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転生したら悪役継母でした  作者: 入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆


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35 嵐の廃教会と、笑顔の大聖堂

   ◆ ◆ ◆


 帝都の嵐の夜。

 ずぶ濡れになった俺は、廃教会の冷えきった小部屋に逃げ込んだ。


 割れた窓を風が叩き、色褪せた聖像の影が不気味に揺れる

 濡れた床には俺の足跡が滲み、手元のロウソクは灯しているこの一本で最後だ。


 俺の知っているどこよりも、惨めな場所。


 帰るところは、ここしかない。


(クソっ! 俺の不正さえ明るみに出なければ、こんな目に遭うはずがなかったんだ。そうだ、すべてアルージュのせいだ!)


「俺から逃げて公爵夫人だと? 許せるか!」


 怒鳴った瞬間、床板がギシリと鳴り、盛大に尻もちをつく。

 その痛みとともに、姉の声が脳裏によぎる。


『あなたは兄と同じ――』


「違う!」


 あいつは大罪人だ。

 帝国で禁じられたマナの聖水を摂って危険な魔力暴走を起こし、さらに獣に変貌する化け物になった。


「俺は聖騎士だぞ!」


 闇の奥に、ふっと魔術光が灯る。

 そこには黒衣をまとった男が立っている。

 俺と同じ紫の髪……まさか。


「兄上……!?」


「みすぼらしいな、ラウルド」


 見下すような声色に、カッと血が上る。


「お前のせいだ! お前がステラと密会していたせいで、俺が不義を疑われた! 地位も名誉も財産も……アルージュまで失ったんだぞ!」


「ああ、辛かったな。ロンブル侯爵家も教会も、誰もお前を庇わなかった」


「な、なにを今さら……!」


「悔しかっただろう。惨めだっただろう。その歪んだ世界を俺は正しに来た」


 兄が差し出したのは、脈打つように光る青い小石だ。

 魔術の気配がねっとり漂い、禍々しい紋様が石の表面でうごめいている。


「これは?」


「魔充具という。廃石から生み出された、魔石に変わる新動力だ」


 ……聞いたこともない。

 俺が取り調べを受けている間に、そんなものまで作られていたのか。


「アルージュが開発した」


「なっ……」


「彼女ほどの才女はそういない。あの公爵閣下が惚れ込こむほどだ。お前が失ったものは大きすぎた」


「黙れ! アルージュは俺を裏切ったんだ!」


 思わず怒鳴り、床を睨みつける。


(俺から去ったのは、誰よりも完璧な女性だった……)


 彼女は今、別の男の妻。

 そんな後悔、考えたくもない。


「だが、アルージュはお前を愛していた」


「そんなこと、わかっている! だが悪喰のせいで醜くなり、俺の言うことも聞かなくなった!」


「これがあれば、あの頃のお前を取り戻せる」


 あの頃――俺の学院時代。


 水色の髪をなびかせて笑う、誰よりも美しいアルージュ。

 教会から授かった聖騎士の紋章。

 周囲の羨望の視線、誇りに満ちた日々。


「あの頃の俺に……」


「そう。お前は“正しい場所”に戻れるんだ」


 兄の声が、俺の欲望にじわりと染み込んでいく。

 俺は震える手で、差し出された石を強く握りしめる。


 その瞬間、窓の外の暗闇を稲妻が裂いた。


 兄は俺の肩に手を置き、まるでステラに囁いていたときのように薄く笑う。


「これを使えば、アルージュの悪喰は浄化される。そしてお前は、再び愛される」


 廃教会の窓を叩く雨音が、さらに激しさを増した。




   ◇ ◇ ◇


 昨夜の嵐が嘘のように晴れ、大聖堂の屋根には雨粒が艶めきを残していた。


「エトさま、またねー!」


「大聖女様、さようなら!」


 大聖堂は、子どもたちの声で溢れている。

 近ごろは大聖女も人前に立てる規律となり、教会の空気は少しずつ変わりつつあった。


 新たな啓示の儀に、女帝が出席すると決まったこともあり、人々の士気も上がっているのだろう。

 子どもだけでなく、司祭たちまで張り切って準備を進めていた。


「おじぃちゃん、エト、もっとれんしゅうしたいの。てつだって」


「む……わかった。だが、人目のない場所へ移ろう」


「あいっ」


 大司教に手を引かれ、エトワールは奥の部屋へ歩いていく。


「あ、秘密の特訓だ!」


「しっ、内緒のやつよ!」


 子どもたちは声を潜めて笑いながら、わくわくした様子で後をついていった。


(あら? さっきまでいたのに……レオノール様が見当たらないわ)


 廊下を歩いて探してみると、かわいらしい幼女の声が聞こえてきた。

 中庭を覗くと、ひとりで懸命に練習を続ける、大聖女の小さな背中があった。


「熱心ですね」


 声をかけると、大聖女は驚いたように振り向いた。


「アルージュさま!」


「啓示の儀も、もうすぐですね。今のお気持ちは、どんな感じですか?」


「……わたくし」


 そう言って大聖女は顔を伏せ、緊張した様子で胸に手を当てる。


「おかあさまが、きてくださるのに……しっぱいしたら、きらわれてしまうかもしれません」


「では、レオノール様はどうですか?」


「わたくし?」


「もし、お母様が失敗なさったら……嫌いになりますか?」


 大聖女はハッとしたように目を見開き、勢いよく首を横に振った。


「いいえ! おかあさまを、おうえんします!」


「では、お母様も同じ気持ちかもしれませんね」


 大聖女の表情から不安が消え、ぱっと笑顔が広がった。


「わたくし、みなさまとれんしゅうしてきますわ!」


 大聖女は軽やかに駆け出していく。

 その様子に涙ぐんでいた侍女たちは、小さな背中が遠くなっていくことに気づくと、慌てて裾をつまみながら後を追った。


 ――ピィーッ!


 廊下に出ると、一番奥の空き部屋からホイッスルの音が鳴り響く。

 大司教が「招集が大変だ」とぼやいていたから渡したものだけど、まさか特訓用として愛用されているとは。


(この調子なら、いっそ“運動会の儀”でも盛り上がりそうね)


 新しい啓示の儀は、もう目前。


 子どもたちの笑顔も、大聖女の決意も――すべてがそろった。

 あとは、この日を迎えるだけ。



   ◇


 近頃頻発している嵐も明け方には去り、濡れた石畳が朝日にきらきらと煌めいている。

 澄んだ空気の中、私とエトワールは手を繋ぎ、大聖堂の正門をくぐった。


「おかぁしゃま! きょう、エトね、いちばんおっきいパチパチしゅるの!」


「拍手で応援したら、レオノール様もきっと喜ばれるわ」


「エトのパチパチしたら、おかぁしゃまもパチパチね。スパイのあんごう!」


「ふふ、わかったわ。お母様もエトに聞こえるように、大きく拍手するわね」


「あいっ!」


 満足そうに頷いたエトワールを控室まで送り届け、私は大聖堂の入口で女帝を待つ。

 清らかな鐘の音が高らかに鳴り響く中、来場者たちも続々と訪れている。


「アルージュ」


 低い声に振り返ると、ひときわ目を引く美貌――長身の公爵が立っていた。

 その場の空気がわずかにざわめき、周囲の視線が一斉に集まる。


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