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絶望高校帰宅部  作者: 南野海風
六月
52/202

051.六月十日 金曜日  球技大会 六時間目




 二回、三回とゲームは進む。

 一回表のホームラン以降、僕らにも相手にも得点の変動はなかった。


 相手の三年A組は、一回裏で打った僕の長打コースから、僕まで警戒し敬遠するという徹底した勝利への執念を見せていた。

 これも、試合経験を積まなかった僕らへのツケである。打てる選手が少ないB組ワーストナインだから仕方がないとも言えるが、僕まで警戒される可能性についても考慮するべきだったのだろう。

 上位打線に火力を集中させた結果、その上位打線をほぼ丸々飛ばされるという有様になっている。点が欲しい。だが誰も打てない。自ら戦力外として守備の練習に専念した下位打線ががんばるも、やはりヒットには繋がらない。


 そして四回表。

 僕らにピンチが訪れていた。





「おい、大丈夫か?」


 立石君は肩で息をし、額には汗が浮かんでいる。

 体力的な限界が来たのだろう。仕方ない、ほとんどが基本運動不足なワーストナインである。

 コントロールが乱れてフォアボールを二回、なんとかがんばって1アウトを取るも、次のバッターにデッドボールを投げてしまった。

 これで1アウト満塁になり、僕らワーストナインはタイムを取り、マウンドに集まっていた。


 松茂君が声を掛けるも、立石君の反応がない。やや俯き加減で息切れしている。


「……こりゃもう無理か?」


 城ヶ島が呟いた瞬間、立石君は顔を上げた。その目付きはきつい。


「大丈夫だ。俺は“負けない”」

「でもおまえバテバテじゃん」

「うるさい」


 おお、うるさい出ましたよ。その言葉に城ヶ島君はカチンと来たようだ。


「打たれたらどうすんだよ。今でさえキツイのに、これ以上点をやったら追いつけないぞ」


 城ヶ島君が言っていることは正しい。勝つためならば、ここはもう交代するべきなんだろう。そんな迷いがワーストナインに広がる。


 しかし、なんだか既視感がある。

 こんな光景、僕らにはあまり珍しくないような、そんな感じだ。


「投げるっていうならいいんじゃない?」


 言った僕に視線が集まった。


「でも立石もう無理だろ。バテバテだしよ」


 うん、実は僕もそう思う。そう思うんだけどね。


「本人が意地張りたいって言ってるんだから、僕はそれでいいと思うけど」

「それが一之瀬のチームプレイか?」

「柳君や松茂君に頼りきりのこれまでが僕らのチームプレイなの?」

「……」


 城ヶ島君は黙った。


「違うだろ。そんなおんぶに抱っこの勝利が欲しくて僕らは練習したんじゃない。少なくとも僕はそうだよ」


 柳君に追いつけないことはわかっていたが、それでも少しくらいは追いつこうと努力したとは思っている。一緒に苦労したとも思っている。僕にとってはそれがチームプレイだ。……たぶん。


「中学の時だけどね。僕は大事な局面でできる奴に割り込まれたことがある。チームが勝つためにね。僕はそれに納得したよ。だってそいつは僕よりできるからね。でも、柳君と松茂君以外ならわかると思うけど」


 あの、なんともやるせない気持ちが。

 やりたくないわけじゃなかった。だって自分の出番が回ってきていたんだから。

 でも、それでも僕よりできる奴がいるなら、そいつに譲るのもある意味ではチームプレイだと思う。


「立石君はまだ納得できないってさ。僕らのエースが負けたまま引き下がるのがイヤだって言ってる。――僕は立石君のことをバカだとは思わないから、本当にダメだと納得すれば自らマウンドを降りると思う」


 どっちが正しいとか、そういう問題じゃない。

 立石君の順番が回ってきていて、立石君は自分の役目をやり遂げたいと言っている。僕はその気持ちを尊重したいと言っているだけだ。城ヶ島君が言っていることが間違っているとも思わないし。


「決まりだな」


 柳君が決定を下した。


「どちらにしろ、俺はサードを離れられない。松茂はできれば最終回まで温存したい。よってこの回は立石に任せる」


 僕の言葉じゃ弱いが、チームの要である柳君の言葉は絶対にして絶大だった。


「わかったよ。打たれんじゃねーぞ!」


 立石君の肩を叩き、城ヶ島君がセカンドに戻った。皆も一言ずつ掛けてポジションに戻っていく。

 そして、最後に僕と柳君が残った。


「本当に大丈夫か?」


 柳君の言葉に、立石君ははっきり頷いた。多少休憩もできたようで、もう息切れもしていない。


「城ヶ島君はああ言ったけどさ、別に打たれてもいいからね。君の後ろを守るのが僕らの役目なんだから。むしろ打たせていこうぜ!」


 僕の言葉に、立石君ははっきり頷いた。まあ、できれば抑えてほしいけどね。





 四回表、1アウト満塁。

 変則ルールにより最終回の直前である。

 わりと絶望的な状況下において、ピッチャーの変更なし。うちのクラスの暇な連中が疑問の声を飛ばすも、できる奴らの出る幕など、この場にはない。

 ここにいるのはB組のワーストナインで、出番があるのもB組のワーストナインのみだ。


 立石君は健闘した。

 犠牲フライによる追加一点を許すも、意地を通して見事に抑え切って見せた。

 さすがは僕らのエース、充分優秀な結果だと思う。

 これで0対2。





 四回裏。

 僕らの攻撃はバテバテの五番ピッチャー立石君からスタートして、下位打線突入とともに普通に凡退した。

 ……ちなみに僕は前の回で、高石先輩のように敬遠球を打ちに行ってアウトになってしまったことを、控えめにここに残しておく。





 五回表。

 「納得したから」と言ってマウンドを降りた立石君の後を継ぎ、満を持して秘密兵器・松茂秀人を送り込む。

 三者三球三振で抑えるという脅威的なピッチングで、三年A組最後の攻撃をあっと言う間に潰して見せた。あのホームランをかっ飛ばした高石先輩を含むクリーンナップ三名である。

 松茂君は、見事に雪辱さえ果たして見せたのだ。


 ベンチに戻ると、「え、もう!? あれで!?」と言いたくなるくらい、軽く汗だくになり息切れしていたが。もう少しだけ持久力をつけてほしい。





 そして、僕らの最後の攻撃が回ってきた。





 運が良かったと言うべきか。

 それとも、あるいは必然だったのかもしれない。

 八番渋川君から始まった打線は、まあ渋川君はバットとボールの落差が恐ろしい、まさにできない奴の鑑と言わんばかりのすばらしいスイングで三球三振。


 1アウトで九番、ライト、マコちゃん。


 ここから僕らの最後の攻撃が始まる。





 ミーティングで話題に上がったマコちゃんは、実は僕らの秘密兵器である。

 だからこそ、彼の打順は九番から動かさなかった。


「坂出、やってくれ」

「うん!」


 柳君のGOサインが出た。ここぞという時まで隠していた秘密兵器がベールを脱ぐ時が来たのだ。


 五回まで、そして一、二回戦の投球の疲れもあるだろう。だんだんと相手ピッチャーのコントロールが甘くなってきている。

 これまでマコちゃんは、この試合すべての打席でバットを振ってもらっている。

 つまり、あえて三振をさせていた。


 マコちゃんは、恐らく学年一小さい。

 つまりストライクゾーンが恐ろしく狭いのだ。


 GOサインが出たマコちゃんは、この試合、始めてバットを振らなかった。

 これまでバットに掠りもしなかった下位打線の九番である。ピッチャーは、楽な打者と見積もっていたかもしれない。

 だが、この打席に限りは、勝手が違う。

 疲れてコントロールが乱れている上、ストライクゾーンが極端に狭く、簡単にバットを振っていたくせにこの打席は一度も振らない。


 果たして、最終兵器は仕事をしてくれた。


 2ストライク3ボールというフルカウントまで追い込まれたが、かろうじてフォアボールを奪うことができたのだ。


 ランナーを一塁に残し、打順は一番に戻る。

 松茂君は最後まで歩かされた。

 二番大沼君は、粘りに粘ってフォアボール……と見せかけてデッドボールを貰って出塁。

 1アウト満塁で、柳君の打順が回ってきた。


 そう、この形こそ、最終兵器マコちゃんから始まる僕らの最大の戦略だった。一打順ずれた、三番柳君が四番として機能するこの形こそ。


 だが惜しむらくは、四回表でリードが開いたことだろう。





 マウンドに集まって相談をする三年A組は、柳君の長打を恐れ、あえて敬遠し押し出しの一点を僕らに与えることを選んだ。

 この状況、この局面、そして最終回。

 酒が回っている一般来客からも、そこらで見ている八十一校生からも、「勝負しろやオラァ!」と女性らしからぬ声量で叫んでいる凶暴な女子大生からも、彼らのチキンな対応を非難する最大級のブーイングが飛んでいた。


 まあ僕なら逃げるね。逃げて勝てるんなら逃げるね。

 でも、たぶんピッチャーは、すごく勝負したかっただろうな、って思う。ワーストにだってワーストなりの意地がある。


 柳君が出塁し、押し出しで一点が入った。

 これで1対2。





 で、ここでまさかの僕の出番である。

 1アウト満塁。

 一打同点、ツーベースなら逆転サヨナラだ。


 ……出番が来ちゃったよ。しかもこんな大事な局面で。





 ピッチャーは勝負を仕掛けてきた。まあそりゃそうか、もう一度押し出せば同点だ。

 たぶん本当は柳君と勝負したかったのだろう。が、それはあまりにも危険すぎるということで、代わりに僕と勝負することにした。たぶんそんなところだ。


 緊張する。

 緊張で手が震えている。膝も震えている。

 でも、それらさえもバットごと握り締め、僕は打席に立った。


 緊張しているのは僕だけではないらしく、相手のピッチャーも相当緊張していて、顔が引きつっていた。わかるわかる。お互いワーストですもんね。そしてこの局面ですもんね。


 ピッチングとは本当にメンタル面が大きくが影響するらしく、相手ピッチャーのボールは三球ともストライクに入らなかった。それどころか一球はバウンドし暴投になりかけた――キャッチャーが身を呈して止めたので、僕らの得点には繋がらなかったが。


 三年A組ナインが、またしてもタイムを取ってマウンドに集まった。まあそうだろう。そうするだろう。僕らだってそうしたはずだ。

 僕はバッターボックスから離れ、一心不乱にバットを振る。

 大丈夫、大丈夫、と自分に言い聞かせながら。


 そしてタイムが終わり、次に見たものに驚愕する。


「な、なんで……!?」


 マウンドに立っていたのは、僕に胸毛のトラウマを刻んでくれた高石先輩だったからだ。





 運動神経抜群のスネ毛も濃いらしい高石先輩は、ピッチングもできるらしい。


  ズバァン!


 ……しかもすげぇ速ぇ! 受け取るキャッチャーがかわいそうな本格的な音とかしてるし!

 球威も球速も、おまけに投手もヤバイ。

 まさかこんな隠し球が残っているとは思わなかった。

 僕らが松茂君やマコちゃんを温存していたように、彼らも高石先輩を温存していたのだろう。それも、ここまでギリギリになるまで投入しなかったのは、次の決勝で披露したかったからに違いない。


 僕に、これを、打てと。

 そう……そうだ。柳君と松茂君を除くワーストナインの内、当てるだけなら僕はできる方に入る。恐らく僕が打てなければ、この回の得点はない。次のバッターである立石君は疲れ果てているので、あまり期待してはいけないだろう。


 僕がやらなければいけない。

 高石先輩を見るたびに「新人狩り」の恐怖を思い出し、正直心が折れそうになるが、今だけは耐えよう。がんばって耐えよう。

 あとからならいい。公衆の面前で泣いてもいいし。腰が抜けてもいい。夏波さんと洋子さんに教育されるのも……まあ、少しだけならいい。

 だから、頼む。

 僕の心よ、少しだけがんばってくれ。





  ズバァン!


 投球練習が終わり、バッターボックスに入り。

 あっさりと1ストライクを奪われた。


 打席で見る高石先輩の速球は、もうすごく怖かった。こんなもん素人が打てるかよ。

 そんな風に投げ出せれば、どれだけ楽だろう。

 でも、打たねばならない。何が何でも。


 すでに3ボールである。ボール球はまずない。

 二球目も案の定ストライクゾーンだった。僕は思い切ってバットを振る。


   ギン


 鈍い音がしてバットが振り切れず、手がしびれた。ボールは一塁の外側へ大きく外れる。

 想像以上に重い。振り切るどころか、むしろバットを弾き返した。


 あっと言う間に追い込まれたが、でもちょっとだけ自信がついた。

 なんだ当たるじゃないか、と。

 そんなわずかな自信が、僕の狭くなっていた視野を少しだけ広げてくれた。

 三球目、四球目も、前に飛ばないファールが続く。

 そして僕は気付いた。


 ――高石先輩はど真ん中しか投げない。


 コースがだいたい一緒なのだ。球威があって球速があっても、来るコースがわかれば何とか当てることはできる。


 だが、思えば、この時に気付くべきだった。

 そう……気付くべきだった。


 まるで柳君の生霊でも憑いているんじゃないかというくらい、僕はファールを連発した。

 唯一違うのは、飛ぶ場所が一定じゃないことだ。

 球威に押されて流し気味になるが、それでも、少しずつ少しずつバットの芯に近いところに当たるようになってきた。


 いつの間にか、無責任な野次と応援とも思えない応援の声が一丸となり、僕の背中を押していた。

 高まる集中力と高揚感。

 ある種トランス状態になっていた僕は、必ず打てる――そんな予感を確信に近いレベルで感じていた。


 この後に起こる悲劇など、微塵の予感もなく。

 運命の第十六球目は、着実に近付いていた。





 状況を整理しよう。

 高石先輩は三年A組の秘密兵器で、決勝まで温存するため、今までマウンドに立たなかった。

 だから苦しい状況になるまで出てこなかった。


 僕はそう考えた。

 だが、違う理由があったらどうだろう?


 たとえば、そう、ど真ん中のストレートしか投げられない――


 言い方を変えれば、コントロールに難があるから投入できなかった、と考えれば?








 運命の第十六球目。


「――ひぎぃぃっ!?」


 本日二度目。

 高校球児が血と汗と涙を流して愛し追いかける情熱の白球が、僕のケツを再びえぐり、無遠慮に陵辱した。


 



 しかも今度はダメージ有りである。人体の奇跡は二度起こってくれなかった。

 返答さえ侭ならないほどの痛みに「ケ、ケツが……ケツが割れたっ……!」と悶絶する僕はプレイ不可と断じられ、一年B組ワーストナインは八人になる。


 高井君に背負われて退場する僕を見た瞬間、皆の緊張の糸が切れたそうだ。


 僕へのデッドボールで押し出し同点になるも、それ以上の得点は得られず攻撃は終わり、その後延長一回表の三年A組の攻撃で五点差のコールドゲームになった――と、保健室のベッドの上で、様子を見に来た柳君と高井君に聞かされた。





 こうして八十一高校夏の名物、球技大会は終わった。

 この球技大会で僕に残ったものは、勝利の栄光や仲間との絆――というのも、まあなくはないが。





 まず真っ先に答えるのは、「ケツのあざ」と「胸毛怖い」である。

 それ以外何も言えるわけがない。


 僕にとっての球技大会は、ケツに始まりケツに終わったのだった……





 ……なんだよこれ。








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