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第三騎士団の文官さん  作者: 海水
キツネとタヌキ
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第六話 皇帝の視察と不安の種

「えっと、視察って……」

「午後からです」

「あ、そうだったっけ。あははは」

「……姫様?」


 キャスリーンがミーティアにお説教を食らっている。大事なことを憶えていないからだ。

 皇帝陛下による視察は午後からの予定だ。ローイックは午前中をキャスリーンによる散髪で潰し、やるべき仕事ができていなかった。昼食を早く済ませ、速やかに仕事に戻りたかったのだ。ローイックはお尻が落ち着かず、そわそわしていた。


「ローイックも、視察に付き合ってよね」


 キャスリーンがニコッと笑っている。笑顔だが、ローイックに選択の自由は許されてはいないようだ。


「……何故私が?」


 そもそもミーティアが付き添いで、それに副官のテリアかタイフォンが付いていれば事足りるはずだ。それなのに、キャスリーンから申し渡されてしまった。ローイックとしては、溜まりに溜まった書類を処理したかったのだが、キャスリーンの訴えるような眼差しに「分かりました」と折れるしかなかった。キャスリーンの頼み事には弱いのだ。


「視察の順序とか、決まってます?」


 皇帝陛下が来るならば、片付けをしなければならない。汚かったり雑然としていては、キャスリーンの、ひいては第三騎士団の評価が下がってしまう。分かっているならば先回りしてしまえば良いのだ。


「心配ないわよ。ミーティアがもうやってるわ」

「……とうに終わっております」


 漆黒の衣装に包まれたミーティアが、背後から亡霊の如く、ぬっと現れた。ローイックは「うわぁ」と悲鳴をあげ、顔だけ振り向いた。


「……私は亡霊ではありません」

「ミーティアさんは神出鬼没過ぎます」


 ミーティアは冷たい眼差しをローイックに向けた。ミーティアによるローイックの扱いは、悪い。何か恨みでもあるのかと疑いたいが、止めておいた。ミーティアの視線に、更に棘が加わったからだ。心を読まれたと思ったローイックの額からは、冷や汗が垂れた。


「そろそろ時間ですね」

「さて、表にいくわよ」


 ミーティアの合図でキャスリーンとローイックは椅子から立ち上がり、皇帝陛下を迎えに行く為に外に向かった。





「あー、いい天気です」

「ローイックは部屋で寝ちゃったから、知らなかっただけでしょ」

「いや、あの、その」


 ローイックはキャスリーンのジト目を避けるように視線を第三騎士団の建物に逃がした。

 第三騎士団の建物は石造りの二階建てだ。食堂や風呂、物置などの共同スペースは一階に集約されており、二階はローイックのいる事務所やキャスリーンの執務室、会議室などがある。


「いらっしゃいましたね」

「そうね」


 ローイックが二人が見ている方に目を向ければ、遠くに集団が見えた。こちらに向かって来るように見えるから、あれが皇帝陛下の視察団なのだろう。

 護衛の騎士達を引き連れた男性、現皇帝レギュラス・エクセリオン三世だ。キャスリーンの父親になる。キャスリーンと一緒で金色の髪に皇族の証である緋色の目。彫りの深い顔立ちで眼つきも鋭く、精悍という言葉がぴったりな男性だ。

 ローイックも帝国に連れてこられた時に謁見したっきりで、後は遠くから数回見たことがある程度の面識でしかない。そもそもモノである彼に、謁見の権利も無いのだ。


「陛下、ご足労頂きありがとうございます」


 代表してキャスリーンが挨拶をすれば彼は「うむ」と短く返してきた。

 エクセリオン帝国。

 人口二千万を超え、建国から七百年を超える地域の大国。北部に鉱産物を排出する山脈、南部に肥沃な大地を抱え、繁栄を約束されたような土地に築かれた大帝国だ。国内に大河ボマークが縦断しており、支流をあわせて交通の要になっている。

 アーガス王国とは南方で国境を接しており、戦争の原因は国境の策定であった。


「ご苦労様ね」

「はい、お母様!」


 優しく声をかけて来たのはキャスリーンの母親の第三皇后シレイラ・エクセリオンだ。髪こそ金髪だが、瞳は茶色だった。スレンダーな体形で、顔を含め、キャスリーンとよく似ている。

 ローイックは、にこやかに微笑む親子を見てはいなかった。視線が合うと難癖付けられてしまう可能性があったからだ。勿論レギュラス皇帝もシレイラ皇后もそんな事はいわないが、護衛の騎士達が下らないことで因縁をつけてくるのだ。そんな事は過去に何度も遭遇して、ローイックも懲りている。

 そんなローイックを見つめる視線が合った。レギュラス皇帝だ。緋色の鋭い眼光がローイックを捕らえていた。ローイックも気が付いて、一瞬だけ視線を動かした。そして視線は交差した。

 やばい。

 ローイックはそう思い、直ぐに視線を下に向け、身体を強張らせた。


「彼がローイックです。彼のおかげで第三騎士団の書類処理は滞ることなく、速やかに処理されております。騎士団を陰で支えてくれている存在です」


 ローイックの緊張を知ってか知らずか、キャスリーンが、ローイックが如何に貢献しているかを説明し始めた。護衛の騎士達の目が細くなっているであろうことは、下を向いているローイックにも容易く予想できた。皇女に名指しで褒められるなど騎士でも滅多にないことなのだ。

 そんな名誉なことを、モノであるローイックが受けるのだ。嫉妬の炎も燃え盛るだろう。ローイックは居心地の悪さを、身に染みて理解していた。


「ふむ、話は聞いておる。それに、来週アーガス王国から交易についての話し合いが持たれることになっておるしな」


 アーガス王国という言葉に ローイックは反射的に顔を上げた。そして又レギュラス皇帝と目が合った。緋色の鋭い光がローイックの全身を舐めるように吟味していくのを、金縛りにあったように身動きできず、ただ受けていた。


「向こうからくる使節団には女性も含まれていると聞いている。第三騎士団には彼女の警護を頼むことになる。よろしく頼むな」

「はい! お任せください!」

 

 レギュラス皇帝の言葉にキャスリーンは、胸を張って嬉しそうに答えていた。

 女性の騎士は、来賓の中の女性を警護するには打ってつけだ。男の騎士では女性の私的空間にまでは入っていけない。だからこそ、女性の騎士が役に立つのだ。

 帝国にはそれが二十人もいる。普通の国では女性の騎士など、二桁いればかなり多い方なのである。第三騎士団は、キャスリーンの我儘だけで発足したわけでは無いのだ。


「陛下、ご案内いたします」


 キャスリーンを先頭に、レギュラス皇帝の一団は第三騎士団の建物に入っていった。ボンヤリとしたローイックは、そんな景色を、朧げにしか見られなかった。










「ローイック、終わったよ?」


 キャスリーンがぼーっと立ち尽くしているローイックを呼んだ。が、その声は耳には入ってこなかった。ローイックは虚ろな目で、どこかを見つめていた。


「ちょっと、ローイックってば!」


 キャスリーンがローイックの目の前に来て、ぐいっと顔を寄せた。虚ろだったローイックの瞳に彼女の姿が移ると、ハッと顔を上げた。


「あれ、姫様。ちょっと、近くないですか?」


 意識を戻せば、眼前にほっぺを膨らませているキャスリーンの顔があったのだ。ローイックが叫びださなかったのは、キャスリーンの顔を見慣れていたからだ。


「聞いてなかったんでしょ、ひっどーい! もう知らない!」


 プンスカ怒るキャスリーンにローイックは為す術もなかった。ひたすら「すみません」と謝っていた。


「もう視察は終わりましたよ」


 ミーティアに言われ、漸くローイックも現状を把握した。考え事で周りが全く見えていなかったのだ。頭の中は祖国の事でいっぱいだった。

 四年間、頭の中に浮かび上がっては無理矢理意識の奥底に沈めていた祖国の名。その沈めておいた祖国への想いが、今回の視察で浮かび上がってしまったのだ。


「……考え事をしていました。あの、仕事に、戻ります」


 ローイックはそう告げると、そそくさと部屋に向かってしまう。





 そんな、丸くなってしまった彼の背中を、二人の女性はじっと見ていた。


「姫様。よろしいですか?」

「……なによ」


 ミーティアはキャスリーンに身体を向けた。それに対してキャスリーンは口を尖らせて、そっぽを向いてしまう。これから言われることが分かっているかのようだ。


「姫様の彼に対する想いは、よく分かっております。ですが、今、そんな事が宮中に知れてしまえば、間違いなく彼は此処から引き剥がされます」


 ミーティアの厳しい言葉に、キャスリーンは視線を逃がしたまま不貞腐れて「分かってるわよ」と答えた。そう言うしかできなかった、とも言える。


「姫様を嫁に迎えたいという貴族は、多いのです。彼らがこの事を知れば、必ず妨害をしてくるでしょう。時が来るまでは、姫様の想いは、心の奥に秘めておいてください」


 キャスリーンは、言い聞かせる様なミーティアの言葉にも「そんなの、分かってるわよ」としか、呟くことができなかった。手を握りしめ、口をぎゅっと結んで、何かに耐えていた。そんな主を見て、ミーティアは、ふぅと息を吐く。

 彼女は俯くキャスリーンをぎゅっと抱き締め、そっと頭を撫でた。


「今日は視察もあって、書類の処理も終わらないでしょう。彼を手伝ってあげては如何ですか? 彼は何か落ち込んでいる様子でした。姫様が近くにいれば、彼の気持ちも上向くでしょう」

「……うん。行ってくるね」


 ミーティアの腕の中で、小さいが張りのある声がした。

 まったく、手のかかる二人だこと。

 ミーティアの心の声は、誰にも聞こえないのだった。

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