第二十六話 ロクデナシ
骨折の時は、酒はダメですよ!
翌日、久しぶりにアルコールを摂取したからか、酷い二日酔いと左腕の痛みに苛まれながらも、ローイックは何とか起きた。ズキズキと痛む左腕を押さえ、頭を振る。
「なんてことを……」
昨晩の事を反芻してローイックは頭を抱えた。酒の席での勢いとはいえ、ハーヴィーにはあれやこれやと白状してしまったからだ。後悔は先には立たない。後に立つから後悔である。ローイックはその言葉を、身をもって知った。
「よぅ、やっと起きたか」
声のした方に顔を向ければ、既に身支度を完了したハーヴィーが、ニヤケ顔で立っていた。その脇には昨晩後ろに控えていたキャスリーンの侍女が二人控えている。恐らくはローイックの着替えの手伝いだろう。
非常に、非常に気まずい。
ローイックは背中に冷や汗を感じながらも、平静を装った。髪をかき上げ誤魔化す。
「今何時なんだ」
「七時は過ぎたな」
「不味い!」
ローイックは愕然とした。第三騎士団に急がないと、と思ったところで我に返った。昨日、追い出される様にして去ったことを思い出したのだ。
「あぁ、行かなくても良いんだったな……」
ローイックの声は、終わりに行くにしたがって低くなっていった。
「宰相閣下の所へ行くんだったね」
「はい。ご案内いたします」
部屋でハーヴィーと共に朝食をとったローイックは、青い詰襟を着た文官に案内され、宮殿の広い廊下を歩いている。ローイックも文官服だ。これ以外の服など、持ち合わせていない。アーガスからも持って来てはいないのだ。
だがこの服の方がかえって目立たなくて済む、という考え方も出来た。
「ハーヴィー。ネイサン閣下とロレッタは?」
ローイックは後ろからついてくるハーヴィーに顔だけ向けた。
「帝国の貴族と繋ぎを作るとかで、朝早く出かけたらしい」
「……そうか」
ハーヴィーがここにいるということは、護衛はアーガスからの騎士達と、おそらくは帝国の騎士達だろう、とローイックは推測した。身の安全は、保証されるだろう。
ロレッタがいないのは、ローイックにとっても都合は良かった。常に纏わりつかれていると、流石のローイックも疲れるのだ。
廊下が十字に交差する箇所でふと左方向を見れば、遠くにキャスリーンが見えた。隣にはタイフォンかテリアであろう、よく似た女性もいる。白い騎士服を着ているから、これから騎士団に向かうのだろう。
ローイックは無意識に足を止めた。だがキャスリーンはローイックに気が付くことなく、違う方向へと歩いて行ってしまう。キャスリーンが見えなくなっても、ローイックは視線を戻すことができず、その場に立ちすくんでいた。例えようもない空虚感がローイックの胸を締め付ける。
「……ローイック。行くぞ」
「……あぁ」
ハーヴィーから声がかかる。行かなければならない。ずっとここに留まろうとする足を床から剥がし、何かを振り切るように、ローイックは一歩を踏み出した。
「おはよう、ローイック君」
ヴァルデマルの執務室に連れてこられたローイックは、ハーヴィーと共にソファーに座らされていた。宰相の執務室ともなれば隣の部屋に休憩室もあり、ベッドも備え付けられているのだ。もちろん激務で屋敷に戻る事が出来ないからであるが。
「今日から君の身柄は私が預かることになった」
ヴァルデマルは機嫌が良いのか、表情がちょっと緩んでいる。ローイックはそんなヴァルデマルの顔を訝しげに眺めていた。頭の中で考えるが、何が彼をそうさせているのかは、思い当たらない。
「よろしくお願いします」
ローイックは深々と頭を下げた。
真意は分からないが、相手は帝国の宰相である。失礼のないようにしなければならない。
「まぁ、宰相付きと思ってくれれば結構だ。会議などにも一緒に出席してもらう。空いた時間は自由にして貰っていい。ただし、宮殿外に行くときは事前に教えてくれたまえ」
ヴァルデマルは一気に説明をしてくる。ローイックが質問する隙を与えてくれない。言いきられてしまい、受けざるを得ない状況だ。強引に運んでいくこの辺りが、経験の差なのだろう。
「会議などに私が出席することは、機密上問題がありませんか?」
いくつか聞きたい事もあるが、ヴァルデマルが何かの支度を始めてしまい、この質問しかできなかった。
「会議も全てが機密な訳ではない」
ヴァルデマルはこう言い切った。気密性の高い会議には出なくても良い、という事だろう。
「今から会議がある。行くぞ」
「え……ちょっと」
狼狽するローイックなど気にもしないヴァルデマルが資料を小脇に抱え、部屋を出て行こうとする。ローイックは口を開け、動けなかった。
「私は如何にすればよろしいでしょうか」
ハーヴィーの言葉にヴァルデマルは「会議室の前で警備の騎士と待っていてくれ」と伝え、歩いて部屋を出てしまう。宰相だけに忙しいのだろう。ローイックとハーヴィーは顔を見合わせた。ともかくヴァルデマルの後を追いかけることにした。
会議はとにかくローイックにとって居心地が悪いものだった。モノ扱いであったローイックが宰相にくっついて会議に出ているのだ。会議自体は、麦の病気の対策についてだった。アーガス王国と合同で対処することになっているらしく、ローイックも全く関係がないわけでは無かった。が、彼らが嘲りの目で見てくるのは、仕方のない事だ。ヴァルデマルが説明したとしても、だ。
そして、納得のいっていない者が、此処にもいた。第一騎士団長の執務室で、とある御仁が騒いでいた。
「はぁ? なんでそんな事になってんだ?」
「そ、それが、取引の条件とかで」
「ふざけんな!」
第一騎士団長ホーク・アレイバークは猛っていた。報告しに来た部下の騎士の胸ぐらを掴み、激しく揺すっていたのだ。麗しい金髪で優男のはずの彼の顔は、怒りで醜く歪んでしまっている。
「モノがいきなり侯爵に復帰で、客扱いとか、理解できねえ!」
ホークは腕を払い、掴んでいた男を放り投げた。投げられた部下は床に尻を強かに打ち付け、呻き声を上げた。
「で、ですが、陛下の許可を得ているとかで」
「うるせぇ!」
ホークは縮みあがる部下に怒鳴り、机の上を手で払い、書類を全て床にぶちまけた。彼はローイックに馬鹿にされたことを根に持っていた。夜中に襲撃しローイックに大怪我を負わせてもなお、憎み足りない様だった。
「わ、悪い事ばかりじゃないんです」
投げ出された男は立ち上がった。ホークはその先を促すかのように、彼を睨み付ける。
「そ、そいつは、第三騎士団から出て行くとこになって、今は宰相付になっているようです」
彼の報告にホークはニヤリと口角を上げた。
「ってことは、あのやせっぽっちは、皇女からは離れたってことか!」
「はっ! その通りです!」
以前ホークがキャスリーンに言い寄った時に、邪魔をしたのがローイックだった。その時のキャスリーンの嬉しそうな表情は、いまでもホークの目に焼き付いているのだ。それがホークは気に入らない。皇女が、あからさまにローイックに対して好意の眼差しを向けたことが。
ホークはキャスリーンに好意を持っているわけでは無い。彼の欲しいものは、その地位だ。キャスリーンの顔は整っているが、彼はお転婆娘には興味はなかった。自分の言う事を聞く女がいればよいのだ。
ローイックが客となったことには腹が立つが、邪魔ものがいなくなったことは歓迎している様だ。
「女なんてな、強引に連れまわすくらいが丁度いいんだよ。ちょっと甘い顔すりゃ、すぐだぜ。はははっ!」
ホークは大声で笑った。彼は自らの容姿と身分に、絶対の自信を持っている。長身ですらりとした体に甘いマスクの優男。そして公爵の跡取り。超がつく優良物件だ。
「ですが団長。あの侯爵令嬢はどうするのですか?」
ホークには現在侯爵令嬢の恋人がいる。ただ婚約をしたわけでは無い。相手の令嬢は望むだろうが、決定権はホーク側にあるのだ。
「手切れ金でも渡しときゃ黙るだろ。ギャーギャー言うようなら手籠めにしちまえばいいだけだ」
ホークはつまらないものを見るような目で、事もなげに言い捨てた。報告をした騎士は一瞬やるせない顔をしたが、直ぐに口をぎゅっと締めた。
「さて、早速口説きに行くかな」
ホークは楽しそうに鏡を見ながら髪を梳かし、詰襟を直しながら、キャスリーンに対しての作戦を練っていた。ホークは、失敗など考えられないという、自信に満ちた顔をしている。鏡に映る優男は、爽やかな笑みを浮かべていた。




