分かってるよ。
翌朝、目を覚ますとリオネルが横で眠っていた。
その片手はわたしの片手と繋がっている。
……一晩中、握っていてくれたんだ。
遅くまで起きていたのか、わたしが体を起こしてベッドが揺れても起きる気配がない。
そっとその頬に触れる。
わたしとは違って脂肪の少ない、でもほどよく弾力のある、さらりとした肌は触り心地がいい。
まだ少しぼんやりする頭で考える。
ワディーウ様が刺された時、真っ先に頭に浮かんだのはリオネルの姿だった。
抱き締められた時、それがリオネルであることに何よりも安堵したし、呼びかけに即座に応えてくれたことも嬉しかった。
結婚した日の夜に告白されてから、ずっと考えていた。
わたしはリオネルを恋愛的な意味で好きなのか。
そういう意味で愛することが出来るのか。
友愛と恋愛は違う。
ずっと、リオネルに対して感じるのは友愛や親愛の情だと思っていた。
でも、告白されて以降は自分の気持ちに訊ね続けた。
少なくとも、わたしはリオネル以外で胸を高鳴らせたことがない。
ラシード王国に来て、この国の人々がわたしに好意的なのは嬉しいが、だからと言って整った顔立ちの男性を見てもドキドキすることはなかった。
それなのに、リオネルといるとドキドキする。
楽しくて、毎日が充実していて、一番安心出来る人。
そしてきっと、わたしを誰よりも愛してくれている。
「……普段は尊大なくせに」
結婚した日の夜、リオネルはわたしに『好きになる努力をしてほしい』と言った。
自信家なリオネルならば『俺を好きになれ』くらいは言っても不思議ではないのに、多分、わたしに選択肢をくれたのだ。
わたしのほうから契約婚を持ちかけたのに。
もしかしたらわざと選択肢を用意したのかもしれないが、そうだったとしても、思えば、最初からわたしの気持ちは決まっていた。
……結婚してもいいと思えるくらいリオネルのことが好き。
だけどリオネルはいつも女性からの告白を断っていたし、そういうことに関してあまり話すことがなかったから、興味がないのだと思っていて。
だからわたしも自分の気持ちに蓋をしたのかもしれない。
これは友愛や親愛であって、恋愛感情ではない。
そう思うことで友人として付き合ってきた。
……わたし達、遠回りしてたのかな。
長く友人として付き合ってきたから、感覚が鈍っていたのだろう。
リオネルはいつだってわたしに好意を示してくれていたが、わたしはそれを友愛と思い込むことで自分の心を守って、でも、リオネルには酷いことをした。
触れるのも、触れられるのも、リオネルだから嫌じゃない。
ずっと一緒にいるならリオネルがいい。
「……努力なんて必要なかったんだね」
だって、わたしの中にはいつでもリオネルがいた。
頬に触れているとリオネルの睫毛が震え、黄金色の瞳がぼんやりとした様子でこちらを見つめる。
朝に弱いところはやっぱり可愛い。
リオネルの両頬に触れて、そっと顔を寄せる。
「リオネル、大好き」
初めてのキスは好きな人と。
唇が重なり、触れるだけのキスをして、顔を離す。
黄金色の瞳が瞬き、そして、一瞬でリオネルの顔が真っ赤になって長身が飛び起きた。
「なっ、ど、はっ!?」
こんなに動揺するリオネルを見るのは初めてだった。
口元を片手で覆い、驚愕の表情を浮かべているが顔は赤い。
「『何故、どうして、はあっ?』ってところ?」
「っ、お前、自分が何をしたか分かっているのか……!?」
「分かってるよ」
食い気味に返したわたしにリオネルがまた目を瞬かせる。
その首に腕を回し、リオネルに抱き着いた。
「あのね、わたし、リオネルのことが好き」
リオネルの体が硬直したが、構わずに体を寄せる。
薄い夜着越しに感じる体温が心地好い。
わたしと全く違う、筋肉の感触にドキドキする。
「恋愛的な意味で、好きなの」
見つめれば、リオネルの顔が更に赤くなった。
耳まで染まっていて、それが可愛くて仕方がない。
いつもはリオネルに押され気味だけど、今だけは、わたしがリオネルを押している。
リオネルが赤い顔のまま呟く。
「……急すぎるだろう……」
「そんなことないと思うけど。でも、昨日の事件でハッキリと気付いたの。わたしの心に一番にいるのはリオネルだなって」
回していた腕を戻し、リオネルの唇に触れる。
「さっきみたいなこともリオネルなら嫌じゃないよ」
リオネルの手がわたしの手に重なる。
「それなら、もう一度してもいいか?」
「うん、いいよ」
目を閉じれば、唇に柔らかい感触がそっと触れる。
恐る恐るな感じに、まだ半信半疑といったリオネルの心情が感じ取れて面白い。
……初めてのキスはレモンの味じゃないけど。
幸せな気持ちでいっぱいになれるキスだった。
唇が離れるとベッドへ押し倒される。
「これ以上のことも、することになるんだぞ?」
朝日に照らされてリオネルの黒髪が艶々と輝いている。
黄金色の瞳が瞬く度に煌めくのが美しい。
「リオネルこそ、わたしとすることになってもいいの?」
「……俺はずっとそれを望んでいる」
低く掠れた声には熱がこもっていた。
近づいてくるリオネルの顔に目を閉じる。
頬に触れる大きな手の熱さから、リオネルが意外と緊張しているのが伝わってくる。
……リオネルだからこそ、怖くない。
そう思った瞬間、トントン、と部屋の扉が叩かれた。
そのすぐ後に扉が開く音がして「えっ」と二つの声が重なり、一瞬の後に「失礼しました……!」と侍女の慌てた声がして扉の閉まる音がした。
目を開けると、すぐそばにリオネルの顔がある。
まさかこのタイミングで起こしに来るとは。
硬直していたリオネルがわたしの横へゴロリと寝転がる。
「……クソッ、想定外ばかりだ……」
どこか悔しそうな声で呟くものだから笑ってしまった。
「あはは、今凄くいい雰囲気だったのにね!」
「それを自分で言うか? 最高の場面、最も続きが気になるところで物語が終わった時のような気分だ。喜怒哀楽を一瞬で味わう日が来るとはな」
「何それ、感情のジェットコースター?」
「じぇっとこーすたー?」
「ううん、何でもない」
とにかく、横に寝転がるリオネルは苦虫を噛んだような顔でベッドの天蓋を睨みつけている。
その頭に手を伸ばして黒髪を撫でる。
よしよしと撫でているとリオネルが横向きになった。
「帰ったら覚悟しておけ」
それにちょっと、笑いすぎたかなと反省する。
「お手柔らかにお願いします……」
その後、起き上がってベルで侍女達を呼んだ。
侍女も侍従も先ほどのことなどなかったかのように振る舞っていて、それが逆にあからさますぎて面白かった。
……結婚したのにそういうことはしてなかったからね。
侍女達にとってもきっと予想外だっただろう。
* * * * *
朝食後、少し時間を置いて、第二王子殿下が訪ねて来た。
ソファーから立ち上がって出迎えると、何故か第二王子殿下がわたし達を見て、ピタリと動きを止めた。
『……お前達、なんか雰囲気が違ってないか?』
え、と驚いたものの、すぐに理由が分かった。
リオネルとの距離が近いことと、リオネルの手がしっかりとわたしの腰を抱き寄せていて、どことなくリオネルの機嫌が良い。
身支度をして、朝食を摂ってから、ずっとリオネルがご機嫌である。
……やっと両想いになったんだもんね。
そう思うと急に気恥ずかしくなってくる。
どんな顔をすればいいのか分からなくて俯くと、リオネルにギュッと抱き寄せられた。
『まあ、いいけどよ。ワディーウのところへ案内してやるよ。今朝、様子を見てきたけど元気だったぜ』
ついて来いと手で示され、リオネルと共に後を追う。
今日は侍女と侍従がついて来るけれど、昨日の件もあってか、ラシード王国のメイドは誰もつかなかった。
宮殿の中を通り、奥へ向かう。
『ワディーウも英雄とウンム・クルスームに会いたがってた』
治療所は思ったほど離れておらず、複数ある白い扉の一つの前で第二王子殿下が立ち止まり、扉を叩く。
結構、雑な叩き方だった。ゴンゴンと音が響く。
中から声がして、第二王子殿下が遠慮なく扉を開けた。
『連れてきたぜ』
中へ入った第二王子殿下がすぐに横へずれる。
白で統一された清潔感のある部屋のベッドにワディーウ様がいた。上半身を起こしており、目が合うと笑顔を浮かべて両手を広げた。
「バタル、夫人、お会いしたかったデス!」
しかもベッドから立ち上がったので驚いた。
けれども、ワディーウ様はふらついてしまい、それを第二王子殿下がサッと支える。
『おっと……殿下、ありがとうございます』
『いきなり立つなよ。まだ血が足りないんだろ?』
『ええ、まあ……』
ゆっくりとまっすぐに立ったワディーウ様が笑った。
「バタルと夫人のおかげでこうして生きていマス。あなた方は命の恩人デス。本当にありがとうございマス。感謝をしてもしきれまセン」
こちらへ歩いて来ようとするので慌てて駆け寄る。
「ワディーウ様……!」
「傷はもう完治しているのですが、流れた血は治癒魔法では戻らないので、少し血が足りないだけデス。他はもう元気デス。ご心配をおかけしまシタ」
「そんな、気にしないでください。ワディーウ様が生きていてくださって本当に良かったです……!」
近づいてきたリオネルが手を貸し、ワディーウ様はベッドへ戻った。顔色もそれほど悪くはないように見える。
本人の言う通り、貧血ではあるのだろうけれど、ああして立って動いても何ともないワディーウ様の姿に視界が滲む。
昨日からわたしの涙腺は崩壊してばかりだ。
泣くわたしの頬にリオネルがハンカチを当ててくれる。
それを受け取り、涙を拭うが、なかなか止まらない。
ふんわりとワディーウ様が微笑んだ。
「皆から聞きまシタ。私の心臓が止まり、皆が諦めかける中、バタルと夫人は諦めずに治療を続けてくださったト。昨日の夜、妻と子供達が会いに来てくれまシタ。家族で笑い合えることの幸せを感じまシタ」
リオネルが小さく首を振る。
「私は妻の指示に従っただけです。礼ならば妻に言ってください」
「ありがとうございマス、夫人。あなたは本当に幸運の女神の使者デス。どうお礼をすれば良いのカ……」
ジャウハラ様と同じことを言うワディーウ様に、二人の血の繋がりを感じて笑みが浮かぶ。
「それについては王太子殿下とジャウハラより、定期的にカッファ豆をいただくことになりましたので」
「そんなものでは足りまセン!」
「我が国にとっても、わたし達にとっても、大切な友人を助けることが出来たこと。それだけで十分です。もし、どうしてもとおっしゃるのでしたら、今後も両国の友好のために尽力していただけたら嬉しいです」
ワディーウ様が今後もラシード王国の使節団長として立ってくれれば、きっと両国の関係はより良いものとなるだろう。
穏やかで、優しくて、気遣いが出来て、博識な人だ。
これからも使節団長として頑張ってほしい。
リオネルがわたしの肩を抱く。
「諦めてください、ワディーウ殿。妻はこういう人間です」
「……分かりまシタ。改めて、お二人の勇気に感謝しマス。こうして生き返ったのも神のご意志。両国のために、今後よりいっそうの努力を惜しみまセン」
真剣な顔でそう言ったワディーウ様に頷く。
「そのためにも今はよく休んで体調を戻してくださいね」
「ハイ、夫人もご無理をなさらないよう二」
「そうします」
第二王子殿下がベッドの縁に腰掛ける。
『沢山肉食って、よく寝ればすぐに血も増えるさ。しばらくは血の気の多い肉を出すよう言っておくぜ』
『内臓などは好きではないのですが、仕方ありませんね』
『いい大人が好き嫌い言うなよ』
ははは、と室内に明るい笑い声が響く。
……また、ワディーウ様の笑顔が見られて嬉しい。
ワディーウ様にも家族がいて、大切な人がいて、ワディーウ様を慕ってくれる人もきっと多いのだろう。
怖くてもあの時、行動出来て良かった。
『あ、そうだった。父上が今日の午後、英雄とウンム・クルスームと是非、話がしたいってさ』
第二王子殿下の言葉にちょっと胃が痛くなった。
……気が休まる暇がない……!
しかし、国王陛下は元々リオネルと話がしたいとおっしゃっていたので、どちらにしても滞在中に会うことにはなっただろう。
『時間については予定を調整するらしい』
『かしこまりました。本日の午後は予定もありませんので、いつでも陛下の良い時にどうぞ、とお伝えください』
『ああ、そう伝えとく』
少しだけワディーウ様と話してから、部屋に戻った。
治癒魔法で怪我は治っても、流れた血と疲労した体がすぐに良くなるわけではないので、長時間の面会は負担になる。
第二王子殿下が部屋まで案内してくれた。
『午後は父上の侍従が迎えに来ると思う。それと、ワディーウの見舞いに行ってくれてありがとな』
言うだけ言って『じゃあな』と第二王子殿下は去った。
部屋に入り、ソファーへ座れば、リオネルが横に来る。
言葉はなかったが抱き締められた。
しばらく、そうして二人で過ごしたのだった。




