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#2-8 放たれし猟犬

「どうしたんだ?」

「誰だ、あの女の子は」


 鈴の音も、エルテの舞いも止まり、辺りには神事の厳粛な空気ではなく何事かと訝る見物人たちのざわめきが満ちていく。


 ――見物人にもエリの姿が見えてる? これは一体……


 倒れたっきりエリは動かない。

 エルテが駆け寄り助け起こそうとするが、彼女の顕現体からだは文字通り、雲を掴むような手応えだった。


「おい、どうしたんだ!」

『エリの拠り所が……壊されかけている……』

「何だと?」


 ぐったりとしたエリは言葉でなく心の声でエルテに答える。


「おばあさん! エリちゃんの『拠り所』ってなんです!?」

「拠り所? 山中の祠に宝玉の数珠が収めてあります。それがムルエリ様の御神体ですが……」


 こちらも見物人同様何事か理解していない様子で、宮司の老婆が混乱しつつ答えた。


「まさか……」


 闇に沈む木々を透かすようにエルテは、山のより高い方を見上げた。

 辺りに満ちた神気が薄れていくにつれて、エリとは異質で強大な何かの力がそこにあると感じられるようになっていた。


 エルテはようやく事態を察する。

 神様業の収支に関してはよく分からないが、エリは、存在の根幹を成す最も重要な神事の最中だ。これによって一年乗り切るための力を補給するのだとしたら、その儀式の直前のエリは最も弱っていることになる。と言うか、儀式を終えれば多少なり力を取り戻してしまうと言うべきか。

 街はお祭りで騒がしくなり、宮司の衆もこちらにかかりきりになって、蠢く者たちへの目配りがおろそかになる……


「どうすればいい!?」

『エリを連れていって……あの場所に……』

「……やってやる」


 エリの小さな身体をエルテは背負う。

 そして、足に力を込めて大きく跳躍した。


 現物人たちから驚きともなんとも言い難いような声が上がる。

 詰めかけた群衆の頭上を飛び越え、エルテは飛翔していた。

 これは特に魔法でもなんでもない、戦いの中で鍛え上げられた身体を勇者パワーでブーストした、ただの大ジャンプだ。

 地球と違いこちらでは、世界そのものの環境のせいなのか、戦いの経験を積んだ者の中に超常的な身体能力を発揮する者がある。エルテのパーティーメンバーだったグレンも、軽装時ならこれくらいやってのけるだろう。


 人垣を飛び越え、道無き山中に分け入って、エルテは険しい坂を猪のようにひた走った。


「異端狩りの連中の仕業か……! そうだよ、巫女を逮捕するなんて嫌がらせはオマケみたいなもんだ。

 これがあいつらの本来の仕事じゃねえか!」

『こうなることは分かっていた……突き刺さる敵意……街から感じた……』


 エリの声が聞こえて、はっとエルテは息を呑む。

 彼女は何もかも分かった上で滅びを受け容れていた。受け容れようとしていた。

 それは、何も変わっていなかった。

 ただ神事を強行できれば救われるのだと……これでエリは永らえるのだと、エルテが勝手に思っていただけで。


『止めるには戦うしかない……

 『神殿』に剣を向ければ……無事では済まないから……

 このまま消えるつもりだった……もう誰も巻き込みたくなかった……』

「余計な気ぃ使いやがって……!」

『お別れを……言うつもりで来たのです……

 でも、エリは……本当は……』

「もういい」


 山の中に少し開けた場所があった。


 そこには礼拝堂の主殿に似た建物があって、その建物を包囲する、陸上トラックもかくやという巨大なリング状の魔法陣が敷かれていた。

 青白く燃えるような聖なる光が立ち上り、辺り一帯をぼんやりと照らしている。


 むせ返るほどに濃厚な聖気をエルテは感じた。

 これは神の力を借りて行使する、神聖魔法の系列の術だろう。


「後は俺に任せとけ」


 エルテの背中から重さが消えていく。

 エリの仮の肉体は、溶けるように消滅した。


 魔法陣によって包囲された祠。

 その前には、どこかで見たような者たちの姿があった。


 喪服のように黒一色の、エルテにとっては学ランにも見える僧衣に、白糸で縫い取った聖印。

 それは『神殿』の暗部に属する者や、汚れ仕事を担当する者たちに共通の装いで、彼ら固有の制服ではないのだが状況からして明らかだ。

 彼らは異端狩りの戦闘員であると。


「おい、不法侵入者ども。ここで何してる」


 四人の戦闘員は、突如として現れたエルテにも驚いた様子も無い。

 リーダーらしき男が進み出て慇懃無礼に礼をした。


「これは勇者様。何故このようなお時間にこのような場所へ?

 我ら教皇庁所属『異端狩り』第七活動班、ローデス国王の勅許の下に正統なる活動を行っております」

「その儀式魔法を中断し、すぐにここから立ち去れ」

「なりませぬ。これは主より託されし、我らが務めなれば」


 問答をしている余裕など無い。

 折れる気は無いらしいと見るや、エルテは聖剣を手中に顕現させ一振りした。


 剣圧により、地面が深く抉られていた。

 威力は大したことないので実用性はあまり無いが、エルテは軽く魔力を込めて剣を一閃することで刃が届かない場所を斬ることもできた。


 祠を包囲する魔法陣が一部、地面ごと抉られて断ち切られた。

 青白い光がスパークし、魔法陣の光が徐々に弱まっていく。


「悪いな、手が滑った」

「なんと手荒い。ですが……」


 男たちから匂い立つような殺気が膨れあがる。


「これで我らも戦いの大義を得られるというもの。

 異端狩りに対する直接的活動妨害は、信仰への罪なり!」


 四人の戦闘員は醜悪なほどの怒りの形相でエルテを睨み付けていた。

 彼らは威圧的な僧衣を毟るように脱ぎ捨てると、やはり黒一色だが武闘家の修行着か、でなければジャージかという動きやすい戦闘服になる。

 そしてそれぞれに剣だの、連結組み立て式の長い棍だのという得物に手を掛けた。


「偽りの信仰を擁護し、教えに背く勇者などおぞましいことこの上ない。

 我ら、この地上にて神罰を代行せん。

 ()こそは正しき勇者が遣わされることだろう」


 異端狩りの男は、悪びれも憚りもせずに言い放つ。

 これには流石のエルテも慄然とした。世界を救ったエルテに対してさえ、未だにこんな事を言う者があるとは。


 勇者は世界に一人。

 この世界に新たな危機が迫っている以上、エルテが死ぬまで勇者の代替わりは無い。

 しかし逆に言えば、エルテが死ねば新たに別の勇者を召喚することができるのだ。


「誰だ。誰に命じられてこんなことをしている」

「……愚かな」


 これほどの大それたことをするからには、背後に何らかの陰謀が動いているのではないかとエルテは勘ぐった。

 しかし、異端狩りの戦闘員はそれを一笑に付す。


「正しき教えの道に照らせば、いつ如何なる時も、己の振る舞いに悩むことは無い。

 我々が、誰ぞに命じられて動いているだと? いかにも我欲で動く世俗の者が考えそうなことだ。

 神々のお示しになる道こそが我らの為すべきところ!」

「ああそうかよ!

 狂信者どもが自分てめえの権限めいっぱいまで好き勝手に暴走してるって認識でいいんだな」


 ぶつける先の無い苛立ちがエルテの中にはあった。


 ――シャーロットを置いてきて幸いだった……

   流石に一国の王女をこの戦いには巻き込めない。


 信仰を独占するため無慈悲な方針を示した教皇庁。

 目標達成のため手段を選ばなかった教区長。

 ただ上部組織の言いなりになるだけだった神殿長。

 そして、盲目的に『神殿』の正義を信じるのみの異端狩り。


 誰もが己の手元しか見ておらず、結果として『神殿』組織という巨竜はエリの信徒たちを踏み躙り、エリという存在を消し去ろうとしている。

 止めるためには、巨竜に喧嘩を売るしかない。


「なら俺も遠慮しねえ。力尽くでも止めてやる。

 てめえらふん縛って教皇庁に担ぎ込んで、教皇猊下にゃ土下座で詫びてもらうとするぜ!」

「不敬なり……!!」

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