……うるさい?
お店で三時間ほど過ごしてから、劇場へ向かう。
王都の主要な劇場は三つあるけれど、今日行くのはその中でも一番大きなところらしい。
馬車で劇場のそばまで行き、少しだけ歩く。
訪れる人が多いため劇場の前まで馬車を通すことが出来ないのだ。それだけでも、いかに人気があるか分かる。
リオネルは既にチケットを持っていたようで、あっさり劇場の中へ入り、使用人の案内で上階へ行く。
どうやら上の階の個室のように区切られた席のチケットを購入していたようで、通されたのはそのうちの一箇所であった。
高い位置なので舞台全体が見渡せる。
席には座り心地の良い椅子が二脚あり、わたしとリオネルとでそこに座る。テーブルには飲み物が用意されていた。
……ここ、結構良い席じゃない?
こういう席はお金もかかるが、早い段階から予約しておかないとあっという間にチケットが売り切れてしまうだろう。
思わず隣を見たが、劇場内は暗いのでリオネルの表情をはっきりと窺い知ることは出来なかった。
ここで席の値段について話すのも無粋な気がする。
隣に座るリオネルの袖にそっと触れる。
「連れてきてくれてありがとう」
リオネルがこちらを向いた。
「それは劇を観終わってから言ってくれ。他の者達が面白いと言っていたから来たが、解釈違いで楽しめないこともあるかもしれない」
「そうだとしても、それはそれで面白いよ」
同じ物事を見て、聞いて、違う解釈や受け取り方をする。
それがあるからこそ感想を話し合うのが楽しいのだ。
ふっと辺りの照明が落ち、暗くなる。
リオネルの手がわたしの手を握った。
「劇が始まるぞ」
その言葉に釣られて舞台へ視線を向ける。
この劇場のオーナーだろう男性が出てきて挨拶を行い、その後、語り手の男性が出てきて劇の内容について軽く触れる。
そうして劇が始まった。
この劇『小夜啼鳥』は悲恋が題材である。
物語は伯爵家の令嬢と伯爵家の令息という二人の主人公で構成され、王家派と貴族派で長年敵対関係にある両伯爵家の娘と息子が仮面舞踏会で恋に落ちることから始まる。
初めは互いの素性を知らなかった二人が一度、二度と仮面舞踏会で逢瀬を重ねていく。
しかし互いに別の相手と婚約が決まり、最後の逢瀬で仮面を外し合ったことで、お互いに敵対関係にある家柄だと知るのだ。
決して結ばれない二人。思い合ってはいけない関係。
けれども、強い想いで結ばれてしまった二人は何とか家族を説得しようとするが、当然、反対されてしまう。
二人は密かに逢瀬を重ねたものの、それがバレて、二人はそれぞれの家で謹慎を言い渡される。
会うことも、手紙をやり取りすることも出来ず、令嬢は食事が喉を通らず、令息も悲嘆に暮れ、二人は更に互いへの想いを強くしていった。
あまりに悲しむ様子に令息の乳母がこっそりと令嬢の家の者と会い、二人の手紙のやり取りを手伝った。
そこで令息は令嬢が無理やり結婚させられることを知る。
二人が共にいるためにはどこか遠くへ逃げるしかない。
手紙のやり取りをしながら二人は計画を練った。
そして、令嬢の結婚前日に令息が迎えに行く約束をする。
やがて時が過ぎ、令嬢の結婚前日、約束通り令息は高価な貴金属を持ち、夜中に家を抜け出して令嬢を迎えに行った。
だが、計画は予定通りには進まなかった。
令息の行動を警戒していた令嬢の家は、敷地内に多くの騎士を配置し、令嬢を守っていた。
それでも令息は諦めずに忍び込む。
なんとか令息は令嬢の部屋の下まで辿り着いたものの、そこで騎士に見つかってしまい、捕えられてしまう。
このままでは愛する人と結婚することは叶わない。
そう悟った令嬢は密かに用意していた毒を飲み、死んでしまう。
花嫁が自害したことは屋敷中に広まり、捕えられていた令息の下にも届き、愛する人を失った悲しみに令息も牢の中で首を括ることを決意する。
令息役の俳優がロープに首を通すところで静かに幕が下りるのだ。
照明が戻り、劇場内がほのかに明るくなる。
二時間半ほどの公演はあっという間に終わってしまった。
……すっごく面白かった……!!
役者の演じ方も上手いのだけれど、原作に忠実でいながらも所々で独自の解釈をし、台詞の口調や役者の動きなどから登場人物の心理描写がより鮮明に読み取れた。
それでいて悲恋という物語の重苦しい雰囲気で疲れないように、たまにコミカルなシーンもあって、息抜きが出来て楽しめた。
リオネルの横顔もどこか満足げで、楽しめたようだ。
今観たばかりの劇について話したいけれど、ここではそれは出来ない。
立ち上がったリオネルが手を差し出してくる。
「さあ、そろそろ帰ろう。……話は家で」
「うん!」
リオネルの手を借りて立ち上がり、エスコートを受けつつ廊下へ出る。廊下は観劇に来た客がいたものの、貴族向けのボックス席だからか混むというほどではなかった。
劇場の外へ出ると少し眩しかった。
暗い場所から明るい場所へ出たからだろう。
リオネルと腕を組んだまま馬車へと戻る。
劇について話したくて落ち着かないわたしとは反対に、リオネルはいつも通りである。
馬車に乗り、改めてリオネルへお礼を伝えた。
「観劇、凄く楽しかった! ありがとう!」
「お前、随分と前のめりになって観ていたな」
「だって本当に面白くて……つい見入っちゃった!」
前世ではテレビがあったけれど、この世界はそもそも娯楽が少なく、劇を観るか小説を読むか、その程度しかない。
しかもああいう大きな劇場での観劇も、本の購入も、平民からすれば結構高価だし、敷居も高い。
久しぶりの観劇ということもあって気分が上がっていた。
しかもその劇が自分の好きな作家の作品ともなれば、楽しくないはずがない。
今にも自分の中から感想があふれ出てきそうである。
……でも、どうせなら家でゆっくり語りたい!
そわそわと落ち着かないわたしにリオネルが小さく笑う。
「少し落ち着け」
「だって、なんかこう、感想というか感情というか、色々なものがぶわってあふれてきそうなの」
「お前は昔からそういうところがあるな」
わりと冷静に分析して感想を述べるリオネルに対して、わたしは感情的なので、話す時もわたしが半分以上喋っていることが多い。
しかし、リオネルはいつもそれに付き合ってくれる。
「……うるさい?」
もしうるさいなら少し控えなければ……。
わたしの問いにリオネルが首を振った。
「いや、俺とは違った感じ方をしているお前の話は面白いし、興味深い。それに輝く瞳で見つめられるのは悪い気はしない」
咄嗟に両手で目を覆うとリオネルの小さく笑う声がした。
「勿体ないから隠さないでくれ」
リオネルの手がわたしの手を掴んで外す。
……リオネルってこんな性格だったっけ?
何かにつけて恋愛方向の話をするものだから、わたしはその度に慣れなくて気恥ずかしくなる。
「あんまりそう言うことポンポン言わないで。……劇の内容、忘れちゃいそう……」
「お前の中が俺で満たされるのも良いな」
「そんなことない。って言いたいところだけど、否定出来ないのがなんか悔しい……!」
そもそもわたしの友人はリオネルしかいないし、夫となり、家族になったのだから、わたしの中のリオネルの割合はかなり大きいだろう。
まだ繋がったままの手が緩く握られる。
「俺の中も、いつでもお前で満たされている」
……またそういうことを言う……!
恥ずかしくて黙ったわたしに構わず、リオネルはずっとわたしの手を握ったままで、どうしていいのか分からなくなる。
そうして互いに手を繋いだまま侯爵家の別邸へ到着した。
あっさり手を離したリオネルが先に馬車から降りる。
わたしも降りようとすれば手が差し出された。
リオネルの手を借りて、馬車を降り、寝室へ向かう。
……一瞬、離れた手にモヤッとしちゃった……。
結婚してからよく触れているから離れて落ち着かなかったのか、それとも……。
考えているうちに寝室に着き、リオネルと一旦別れた。
「お帰りなさいませ。リオネル様とのデートはいかがでしたか?」
と、侍女に訊かれてやっぱり落ち着かない気持ちになる。
「……凄く楽しかった」
「それは良うございました」
慣れた様子で侍女達はわたしから外出用のドレスを脱がせ、家で過ごす際に着るドレスへ着替えさせてくれる。
外出用のドレスはやや重いので、家用のそこそこ軽いドレスに着替えるとホッとする。
邪魔にならないように纏めていた髪も下ろした。
ついでに化粧も直してもらう。
「本屋さんに行って、お店で昼食がてら軽くティータイムをして、それから観劇にも行ったよ」
侍女が「あら、ふふふ」とおかしそうに笑う。
「最近、流行っているデートの定番ですね」
「本屋さんに行くのが流行ってるの?」
「ええ、貴族と平民両方で娯楽小説が流行りつつあるようです。私共もお金を出し合って本を買うのですよ」
へえ、と相槌を打っている間に身支度が整った。
寝室へ戻ると先にラフな格好に着替えていたリオネルがいて、扉を開けたわたしに近付いてくる。
「そちらの部屋で過ごそう」
「あ、うん」
部屋に戻ればリオネルも入ってくる。
侍女達がお茶の用意をするために動き出し、わたし達は丸テーブルを挟んでいつものように椅子に腰掛けた。
リオネルは席に着くとテーブルへ肘を置き、頬杖をつく。
「アルダール劇場の『小夜啼鳥』は当たりだったな」
「うん……うん、本当に凄く良かったね!」
やっと話せると思うと、気恥ずかしさで下がりかけていた気持ちが上がってくる。
それからはリオネルのあの台詞が良かったとか、あの場面のあの登場人物の動きが感情がこもっていて良かったとか、そういう話で盛り上がった。
「想い合う二人が添い遂げられないのは可哀想だけど、結婚した身としては、前日に結婚相手が自害するって伯爵令嬢の相手からしたら最悪だよね。だって自分とは絶対結婚したくないって意味だし」
「そうだな、俺なら何としても結婚出来るように尽力する」
わたしと結婚するために筆頭宮廷魔法士になった人間の言葉は物凄く説得力がある。
……いや、まあ、リオネルだからこそ出来たんだよ。
普通のただの伯爵家の子息令嬢が、敵対関係にある家と結婚しようとしても普通は無理な話だ。
「原作だと二人が亡くなった後、更に家同士の確執が深まって誰も幸せになれずに終わるから、救いのない物語なのにね」
「あの終わり方なら二人は愛のために死んだというふうになるから美しい物語という印象になるが」
「劇を観てから原作を読んだらビックリするかも」
劇ではコミカルなシーンもあったが、原作は終始シリアスで悲恋を描いた物語なのだ。
「そうなると別の劇場の公演も気になるな」
うん、と同意のためにわたしも頷く。
他の劇場は原作に忠実なのか、それとも違うのか。
今までは観劇といってもさほど興味はなかったけれど、これからはもっと積極的に劇を観に行くのも楽しいかもしれない。
……一緒に行く相手はリオネルがいいな。
お母様と行くのも楽しいかもしれないが、お母様はどちらかと言えば俳優の話が多いので、物語について語るならリオネルがいい。
「次の休みはどこに行く?」
「ツェザーレ、いや、オルトレイ劇場も捨てがたい……」
真剣に悩むリオネルを眺めつつ、紅茶を飲む。
多分、どの劇場に行ってもきっと楽しいだろう。
「じゃあオルトレイ劇場に次は行って、その次でツェザーレ劇場に行こうよ。近い順ってことで」
リオネルがふっと笑った。
「単純だな」
「だって、全部行くんでしょ? ちゃんと休日教えてね。予定、空けられるように調整しておくから」
「分かった」
そうしてわたし達は夕食の時間どころか、夕食中も、その後も劇について語ったのだった。
実は寝室が同じなので毎晩一緒にベッドで眠っているわたし達だが、夜の夫婦生活はない。
でも、眠る前は普通に並んで横になっているのに、朝起きるといつもリオネルがわたしを抱き締めていて、それはなかなか慣れなさそうだ。
こう見えて、リオネルはすこぶる寝起きが悪いというのも結婚してから知った。
起床時間になれば意識はハッキリとするようだが、体が重くてすぐには起きられないのだとか。
「エステルが口付けたら起きられる」
という冗談に、その黒髪の頭を叩いてしまったのは悪くないと思う。
……もし口付けたとしても起きられないでしょ。
毎朝、起床時間から三十分ほどベッドの上でぼんやりしているリオネルが口付け一つで起きられるはずがない。
しかも、その間わたしを離さないのだ。
おかげで起こしに来たメイド達に、リオネルに抱き締められた状態を見られることになって恥ずかしい。
メイド達は最初は顔を赤くしていたけれど、一週間もすると微笑ましげな顔をされるようになった。
普段は堂々として誰も寄せつけないようなリオネルが、わたしには甘えている。
……リオネルは男爵家ともあんまり仲良くないし……。
心安らげる場所が欲しいのかもと思うと嫌とも言えない。
……正直、嫌じゃないから困るんだけど。
リオネルとの長い付き合いの中で『嫌だ』と思ったことなんて一度もなくて、だからこそ、自分の気持ちが分からなかった。




