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絶望高校帰宅部  作者: 南野海風
六月
68/202

067.六月二十五日 土曜日





 相変わらずの曇り空だった。

 濃紺の灰色……というより、薄めたコーヒーって感じの暗い空は、まったく太陽の気配を感じさせない。

 僕は額の汗そのまま、携帯で時間を確認した。

 いつもより十分ほど早いのは、きっと僕の期待と比例している。

 今日も懲りずにやってきた八十三町の二上一番坂は、一切のひとけもなくただただそびえていた。


 よし、やるか。


 道の脇にある排水溝のブロックの上には、不自然に小石が並んでいる。僕はそこに石を一つ並べて、今日の坂道ダッシュを開始した。

 あの小石は、僕がここに来た回数であり、毎回一本ずつ増やしているダッシュの本数と比例している。今日で石は三つ目、ここに来たのも三回目である。……初回を除いて。


 先週金曜日に衝撃の出会いを果たして、一週間が過ぎていた。

 雨のせいで走れない日が多く、また走れた日でもここで彼女たちに……いや、彼女に会うことは叶わなかった。

 正直、会いたくて会いたくてたまらない。

 でもそれが叶わず、こうして悶々としながらがむしゃらに走るしかないのが現状だった。


 まだ結論が出ていないのだ。

 八十一高校の生徒は、九ヶ姫女学園の生徒にすごく嫌われているらしい。まあわかる気はするが。というか嫌われて当然って気もするが。逆に嫌わない方が不思議って気もするが。

 そんな有様で、でも僕が八十一高校の生徒ということは動かしがたい事実で、それは相手にはまだバレていないわけで。

 バレていないというか、バレていたらきっと小さな親切もありえなかったわけで。

 というかそもそもまだ何も始ってないわけで。


 僕が八十一高校の生徒とバレる前に関係を絶ってしまった方が、彼女のためではあるのかもしれない、とは思うのだ。きっとバレた瞬間から不快な思いをするだろうから。

 でも僕は仲良くなりたい、と。そう思う。

 というか責任を取れと。モテない男に思わせぶりな親切をして心を掻っ攫っていった責任を取ってくれ、と。間接キスとかやめろと。


 その悩みに結論は出ていないが、でも借りっぱなしのボトルだけは返さねばならない。だから来れる日はここに来ているのだが……





「八十一高校の方ですよね?」


 Oh……バレてるじゃん。

 その子は、九ヶ姫女学園の陸上部の一人で、先週の練習の時に顔を見ていた。名前は……桜井さんだ。失礼ながら彼女自身はあまり記憶にないが、彼女が掛けている黒ぶちメガネには覚えがある。むしろ桜井さんというよりメガネさんと言った方がわかりやすい。

 待ちに待った九ヶ姫女子は、その桜井さんが一人だけやってきた。


「走らないんですか?」


 先制パンチのせいで身動きが取れない僕は、その声にようやく動き出す。気分的には外国コメディのヘコむシーンで「オーウ」などというあの声を背負うに相応しい感じなのだが。

 立ち止まる彼女の隣につくと、彼女は坂道を駆け出す。僕も慌てて後を追う。


「――もしや転校してきたとか引っ越してきたとか、そんな感じですか?」


 坂道を降りる途中、先を歩む桜井さんはそんな鋭いことを言った。


「そうだけど……なんでわかったんですか?」

「敬語いりませんよ。私は中等部三年ですから」


 あ、中坊なの? そっか、


「お姉さま方の練習に混ぜてもらってるんだね」

「……」


 うわ、睨まれた! ……でも不思議と嫌な感じはしないな。妹なんかだとムカつくだけなのにな。


「九ヶ姫と八十一の因縁は有名なんですよ。多くは高校入試の際に知るそうです。でもそれを知らないとなると、外部から来た人という可能性が高いですから」

「そっか」

「知っていてなお、あれだけ自然に私たちと接触できるほど厚顔無恥にも見えませんし、度胸があるとも思えませんし」


 キツイなぁ……まあ、これがリアルな僕らと彼女たちの関係……先輩方が残した負の遺産の影響なのだろう。


「どういうつもりかは知りませんが、あまりここには来ない方がいいと思います」

「やっぱり?」


 坂道の下のスタートラインに戻って、桜井さんはまた走り出す。今度は僕にもスタートのタイミングがわかったので一緒に走った。……ひぃ、ここの坂道はほんとしんどいな。


「事が起こってからでは遅いですから」


 僕は結構足腰にきているが、桜井さんはまだまだ平気そうだ。案外体力の差だろうか。


「それは僕が何かするって意味で?」

「いえ」


 彼女と話をするには、下り坂でするしかないようだ。


「何もしなくても事件になることが侭あるからです」

「え? 何もしなくても?」

「何かあってからでは遅い、というのが九ヶ姫の自衛の心得です。本当に警察呼ばれますよ」


 え、マジかよ恐ろしい……


「あ、じゃあ、最近みんな来ないのって僕がいるから?」

「私はそうでしたけど」


 ――クラブでの朝練は雨のせいで見送っていたそうで、走れそうな時も大事を取って走らずにいたらしい。しかしこの桜井さんは、僕と同じように、走れそうな日はこの二上一番坂に走りに来ていたそうだ。

 ただし、いつも先客で僕がいたから、違う坂に行ったり僕が走り終わるのを待ったりしていたらしい。


「なんかごめんね」

「別に。坂道はここしかないわけじゃないですから」


 ……で、だ。


「なんで今日は声を掛けてきたの?」


 問題はそこだ。いつもだったら敬遠したのに、なぜ今日に限って声を掛けてきた?

 まさか、これから九ヶ姫の陸上部が来るから、その前に警告をしに? いや、それはないだろう。今日も天気は悪く、いつ降り出しても不思議はない。この天気で来るなら、今まで怪しい天気でも練習に来なかった理由がわからない。


「ナンパ目的じゃないことに確信が持てたからです」


 桜井さんは何度かここで僕を見ていて、僕が真剣に走るところもちゃんと見ていた。ナンパ目的なら、見られていると知らずに全力ダッシュなんてしない、と。だから本当に走りに来ていると確信できた、と。


「私は大会があるので少しでも多く走りたいんです。だから先輩に遠慮はしません」

「え? 今なんて言った?」

「遠慮はしないと」

「誰に?」

「先輩に」

「もう一度」

「先輩に」

「先輩大好きって言ってみて」

「言いません」

「じゃあ先輩って大きいですねって言ってみて」

「何がですか。というかどこがですか。別に大きくないでしょう」

「照れながら言ってみてっ」

「言いません」


 ……あっ、いかんいかん! 先輩というフレーズに我を忘れてしまった! ほら見ろ、桜井さんに思いっきり距離を取られつつ軽蔑の眼差しで見られているじゃないか! ……でもその視線嫌いじゃないけどね!





 しばらく適当な話をしつつノルマをこなし、僕は息切れしながら桜井さんのノルマが終わるのを待った。

 繰り返し走り続ける桜井さんは、やはり趣味で走る僕とは覚悟が違うのか、真剣な表情にどこか鬼気迫るものがある。


「……」

「あ、終わった?」


 動きが止まったまで聞いてみると、桜井さんはリストバンドで額の汗を拭い首を振った。


「休憩を挟んでもう少し。……それよりじっと見られていると気が散るんですけど」


 そっか……まあちょうどいいか。僕はそろそろ行かないとシャワーを浴びる時間がなくなる。


「頼んでいいかな?」


 僕がここに来ていた理由は、会話のネタがてらぼちぼち話してある。


「天塩川先輩にボトルを返せばいいんですね?」

「うん。あと――」


 正直あんまり出したくないが、僕は例のストラップが入った紙袋を二つ取り出す。


「これ、お礼に用意したんだけど。……別にどっち渡してもいいんだけど……あ、もう面倒だわ。君がどっちか渡しておいて」


 僕は無理やり、桜井さんに紙袋を二つ握らせた。中身を考えると説明とか面倒臭くなったのだ。例のコンタッ●のパクリの「カプセルくん」とか、どう考えても女の子へのプレゼントに適しているとは思えないから。それでも渡さねばならない僕のプレッシャーなんて……嗚呼、体育会系の女子大生を嘆かずにはいられない。


「余った方はあげるから。それじゃ」


 ――こうしてボトルの返却は果たすことができた。





 しかし、僕の恋は何も決着がついていない。

 どうしよう。

 どうするべきか。


 ……走りながら溜息が漏れた。




 あれ? そういえば。

 なんで桜井さんは、僕が八十一校生だって知ってたんだ?










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