水着が欲しいと言っている」

「でも男だから自分では買いづらい。どうすればいいだろう、と友晴に相談を持ちかけたと」


 僕は頷いた。


「そうなんです」


 ――嘘はついてないぞ。覚醒した乙女マコちゃんは女性用水着を欲しがっていたし(でも自分ですでに買っているが)。……まあ着るのはしーちゃんだけど。


「だから決してやましい気持ちとかはありませんよ。使用済みがいいなんて危険なことは言いませんから」

「「当たり前だ」」


 二人は口を揃えてそう言った。さすがに使用済みのスク水が欲しいなんて口にしたら、この二人でもドン引きしていただろう。さすがの僕もそこまでヘンタイじゃない。


「まあそれくらいだったら構わないよ。おまえの代わりにスク水買えばいいんだろ?」

「そうです。頼めますか夏波さん?」

「それくらいだったらね。これから買いにいこうか」


 よしよし……作戦成功!


「あのさ、これはあくまでも興味本意なんだけどさ」


 と、洋子さんは切り出した。


「そのスク水着た子、写メで撮って送ってよ」


 え?


「な、なぜに?」

「興味本位。――でも強いて理由を上げるなら」


 洋子さんは笑う。全てを見透かしているかのように。


「友晴が、本当にさっき話した理由で欲しがってるのかどうか確認するため」


 チィッ……それも女の勘か!? まったく女ってのは厄介な能力を持ちやがって!


「でも、写真とか嫌がるかもしれないし」

「そうだね。ただの興味本位だからそれはそれで構わないよ――友晴の疑惑が残るだけだから」


 くっ、強い! できればこんな話、疑惑さえも残したくないのに……こんなところで弱みを握られたら、この先確実に頭が上がらなくなるぞ! 今でさえ低頭が基本ってくらい低姿勢なのに……!


「嘘なら今の内に白状しろ。今なら許す」

「別に嘘なんてついてませんけど」





 思わずそう言ってしまったものの、もしや僕は墓穴を掘っただろうか?


 ……写真を送れ、か。まあ不可能じゃないからいいけどさ……





 そう、この時の僕は、とある可能性を失念していたのだ。

 そのせいであんな大変なことになるだなんて、予想さえしていなかった。












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