30 貸し切り大聖堂
◇
朝の光がステンドグラスを透かし、七色の光が床に散っている。
巡回の足音はいつもより多く、大聖堂は緊張感でぴんと張り詰めていた。
中央塔の広間には、正装の司祭たちがずらりと整列している。
出口付近には公爵の姿。
私とエトワールは並んで立ち、大聖女のすぐ隣に控えていた。
祭壇を背にした大司教が、一歩前へと進み出る。
彼の口から厳かな声が響き渡った。
「本日は、大聖女とともに、神獣へ祈りの舞を捧げる」
広間にいる人々の表情が、自然と引き締まる。
大司教の次の言葉を、その場にいる全員が静粛に待った。
「まずは、鬼ごっこから始める」
「…………え?」
しん、とした沈黙が、みるみるうちにざわめきへと変わっていく。
大司教の厳格な雰囲気は崩れない。
聖典をしっかり胸に抱き、真面目な顔つきで視線を巡らせた。
「古き聖典に記された“祈りの舞”。それは聖女と神獣が心を通わせる儀。今日はそれを、厳粛に実践する」
横目で見ると、エトワールはにこにこしている。
大聖女の瞳はステンドグラスの光を受け、虹色に煌めいていた。
◇
笛の合図とともに、司祭たちが慌てて四方へ走り出した。
「つかまえましたわ!」
「エトもっ!」
「まだまだですわっ!」
普段は静かな大聖女が、エトワールと楽しげに駆け回る。
司祭たちは修業僧のように必死で逃げるものの……
「ぐっ……はぁ……裾が……!」
「引っかかった!? 待っ……ああぁ!」
重い正装で身動きが鈍く、袖を踏みつけたり足をもつれさせたり、次々と捕まっていく。
恨めしげな視線が私へ向けられる。
「ぜぇぜぇ……これが、祈りの舞……なのか?」
「こ、こんなことで……はぁはぁ、大聖女様が……」
「ええ、ご快復します。ついでに大人の心肺機能も」
運動不足の司祭たちは、見事に全滅した。
大聖女とエトワールが息を弾ませ、大聖堂内に笑い声が響き合う。
「次は、かくれんぼですわ!」
「エトもっ! おとぅしゃま、みつけましゅ!」
ルールは簡単。
夕刻の鐘が鳴るまでに、隠れた者を見つける。
司祭たちは一斉に胸をなでおろした。
「もう走らなくていいのか……助かった」
「ここは我々の庭。身を潜める場所なら自信がある!」
合図と同時に、司祭たちは得意げにあちこちへ姿を消していく。
子どもたちの要望で、公爵も参加することになる。
数を数え終えた大聖女とエトワールが、ぱっと駆け出した。
「第一発見! 侍祭ブリュノ、祭壇裏で確保!」
「二番、司祭グレゴリ、礼拝堂のカーテン!」
見つかるたびに名乗りが上がり、大聖堂内は笑い声で満ちていく。
「全司祭確保……ただし、公爵閣下を除く!」
「おとぅしゃま、しゅごい!」
「かっかは、そうとうのてだれですわ!」
大司教が腕を組み、うなりながら声を張る。
「よし。全員で公爵閣下を捕獲せよ!」
総出で散る司祭たちの真剣な様子に、思わずくすりと笑った。
◇
「お昼にしましょう。見つけるのは、そのあとで」
「あいっ!」
「みつけてみせますわ!」
大聖堂の回廊を抜けて中庭に出ると、ぽかぽかの陽光が差し込んでいた。
ガゼボの席には、ふわふわのパンケーキとカラフルなチップスが並んでいる。
ナイフを入れると、パンケーキはふわりと沈み、食欲をそそる香りと甘みが広がった。
「もっちもちですわ!」
「レオしゃま、これ、おくちでパリパリって!」
「あっ……カリッていいましたわ!」
そばに控える侍女は、驚いたように手で口元を押さえた。
「大聖女様が、完食しています……!」
食後、エトワールが私の隣に寄り添い、すぐに寝息を立てはじめる。
大聖女は少し迷ったように視線を落とし、私の反対側にちょこんと腰を下ろす。
「……わたくしも」
雷のときとは違い、今度は自分からそう言って、私にそっともたれる。
「大聖女様が……初めて、お昼寝を」
侍女が胸の前で手を合わせ、そっと囁いた。
扉の外では、大司教が静かに目を細めている。
(どっちを見ても、あどけない寝顔……かわいい!)
二人分の体温を感じていると、私まで自然とまぶたが重くなってきて……
ふと、柔らかな感触がした。
大きな白犬が、私の横に寄り添っている。
神秘的な眼差しなのに、ふわふわの毛並みが心地よい。
(あったかいわ)
そのぬくもりに身をゆだねていると、心までやわらかく包まれるようだった。
「……ん」
ゆっくり目を開ける。
私の脇にはエトワールと大聖女がくっついて眠っていて、私の肩には毛布が掛けられている。
(毛布……あぁ、それで白犬の夢を見たのかしら?)
◇
やがて大聖女が目を覚まし、真剣な瞳で私を見上げた。
「わたくし、ていとをみたいですわ」
せっかくなので、いつもの遊び部屋からは見えない方角の塔へ上ることにした。
最上階へ出ると、眼下には壮大な帝都の街並みが広がった。
立ち並ぶ屋根が斜陽を受け、一斉にきらめいていた。
「こうじょうは、どこですの?」
「あちらです」
私が指し示す先には、巨塔のような皇城がそびえ立っていた。
「……おおきくて、とおいですわね」
皇城を見つめる幼い横顔を、夕日が金色に照らしている。
「あっ! おとぅしゃま、みつけた!」
鐘楼の梁の上に、公爵が悠然と横たわっていた。
夕日を背にしたその影は、まるで塔を守る獅子……いや、忠犬かも。
「エト、やりましたわね!」
「レオしゃま、おそとみてくれたから!」
「わたくしたちの、しょうりですわ!」
二人は手を取り合い、鐘の音にも負けないほどの笑い声を響かせる。
大聖女の笑顔は増えた。よく眠り、食欲も戻った。
あとは、彼女の心を癒やす“最後の一歩”。
(でも、焦ってはいけないわ)
時が訪れるまで、静かに見守ろう。そう決めた矢先――
それは、すぐに訪れた。




