第三十二話 女のケジメ
男と来れば、女です。
ロレッタとの決着がついてから数日後、ネイサンとロレッタ親子は帰国することになった。当初目的である麦の病気に対する援助とその見返りの条約締結が纏まったからだ。勿論アーガス王国の国王の印璽がないままでは条約締結は完了しない。このためにも帰国は必須だった。
帝国に残るのは怪我をしているローイックとその護衛のハーヴィーの二名。人質になっていたジョン・ウィドーソンとオーガスタス・パーマーは帰国の途に就く。
良く晴れた春のさわやかな風の中、早朝にもかかわらず宮殿前の広間には馬車が連なり、アーガス側の騎士達は馬の世話をしていた。
「俺は残ることになってるから、ネイサン閣下とロレッタ嬢を無事に国まで送りと届けてくれよ!」
ハーヴィーは国に帰る騎士達に発破をかけていた。来た時同様に南関門まではエクセリオン帝国側の騎士も護衛に着く。ロレッタがいるから第三騎士団も数人加わることになっている。
ローイックとキャスリーンは見送りの為にハーヴィーと共に宮殿前に来ていた。早朝ゆえに、帝国側からの見送りは少ない。その中でもヴァルデマルの姿はあった。ネイサンと挨拶を交わしているようだ。
「ローイック」
杖をつきながらネイサンが歩いてきた。寄り添うように純白のワンピースのスカートを揺らすロレッタと、にこやかな笑みを浮かべるヴァルデマルもローイックに向かって歩いてくる。
「ネイサン閣下、おはようございます」
「おはようローイック、キャスリ-ン殿下。殿下は今日も麗しいですな」
ネイサンはローイックをスルーしてキャスリーンの元へ向かい、深々と頭を下げた。
「あぁ、ありがとう」
ネイサンはローイックそっちのけでキャスリーンと話をしている。その脇からロレッタがキャスリーンの前に立ち、ふわっと微笑んだ。キャスリーンも一瞬驚いたがすぐに表情を引き締める。辺りには二人が醸し出す気まずい空気が流れ始めた。
だがローイックは黙って二人の成り行きを見守ることにした。ロレッタにはちゃんと話をした。彼女も納得したのだ。ここでキャスリーンに喧嘩を売るようなことはしないと、ロレッタを信じることにした。
「キャスリーン殿下。大変お世話になりました」
ロレッタは優雅にスカートを摘まみ挨拶をした。キャスリーンは騎士の礼で答える。キャスリーンは相変わらず白い騎士服に身を包んで凛々しい出で立ちだ。ロレッタとキャスリーンが並んでいると、お似合いに見えてしまうローイックは、ちょっと悔しいと思った。
「あまりお相手できず、申し訳ない」
キャスリーンは苦笑いで非礼を詫びた。二人は視線を逸らさずに見合っている。漂う剣呑な空気に、数瞬、周囲の時間が停止したあと、ロレッタが先に口を開いた。
「殿下がローイック様を泣かせたら、私が取り返しに来ます」
「それは絶対に無い、心配無用だ」
ロレッタの言葉にキャスリーン即答した。キャスリーンもロレッタも背筋をピンと伸ばしている。まるで演劇でも見ているかのようだった。
しかしキャスリーンは更に続ける。
「私が望んだ伴侶にそんな事はさせない。ね、旦那様?」
キャスリーンはローイックに振り向き、笑顔を見せた。ローイックが大好きな、無垢な少女の笑みだ。その笑みにローイックは息をのむが、直後に引きつった笑みに変わった。この場にいる皆の視線がローイックに集中したのである。
皇女自らの発言で縁談の噂が確定。更に相手がローイックだと暴露された挙句、その男が目の前にいるのだ。視線が集まるのは当然と言えた。
「ちょっと姫様! それは不味いですって!」
「なによー、あたしを逃がさないって言ってくれたじゃなーい」
突然の事にオタオタするローイックに対してキャスリーンは可愛くプゥとふくれた。いつもの凛々しさがどこかに家出してしまったようだ。
「い、言いました。確かに言いました。でも、それをここで暴露しなくてもいいじゃないですか!」
ローイックは額に汗を浮かべ、必死に沈静化を図っているが、キャスリーンはそうするつもりは無いようだ。そもそもローイックも認めている時点で、自ら墓穴を掘っているのだ。
「ふふーん、世の中言ったもん勝ちなのよ!」
「そ、そんなぁ」
キャスリーンは勝ち誇ったかのように、ニカっと笑った。
それを見たロレッタは口を開け、驚きに目を丸くしている。凛々しかったキャスリーンが目の前で普通の女の子になってしまったのだ。受け応えるローイックの口調からも、二人の親密さが嫌でも伝わるのだろう。ロレッタは少し寂しそうな顔でぽつりと呟いた。
「そっか、皇女様も女の子だもんね。外面は取り繕わなきゃいけないけど、ローイック様の前では、普通の女の子なんだ。やっぱり、負けかぁ……」
皇女が皇女でなくなる相手。取り繕わなくてもいい、本心を見せられる相手。それがローイックなのだと、悟ったのだ。
「はぁ、文句を言う気にもなりません」
苦笑いのロレッタが盛大なため息をついた。周囲は、キャスリーンの変貌にざわつきが収まっていない。
「ふふ、文句を言われても、渡す気はないぞ」
凛々しさを取り戻したキャスリーンは笑みを浮かべ、堂々と言い返した。
「……本当に御馳走様です、キャスリーン殿下。今度お会いする時は、私も素敵な殿方をお連れして、この倍にしてお返しさせていただきますわ!」
ロレッタは令嬢らしくそう言うと、スカートをひるがえして、馬車へと歩いていった。リスの尻尾の様な亜麻色の髪が左右に揺れている。昨日のことは引きずっていなさそうなので、ローイックはちょっとホッとしていた。
「キャスリーン殿下。娘が、大変失礼な事を……申し訳ありません」
「いや、こちらこそ、彼女には申し訳ない事をした」
ネイサンが汗をかきながら頭を下げたが、キャスリーンはロレッタを擁護した。こう言わないとネイサンの立場が危うくなるというのもあるが、ローイックから手を引いて貰ったという負い目もあるのだ。キャスリーンは少し寂し気な眼差しで、ロレッタの揺れる亜麻色の髪を見つめていた。
「……時にローイック」
気を取り直したネイサンが、低い声で話しかけてきた。その眼つきは鋭く、ローイックは少し嫌な予感がした。
「お前、我々を出迎えたあそこで、殿下にとんでもない事をしてくれたようだな」
射殺すほどの視線と地の底から漏れ出る様なネイサンの低い声に、ローイックの心臓が跳ね上がった。レギュラス皇帝に知られ、ここでネイサンにも知られていたことを知ったからだ。ローイックは知る由もないが、この事は、宰相同士の会談の最後にヴァルデマルから知らされた。この事があって、交渉では実際にはアーガス側が負けていたのだ。
皇女をかどわかしたのであれば、例えそこで行為がなされていなくとも、アーガス側は謝罪するほかない。宰相同士が戦う前から勝負はついていたのである。
「正式な発表までに身籠らせてしまうような醜態は晒すなよ」
ローイックだけに聞こえるように、ネイサンは囁いた。というか、脅した。これ以上アーガスの不利益になる様な事はしてくれるな、という特大の釘だった。
そんな裏の事情など全く知らないローイックは、血の気が引き、真っ青になって混乱した。事実ではあるが、その情報が勝手に独り歩きをし、どんどんと大きくなっていたのだ。もはやローイックがどうこうできる話ではない。
「は、はい……」
ローイックはかすれ声で返すのが精一杯だった。




