第二話 お忍びと無表情な男
「んん……」
浮き上がって来る意識と閉じた瞼の向こうの光に、ロレッタは眠りから目覚めた。薄らと目を開けると、そこは寝る前にみた景色と一緒だった。ぼんやりとした視界の向こうにクルツが下を向い唸っているのが見える。彼が小さくため息をついた。上手くいっていないのだろうか。そんなことを思ってしまった。
だがそんな考えも一瞬でかき消された。自分が寝てしまった事に気が付いたのだ。知らない部屋で男性と二人っきりで寝てしまうなど失態だ。ロレッタは焦って自分を確認すると、いつの間にか服がかけられているの把握した。何かされた形跡はない。ドレスは簡単には脱げないが、触られたような跡もない。よく見るとこの上着は男性用だ。まさかと思いクルツを見ると、彼の上着はなく、下に着るシャツで仕事をしていた。
かけてくれた?
そんな疑問も浮かび上がるが、クルツは仕事に夢中のようだ。「だめだ、数が足りない」というボヤキ声も聞こえる。そうしていると廊下から音楽が聞こえ始めた。ダンスの曲ではなさそうだ。
「そろそろ終わりか」
クルツがそう言いながら顔をあげた。ちょうど彼を見ていたロレッタと視線が合う。彼は眉一つ動かさず「起きましたか」と言った。
「夜会終了の音楽が流れ始めました」
クルツがそう告げる。ロレッタも戻らねばならないが、宛もなく彷徨ったおかげで帰り方が分からない。王城に来たことはあるが、その時はネイサンと一緒で案内されただけだった。
「あの……」
「……送っていきましょう。閣下も心配されているでしょう」
クルツががたっと椅子から立ち上がった。
送られていく道すがら、ロレッタはクルツに礼を言った。春とはいえ夜はまだ冷える。風邪でも引かない様にとの配慮だったのだろう。
「礼を言われるようなことでもありません」
クルツのきつめの顔をに変化はない。
「疲れは取れましたか?」
ロレッタは逆に心配されてしまう。クルツはどう見てもロレッタよりも年上だ。気の使い方など同世代の男とは比べるべくもない。
水分を取って、お菓子も食べ、ちょっと寝たことで、体は格段に楽になっていた。一人で静かにしていたことで人酔いしたのも大分収まっていた。
「えぇ、おかげさまで」
ロレッタはにっこりと返事をしたが、クルツの表情は変わらない。ただ眼鏡のブリッジを指でくいっとあげただけだ。ロレッタはそんな彼の顔をしげしげと見た。
整った綺麗な顔だが、表情が乏しいのと眼鏡をかけているせいかきつめに見える。それが無ければ、なかなかの美男子だった。亜麻色の髪も耳にかからない程度で切り揃えられ、身嗜みには気をつかっているのも垣間見える。
なによりクルツはロレッタに興味を示さない。これがロレッタにとって一番興味が湧いた点だ。仕事人間というのが失恋した相手を思い出させるが、タイプが真逆だった。
そんな観察をしていると、廊下の先に杖を突いて人を探している風の人物が見えた。ネイサンだ。
「ここまでくれば、戻れますね」
クルツはにべもなく、そう言い放った。
「え?」
最後まで送ってもらえると思っていたロレッタは驚き、目を瞬かせる。
「私が行けば誤解を招きます」
彼はそう言うとロレッタに礼をし、踵を返した。
ロレッタが男性といれば勘繰られることもあるが、説明すれば良いだけではないのか。違うのだろうか。ロレッタはそう思い、彼の背中を見つめていた。
「ロレッタ!」
背後からネイサンの呼び止められた。どうやら気が付いたらしい。
「ロレッタ、どこに行っておった。随分探したのだぞ」
「王城が広くて、迷子になっておりました」
ロレッタは苦笑いしながら答えた。クルツがそう言うのならここでは隠しておいた方が良いのだろう。彼が気にしていたのはロレッタの方だったのだ。
本当のことは帰りの馬車で話せばいい。ロレッタはそう思った。
帰りの馬車の中でネイサンに話をしたところ、「アイツでよかった」と深いため息をつかれた。
何が良いのだろうか。
愛想はなかったが、きちんと対応してくれた。飲み物にお菓子まで。普通なら聞き流していそうなことまで覚えていた。それにロレッタの顔を見て直ぐに誰であるかを理解したのだ。確かに良かったと言えるだろう。
「えぇ、良くしていただきました」
寝てしまったロレッタに上着までかけてくれた。無愛想なりに気遣いができる人物ではあるようだ。年齢から察するに彼には奥さんがいて、だから女性の扱いには慣れているのだろう。無愛想だけど。などと取り留めなく考えている。
「今度からは勝手にうろついてはならんぞ。会ったのがクルツだから良かったものの、他の者なら取り返しのつかないことになっていたかもしれん」
そうネイサンに言われてしまうが、ロレッタもそれは分かっている。
「今後は気を付けます」
そう答えて、しゅんとしたふりをする。ネイサンがちらとロレッタを見てくる。言い過ぎたのかも、などど思っているのだろうか。
甘い。こんな事ではロレッタはへこたれないのだ。
夜会が終わった次の日から、ロレッタが滞在する屋敷には訪問客が絶えない。みなロレッタに会いに来るのだ。夜会ではあいさつ程度しか出来なかったからだろう。
「我が屋敷には花が咲いていてとても綺麗なんです。一度来てみませんか?」
「今度我が屋敷で母がお茶会を開くんです。一度いかがですか?」
「王都で有名なオペラがあるんです。一緒に見に行きませんか?」
毎日こんな感じで独身男性の襲撃を受けていた。
「まぁ、そうなんですの」
「いいですねえ、ぜひ」
などと適当に合わせてその場をやり過ごしていた。花ならロレッタがいる屋敷でも咲き誇っているし、お茶会はどちらかというと催す方が多い。公爵家故にお茶会の招待状が来るのは同じ公爵家と王家がほとんどだ。オペラは未成年の頃から連れていかれているから大抵の物は見てしまっていた。
そして数日もするとロレッタの堪忍袋は爆発した。
「もういや! 明日は逃げるわよ!」
ロレッタはお付きの侍女であるハンナにそう告げた。腰まである赤毛を三つ編みにしている、現在二十歳の侍女だ。歳が近いせいか、ロレッタの無茶な行動によく付き合わされている。見た目も境遇も、ちょっと幸薄そうな女性だ。
「逃げるって、どこへですか? 明日は、えっと、伯爵家の御子息がいらっしゃる予定だったかと」
ハンナはメモの紙を取り出し、確認している。
「だから逃げるのよ。もうやってられないわ!」
ロレッタは腰に手を当て、そう宣言する。どこに逃げるかなど考えていないが、ともかく屋敷にいたくなかったのだ。
翌日、朝食を済ませたロレッタはネイサンが王城へ登城するのを見届け、作戦に入った。母は領地でのんびりとしており、王都には来ていない。ネイサンが出かけたこの屋敷でロレッタを止めることのできる人物はいなかった。
「お嬢様、お止めになった方が……」
「黙っていれば分からないわよ」
ハンナが諫めるが、来客相手をするのが飽きたロレッタはいうことを聞くわけがない。化粧は抑えめにし、貴族が着るには品が足りないが町娘が着るには高い程度のワンピースに着替え、お供にハンナ人を連れ、ロレッタは王都に繰り出した。
馬車が行き交う王都の大通りを、ロレッタとハンナはゆっくりと歩いていた。大通りだけは石畳になっているが、一歩わき道に入れば地面は土である。ロレッタが訪ねたエクセリオン帝国は帝都全体が石畳だったが、アーガスはそうではない。この辺は国力の差であろう。
それでもロレッタの領地の街よりは断然栄えている。
「流石に王都ね。人も多いけど、お店も多いわ」
ロレッタとハンナは通りを挟んで賑わっている店を眺めていた。二人はぱっと見、商家のお嬢様とお付きの女性のようにも見える。そのためか通りを歩いていても目立っていない。
「果物も色々売ってますね」
ハンナは青果店の店先に並ぶ食べ物に夢中だ。領地に比べるとやはり品数が多く量も豊富で、アーガスが農業の国という事を証明している。
「屋敷のみんなにお土産で買って行こうかしらね」
「良いんですか?」
「みんなよく働いてくれてるもの」
ロレッタとハンナが店を見ながらそんな会話をしていると、後ろから声がかかった。
「もしや、ロレッタ嬢では?」
それは聞いた事のある淡々とした声だった。振り返り見れば、やはりあの時のクルツだった。深緑色の官僚の服に薄い灰色の外套を羽織り、表情が乏しい顔で、ロレッタを見てきていた。
「どなたか知りませんが、人違いです」
ロレッタはそう言い、ぷいっと顔を背けた。だがロレッタの心臓はバクバクとなっている。こんなにも早くばれてしまうとは思わなかったが、とっさに嘘をついた。頑張って平静を装って、嘘がばれないようにする。
「……そうでしたか、それは失礼しました」
彼は少し間をあけてそう言うと、その場から離れていった。意外にあっさりと騙せたことに驚いたとともに、ちょっと寂しくもあった。いつもちやほやとされているロレッタにとって、この様なそっけない対応は余りされないからだ。
「お嬢様、今の方は? 王城の官僚のようでしたが」
ハンナが困ったような顔で聞いてくる。ちょっと戸惑っている様子だ。ただこの娘は幸薄い顔をしているのでそう見られやすいのだが。
「クルツって人で、先日の夜会の際に知ったの」
「へぇ……素敵だとは思うんですけど、ちょっと怖い人、ですね」
ハンナは彼の無表情を怖いと判断したようだ。確かに初対面でアレを見たら怖いと思うかもしれない対応ではあった。
「でも、気配りというか、細かいところまで気が付ける人みたいね」
ロレッタの第一印象はこうであった。夜会であった若い男性に比べれば、大人だった。
所用で街に出かけていたクルツは王城に帰るとその足でネイサンの執務室へと向かった。ネイサンは宰相から退いたとはいえその交代は突然であり、それまでの政策などの引継ぎが十分でなかった事と、引退させるにはまだ早いと国王に判断され、対帝国の小麦の病気対策を任されていた。
「閣下、少々お話が」
ネイサンの執務室には基本的には誰もいない。個人の執務室で部下は他の部屋にいて、クルツもその部下の1人だ。
「街娘の格好で大通りにいただと!?」
「お付きの侍女はいましたが、せめて護衛を付けるなりしませんと」
クルツの報告にネイサンは眉を顰めた。今日は貴族の子息の訪問を受けているはずだった。当然屋敷にいると思っていたのだ。
貴族の令嬢がお忍びで街を散策するのはよくある事だ。屋敷に籠りっぱなしも暇というのも理解できる。が、その場合でも護衛を付けるのが普通だ。護衛なしで、しかもそれが公爵令嬢など、言語道断と言っても差し支えない程だった。
「他に知っている奴はいるか?」
ネイサンは額に手を当て考えつつ、低い声でクルツに問うた。
「いえ、私だけです」
クルツは変わらず無表情で返事をする。
「そうか……すまないが、後をつけて見てやってくれないか。護衛をつけたいところだが、他の人間に知られると、それはそれで不味い。まぁ、お前が付いていれば安心だ」
ネイサンが眉間に人差し指をあて、解している。頭が痛いのだろう。
「構いませんが、ちゃんと教育をしてあげてください。彼女の地位は、彼女自身を守ってくれるということを」
クルツはやはり無表情だ。だがそれを聞いたネイサンは唇を噛んでいた。
「……すまんな、お前にそれを言わせるつもりは無かった」
「いえ、お気にせずに」
クルツはそう言うと、ネイサンに礼をし、部屋を出て行った。




