予想以上の暑さだね。
ワディーウ様達に言われて夜は早めに就寝し、翌朝、日が昇るのとほぼ同時にシャマルの街を出発するために早起きをした。
それまでは馬車だったが、今日からはラクダで移動である。
近くで見たラクダの印象だけど、とにかく思っていたよりも大きくて、つぶらな瞳と長い睫毛、おっとりとした雰囲気が可愛いような気もする動物だった。
でもこれで水を飲むのがとてつもなく早い。
あと、こぶに貯めるからか一度に大量に飲める。
思わずリオネルと二人で、ラクダが水を飲む様子をじっくり眺めてしまった。
「ラクダは砂漠に欠かせない生き物デス。特に移動では、他の馬やロバに比べて多く荷物を運べますし、こうして街で水を飲ませておけば、次の街まで水を与えなくても問題なく過ごせるのですヨ。しかも砂漠の植物を食べ物としマス。棘のある植物でも、彼らは食べられるのデス」
ワディーウ様はラクダで移動する利点を他にも教えてくれた。
ラクダからも乳が得られるし、もし食料が尽きたら肉にすることも出来る。毛皮は砂漠の夜の寒さを凌ぐのに良く、乾いた糞は焚き火に使える。
それでいて馬より多くの荷物を運べ、砂地だけでなく岩場も歩け、暑い砂漠の中でも長距離を移動出来る。
しかも戦う時に馬の代わりに乗ることも可能らしい。
……非常食にも出来るっていうのはちょっと可哀想だけど。
砂漠の環境に適応した凄い生き物なのはよく分かった。
わたし達の乗るラクダに二人用の鞍をつけてもらう。
馬に乗ったことのないわたしが一人では乗れないので、リオネルと一緒に乗って行く予定だ。
準備を整え、しっかり日差し避けのローブを着て、フードを目深に被り、手袋もつけて、完全防備である。
しかし日に当たると焼けつくような暑さなので、とにかく肌を隠し、日差しから守る必要があった。
リオネルもローブに手袋にと同じような格好だ。
地面に座り込んでいてもラクダは大きく見える。
わたしは鞍の前側に、リオネルは後ろ側に乗った。
リオネルが手綱を扱うとラクダがゆっくりと立ち上がり、鞍が斜めになって驚いた。サッとリオネルの腕が腰に回って支えてくれる。
しかも、完全に立ち上がると結構高い。
若干の怖さはあるものの、広い視界は面白い。
「鞍の前の部分に掴まっていろ」
言われた通り、鞍の一部を掴むと体勢が安定した。
リオネルは片手で手綱を持ち、もう片手をわたしの腰に回しており、そのおかげで安心感があった。
ワディーウ様達もラクダに乗っている。
……わ、すっごいよく似合う!
ラクダに乗っている姿はとてもしっくりくる。
「では行きましょうカ」
そして、わたし達はシャマルの街を出立した。
街の外はほぼ砂漠に等しく、この砂地では、確かに馬車での移動は無理だ。車輪が沈んでしまう。
ラシード王国の使節団が先に立ち、道のない砂漠の中を先導してくれる。
わたし達だけではきっと砂漠を彷徨うことになるだろう。
ラクダが歩く度に揺れ、不思議な感じである。
ちなみに両国の使節団には水を生み出せる魔法士がそれぞれいるので、旅の間は水に困ることはなさそうだ。
リオネルもその一人なので、水が欲しくなったら声をかければ水をくれるとのことだった。
しかも、リオネルは氷も生み出せるらしく、水を出すより氷を出すほうが結構難しい魔法なのだとか。
子供の頃から夏場になると飲み物に氷を入れて二人で涼みながら飲んでいたが、この世界ではかなり贅沢なことだったようだ。
最初は初めて見る砂漠の広さに圧倒された。
どこまでも砂地が広がっており、ごくたまに少しだけ草が生えていたり、岩があったりするが、とにかく見渡す限り砂丘が続いている。
青い空、柔らかなベージュ色の砂漠。
吹く風は熱風で砂の匂いがする。
だが、楽しめたのは精々一時間程度である。
どこまで行っても同じ景色で、暑くて、砂っぽくて、砂漠は照り返しも強く、上からも下からも日差しにさらされる。
「砂漠は過酷って知ってたけど、想像以上だね……」
これで普通の人は節水しなければいけないなんて地獄だ。
ただ座っているだけなのに汗が滲んでくる。
「俺も出征の時は暑さで少し体調を崩しかけた。それに、お前に『水に気を付けろ』と言われていたから、飲み水は魔法で出したものを口にしていた。兵の中には水が合わなくて腹を下した者も多かった」
「暑くて体力削られたところに腹痛で更に苦しむとかつらすぎる……」
「いくら俺や他の宮廷魔法士達も居ると言っても、兵達全員分の水を生み出すことは出来なかったからな」
中には、水が合わずに体調不良のまま最後までラシード王国で過ごした兵もいたらしい。
兵達が帰還後、最も喜んだのは水についてだったそうだ。
好きなだけ水が使えて、飲んでも体調を崩すこともない。
当たり前にあったものがないというのは大変だっただろうし、不調で戦争に参加するのは心身共に疲弊したはずだ。
「食事もラシード王国は辛いものが多いから、苦手な者は苦労していたらしい」
「辛い料理も場合によってはお腹壊すからなあ」
「ラシード王国側も色々と配慮はしてくれていたが、環境、飲み水、食事の変化はどうしようもなかった。だからと言って毎食ワインと干し肉だけというわけにもいかない」
はあ、と後ろから溜め息が聞こえてくる。
出征の間のことを思い出したものの、あまり良い記憶ではなかったのだろうことが窺えた。
腰に回る手にわたしも手を添え、宥めるように軽く叩く。
「まあ、今回はもうちょっとマシだと思うよ」
使節団として首都にある宮殿で過ごすことになるらしいので、環境も出征の時よりもっと良いだろう。
ラシード王国に来て、出征していた間のことを色々と思い出したリオネルから、ぽつぽつと話を聞いていると時間は過ぎていった。
太陽が天上近くに差し掛かると、とても暑く、休憩所代わりに使っているのだという岩場の陰で少し休むことになった。
先に降りたリオネルの手を借りて、ラクダから降りる。
リオネルを含めた、水を出せる魔法士達が水を生み出し、皆へ分けて回って行く。
ワディーウ様達は平気そうな様子だが、わたし達フォルジェット王国の使節団は皆、暑さにやられて少し疲れた表情をしている。
戻ってきたリオネルの手にはカップが二つあった。
そのうちの一つが差し出される。
「ありがとう」
受け取り、中を見ると氷が浮かんでいた。
……この暑さの中でこれは凄くありがたい……!
一口飲めば、冷たい水が体の内側から冷やしてくれる。
誰もが岩場の影に座り込んで、カップ片手に一息吐く。
ついでに昼食にしてしまおうという話になったが、こう暑いので食べ物は基本的に保存食に限られてしまう。
冷たい水を片手に干し肉や干した果物をかじる。
パンの代わりに焼き固められたビスケットもあったが、暑さでそこまで食欲が湧かないのだ。
リオネルと並んで座り、岩に背中を預け、二人で干し肉をかじっているものの、なかなか食が進まない。
干し肉の塩気が強いのは保存のためだけでなく、恐らくは汗で流した塩分をこれで摂る目的もあるのだろう。
かじりついたまま干し肉が柔らかくなるのを待つので、自然と会話も少なくなる。
ふと、リオネルを見れば目が合った。
互いに干し肉を咥えているのがなんだかおかしくて笑うと、リオネルもほぼ同時に小さく笑った。
「予想以上の暑さだね」
「ああ、何度訪れてもこの暑さには慣れそうにない」
二人でじわりじわりと干し肉を食べ、水を飲む。
そうして二時間ほど岩陰で休憩し、使節団はまた、砂漠の中をラクダに頼ってゆっくり進んで行く。
「この暑さ、我が国に帰ってきたと実感しマス」
ワディーウ様達はどこか嬉しそうだった。
* * * * *
そして三時間ほど砂漠を進んだところにあった別の岩地が本日の野営地となった。
ワディーウ様達ラシード王国の使節団や、フォルジェット王国の騎士達が岩地にテントを設置する。
リオネルも野営の準備を手伝っている。
わたしは隅で座っているだけだ。
何か手伝おうと声をかけたのだが、断られてしまった。
……まあ、不慣れな人間が手伝っても邪魔だよね。
よく分かっていないのに手を出して、結局、他の人がやり直して二度手間になっては迷惑だろう。
ぼんやり座っていたらラシード王国の使節団の人々から、干した果物をもらった。これでも食べて待っていなさい、ということか。
干した果物は大きなレーズンみたいな味で、でもレーズンよりもずっと甘くて味が濃い。しかも結構大きい。
三つもらったので少しずつかじりながら眺める。
テントは前世でよくある三角形ではなく、六角形で天上が尖った形で思いの外、大きい。テントというより天幕だ。
それが身を寄せ合うように張られている。
あれこれと指示を出したり、他の人と共に準備を行なっていたリオネルが振り向き、干し果物をかじっているわたしを見て近づいて来る。
「それは?」
「ワディーウ様達からもらった。甘いよ。食べる?」
「いや、いい」
ぽん、とわたしの頭に一度触れ、リオネルはまた忙しそうに野営の準備に戻った。
リオネルを目で追っていると視界の横に人が立つ。
見上げれば、フォルジェット王国の使節団長がいた。
柔らかな金髪を右肩で緩く纏め、やや垂れ目の緑色の瞳の優しそうな顔立ちの美形の男性は、国王陛下の甥で公爵家の者であるはずだ。外見年齢は三十代半ばか後半くらいに見える。
慌てて立ちあがろうとすれば手で制される。
「そのままでいい。私も座っても?」
「どうぞ」
「では、失礼して……」
一人分ほどの距離をおいて横にその男性が座る。
……………えっと……?
どうしてわたしの横に座られたのか分からない。
戸惑っていると男性が柔らかく微笑んだ。
「最初に挨拶をして以来だね。改めて、バートランド公爵家の次男、エディウス・バートランドという。急な話だったのに、今回は共に来てくれてありがとう」
「ご丁寧にありがとうございます、エステル・イベールと申します。……いえ、楽しい経験をさせていただけて、とても感謝しております。夫の立場上、気軽に他国へは行けないので」
「そう言ってもらえると、こちらとしても助かるよ」
バートランド様の話によると、最初はリオネルだけが外交官として来る予定だったそうだが、ワディーウ様達が「バタルと夫人を我が国に是非招きたい」と言ったらしい。
多分、わたしがラシード王国について色々と訊ねていたから、それなら一度来てみてはどうかと思ってくれたのかもしれない。
ラシード国王からも「英雄殿に礼をしたい」と手紙をもらってしまえば、断ることも難しい。
それでわたしにも声がかかったのだとか。
なるほど、と納得しつつ、リオネルを見やる。
忙しそうにしていても、わたしがここにいるか確認するように時々視線を向けてくるので、その度に軽く手を返す。
「それは?」
先ほどのリオネルと同じ質問をされ、同じように答えた。
「ラシード王国の使節団の皆様にいただきました」
「彼らに随分と気に入られたようだね」
「そうかもしれません」
食べかけの干し果物を少しだけかじる。
どこか探るような視線を横から感じて苦笑が漏れた。
「わたしも夫も、ラシード王国の貴族にはなりません。フォルジェット王国がわたし達の故郷で、帰る国です」
「……失礼した。君達を疑っているわけではないが、ラシード王国の使節団があまりにも熱烈に君達を招きたがるので、つい」
その気持ちはなんとなく分かる。
この招待は親切心だけではないのだろう。
あわよくばリオネル・イベールを自国に引き入れたいという気持ちもあるのかもしれないが、わたしもリオネルも、そのような気持ちは全くない。
それに、ラシード王国のほうが条件が良いから故郷を捨ててそちらへ行くということは、また別の国がより良い条件を提示したら今度はラシード王国を捨てると思われる可能性もある。
たとえフォルジェット王国を捨てて、ラシード王国で高位貴族になったとしても、そういった疑念を持たれ続けることになる。
いつ裏切るか分からないと思われて過ごすのは嫌だ。
それならば、フォルジェット王国にいたほうがいい。
リオネルの筆頭の座も、信頼も、故郷も、捨てる必要はない。
「夫が努力を続けて得た筆頭の座を捨てさせるなんて出来ませんし、近くに両親や兄がいて、毎日充実しており、フォルジェット王国での暮らしに満足しています」
何より、ラシード王国では本はフォルジェット王国より高価で、人々が気軽に購入出来るものではない。
自国で小説を書いて出版するほうがいいに決まっている。
ラシード王国では女性の立場は低いというのも気になる。
女性の書いた本は好まれない可能性も高い。
……せっかくキャシー様達とも出会ったのに。
それら全てを捨ててまで行きたいとは思えなかった。
「そうか」
それ以上は何も訊かれなかったが、バートランド様の横顔は何かに納得した様子だった。
「バートランド様もお一ついかがですか?」
残っていた干し果物を差し出すと、バートランド様は目を瞬かせ、そして堪らずといったふうに笑う。
「ああ、ありがとう。いただこうかな」
「甘くて美味しいですよ」
そのまま揃って干し果物をかじりながら、野営の準備が整う様を眺めて過ごした。
戻ってきたリオネルが「どういう状況だ?」と首を傾げていたが、わたしもよく分からなかった。
バートランド様だけがおかしそうに笑っていた。




