……随分と自分勝手ですね……。
それから冬が来た。
リオネルと手紙のやり取りをしつつ、わたしは小説を執筆して、出版に向けての作業も行っていた。
とは言っても、その作業も思っていたよりもあっさりと終わり、わたしこと『ル・ルー』の初作品『幸福の青い薔薇』が出版されることになった。
ちなみに、この世界の本は最初に原稿を作り、それを文字が綺麗な人が清書して、完成原稿を転写魔法で他の紙にインクを使用して転写していき、本にするという流れになるらしい。
挿絵はかなり有名な画家に依頼したそうだ。
キャシー様いわく「挿絵は重要ですわよ〜」とのことで、人気のある画家に声をかけてくれたのだとか。
そうして年が明けてすぐに『幸福の青い薔薇』上巻が出版された。
その時には既に下巻の作業もしていたので、あまり喜んでいる余裕はなかったが、キャシー様達娯楽小説部門が色々と宣伝をしてくれていたらしく、発刊日から半月後には上巻の重版が決定した。
「重版数は初版の倍に決まりましたわ〜」
と、キャシー様が王都で人気のお菓子を手土産に持って、報告に来てくれた。
「え、倍ですか!?」
「そうよ〜、初版はもう売り切れてしまったから、急いで重版分を作ってもらっていますわ。この勢いだとまた重版がかかるかもしれませんわね〜」
「……自分で言うのもなんですけど、どうしてそんなに売れているんですか……?」
いくら娯楽小説が少ないとは言え、そんな一気に売れるほど人気が出るとは思っていなかった。
最初はお小遣いよりちょっと多いかな、くらいを目標にしていたので、いきなり重版の話が来ると逆に怖いのだが。
「先生の小説は『まるで劇を見ているように想像出来る』『初めて娯楽小説に触れる人にも読みやすく、分かりやすい』と評判ですのよ。今ある娯楽小説は難解なものもありますから」
「ああ、まあ、確かに難しい表現が多いですよね」
初めてこの世界の娯楽小説を読んだ時のことを思い出す。
表現を華やかにするのはいいけれど、遠回しになりすぎて意味が伝わりにくかったり、普段滅多に聞かないような言葉を使ったりして、正直言って読むのが疲れる。
あまり本を読まない人は多分、そこで諦めてしまう。
だからわたしは誰でも読めるように難しい言葉は極力避けて、分かりやすい喩えや表現を使っている。
人によっては『稚拙な文』と思うかもしれないが、読み手に意味や情景が伝わらなければ楽しめないだろう。
あくまで『娯楽用』であって、わたしは自分の小説に『芸術性』は求めていない。
「ところで、下巻の原稿の進捗はいかがかしら?」
と、訊かれ、脇に置いてあった原稿をキャシー様に渡した。
「丁度、先ほど完成しました」
「まあ、ありがとうございます! この勢いでしたら来月の半ばか下旬辺りには下巻も出せそうですわね〜」
キャシー様は上機嫌でそう言い、原稿を大切そうに鞄へ仕舞った。帰ってから確認してくれるそうだ。
それから、キャシー様が声量を落として訊いてきた。
「話は変わりますが、お嬢様、ラシード王国とヴィエルディナ王国との戦争が現在どのようになっているかご存じでしょうか?」
それはわたしも気になっていたことだった。
「いえ、お恥ずかしながら知らなくて……。出征以降、両国の戦争についての情報はほとんど入ってきておりませんが、どうしてでしょう?」
「恐らく両国が情報統制を行っているのだと思います」
リオネルも手紙にそういったことは書かない。
だから、今どちらが勝っているのかすらも不明である。
「大きな声では話せませんが、現在、ラシード王国のほうが優勢で、ヴィエルディナ王国はかなり苦戦を強いられているそうですわ〜」
「そうなのですか?」
「はい、このままラシード王国の勢いが続けば、そう遠くないうちにヴィエルディナ王国が休戦の提案をするのではないかと言われております。要は『負けたくないから戦争をやめる』ということですわね」
「……随分と自分勝手ですね……」
自分から宣戦布告しておいて、いざ負けそうになったら休戦の提案を出し、敗戦国になるのを避ける。
ラシード王国からしたら、かなり不愉快だろう。
「そうなれば表向きは休戦協定を結ぶことになるでしょう。ただ、ヴィエルディナ王国からの提案になりますので、ラシード王国のほうが条件を提示し、強く出られるという利点もありますわ。何より、戦争が早く終われば被害は最小限で抑えられます」
「なるほど」
両国が戦争をやめれば、リオネルも早く帰ってくる。
……リオネルが出征してからもうすぐ三ヶ月かあ。
出版の件でバタバタしていたので、あっという間に過ぎていったような気がする。
それでも毎日リオネルのことは思い出していた。
「リオネル様が早くお戻りになられるといいですわね」
キャシー様の言葉に「そうですね」と頷く。
手紙でも元気そうなので、早く帰ってきてほしい。
* * * * *
ラシード王国とヴィエルディナ王国の国境沿い。
両国の開戦宣言より四ヶ月が経っていた。
戦争はラシード王国が優勢で、ここからヴィエルディナ王国が戦況を覆すのは厳しいだろうとされ、兵士達の気も少し緩んでいるようだった。
事実、ラシード王国内も既にその話題で持ちきりだ。
兵士達の中には『いつヴィエルディナ王国が降伏するか』『休戦を提案してくるか』を賭けの対象にする者達もいる。
だが、リオネルの予想も同じである。
……恐らく、ヴィエルディナ王国からそろそろ休戦の提案が来る頃だ。
ヴィエルディナ王国は敗戦国となることを良しとせず、負けるくらいならば期限を設けずに休戦として、また機会を見て戦争をしかけてくるだろう。
しかし、それも簡単なことではない。
ラシード王国もそれを理解して、先に国境に侵攻してきたヴィエルディナ王国に休戦条件として賠償金を請求するはずだ。
国境沿いの村などが侵攻により被害を受けていることもあり、ヴィエルディナ王国にまたすぐに戦争を起こさせないためにも、多額の賠償金は条件に入るだろう。
ラシード王国ならば、今後数年から数十年の不可侵条約も取りつけられるかもしれない。
実質、負けたようなものなので、ヴィエルディナ王国もしばらくは他国に戦争を仕掛けようなどとは思わなくなる。
本日の戦況報告書を書いていると伝令役の兵士が来た。
その表情はどこか明るく、足取りも軽い。
「筆頭宮廷魔法士アベル・セルペット様に伝令でございます!」
そして、伝令が上司に手紙を差し出した。
その封を切り、素早く手紙の内容へ目を通した上司が、ふっ、と笑った。
「ヴィエルディナ王国が正式に休戦の提案をしてきたそうだよ。ラシード王国もそれを受け入れるってぇ」
つまり、戦争は終わりである。
周囲にいた他の宮廷魔法士や兵士達が喜びの声を上げる。
上司は手紙の返事を書くと、それを伝令役に持たせた。
「そこの君、彼に食べ物と水を。……伝令お疲れ様ぁ。申し訳ないけど、少し休憩したらまたこれを持って行ってもらえるかな?」
「はっ、承りました!」
そして兵士の一人が伝令を案内するために立ち上がり、他の者達も皆に朗報を伝えようと動き出した。
どこか慌ただしい雰囲気の中、リオネルはそっと左胸に手を置いた。
上着の内ポケットに入れているハンカチを思い出す。
……早く、お前に会いたい。
刺繍のライオンが星を見つめているように、リオネルも、いつでもエステルのことを想っていた。
記憶力は良いのでエステルのことは鮮明に思い出せるが、彼女が手紙で言ったように、記憶はあくまで記憶に過ぎない。
思い出すほど本物に会いたい気持ちは強くなる。
つい溜め息を漏らしたリオネルの肩に上司が手を置いた。
「リオネル君、なんだかあんまり嬉しそうじゃないねぇ?」
「いや、嬉しいとは思っている」
「そのわりにはニコリともしてないけどぉ?」
つん、と頬をつつかれて、その手を軽く払う。
「これからラシード王国とヴィエルディナ王国とで休戦協定を結ぶことになるだろうから、ある程度条件が決まるまで、あと少しここに残ることになるだろうねぇ」
それにリオネルも頷いた。
ここですぐにフォルジェット王国の軍が引けば、強敵はいなくなったとばかりにヴィエルディナ王国が掌を返すかもしれないし、休戦の条件に頷かない可能性もある。
だから休戦協定が締結するまでは残る必要があった。
……それでも終わりは見えた。
もうしばらくすればフォルジェット王国へ帰還出来る。
「まあ、リオネル君としてはもっと暴れたかったかもしれないけどねぇ。たった一人で戦況を覆しちゃうんだもん。君、ラシード王国で何て呼ばれてるか知ってるぅ?」
「……」
知ってはいるが、自ら言いたくはない。
そのことを分かっているのか上司がおかしそうに笑う。
「どこへ行っても『英雄』呼びだもんねぇ」
それにリオネルは顔を背けた。
「戦争で英雄などと呼ばれても嬉しくない」
「でも、君のおかげでラシード王国は勝てたようなものだしね。僕の出番がなくてちょっと残念だったけどぉ」
上司の言葉にリオネルは少し呆れた。
この上司はリオネル同様に攻撃魔法に特化しているが、あまりにそれが強すぎるので、戦場でも滅多に前へ出ることはなかった。
基本的に上司の魔法は即死系が多く、使えば必ず殺してしまうため、よほどの状況でない限りは本人も控えているようだった。
さすがに敵軍を皆殺しとなれば、戦後の話し合いで問題が生じる。
……まあ、俺も似たようなものだが。
それでもリオネルのほうがまだ威力を弱められるということもあり、武勲を立てたいということもあって、戦場へ主に出ていたのはリオネルだった。
「君の活躍は余すことなく全部陛下に報告してるから、きっとリオネル君も筆頭の仲間入り出来るよぉ」
良かったねぇ、と笑う上司にリオネルは頷いた。
ただ、戦場での己の話は極力エステルには黙っていたい。
敵軍にも出来る限りの配慮はしたものの、死傷者は出ているので、あまりそのような話はするべきではないだろう。
自分と結婚するために戦争で他者を傷つけた、などと聞けば、エステルはきっと心を痛める。
度胸はあるが、あれで繊細な部分もある。
……だが、やっと、お前を手に入れられる。
出会って、自覚してから、ずっと想い続けてきた。
何よりも強く望んでいた星に手が届く。
「あ、でも、手紙での報告はまだ控えてね」
しっかりと注意を受けて、リオネルはまた頷くのだった。
* * * * *
そうして、出征から四ヶ月半が経った頃。
いつもと変わらない朝を終えようとしていたその日、朗報が舞い込んできた。
「ラシード王国とヴィエルディナ王国が休戦協定を締結した」
夕食の席でお父様がそう教えてくれた。
キャシー様の予想通り、ラシード王国が優勢で、どうあっても勝てないと悟ったヴィエルディナ王国が敗戦国になるのを避けるために休戦を申し出たそうだ。
そしてラシード王国は条件を出し、ヴィエルディナ王国はラシード王国の提示した条件を受け入れたことで、休戦となったらしい。
「今後二十年は互いに不可侵を守るという話だそうだ」
「それはまた……。ヴィエルディナがよく頷きましたね」
「ラシード王国は元より魔法士も多い。フォルジェット王国から派遣した兵達も共に奮闘していた。一国を相手にしたつもりが、といったところだろう」
今回の戦争に関しては、先にヴィエルディナ王国の動きを察知したラシード王国に軍配が上がったようだ。
宣戦布告と同時にフォルジェット王国が兵をラシード王国へ派遣したことにはきっと驚いただろう。
即座に兵の派遣を要請したラシード王国の国王も凄い。
「では、リオネルはもうすぐ帰ってくるのでしょうか?」
思わず訊いたわたしにお父様が頷いた。
「ああ、派遣した兵達も現在は帰還準備をしているそうだ。あちらでの戦後処理は既に終わっているらしい。早ければ来月には戻ってくるはずだ」
……リオネルにもうすぐ会える!
たった四ヶ月だけれど、まるでもう何年も会えていないような気分だったので、その言葉はとても嬉しかった。
……会ったなら話したいことが沢山ある。
出版した本のこと、書いている新作のこと、最近少し痩せたこと、美容室のおかげで髪や肌が以前より綺麗になったこと。
手紙で書いたこともあるけれど、やはり、直接顔を見て話がしたい。
「エステル、明後日は一緒にドレスを買いに行きましょうか」
と、お母様に言われて首を傾げる。
「え、ドレスですか? でも先日も買ったばかりで……」
「この前買ったのは普段着でしょう? きっとリオネル君達が帰ってきたら、ラシード王国との友好を祝って王家主催でパーティーが開かれるわ。そのために新しいドレスは必要よ」
「分かりました」
あまり夜会に出席しないとは言え、同じドレスを何度も着ているのはよろしくない。
……リオネルとまた一緒に出ることになるよね。
また青いドレスにしようか。それとも……。
リオネルが帰ってくると分かって、ホッとしてしまい、その日はいつもよりぐっすり眠れた。
その翌日、まるでタイミングを読んだようにリオネルから手紙が届いた。
三月の上旬頃には戻れそうだという内容が嬉しい。
わたしもすぐに返事を書いて送った。
あと少しでリオネルが帰ってくる。
……ふふ、リオネルを驚かせてやるんだから。
『幸福の青い薔薇』上巻の売り上げを聞いた時、冗談かと思ったが、リオネルが帰ってきた後くらいに支払われるそうなので冗談ではないらしい。
筆頭宮廷魔法士の年俸がいくらかは知らないけれど、わたしだって、それなりに稼げるのだと分かった。
頑張れば、リオネルを養うというのも夢ではない。
「……早く会いたいなあ……」
驚くリオネルの顔を想像して、思わず笑みが浮かぶ。
そして新しい小説を読んでもらいたかった。




