25 大司教の訪問
大司教と一緒に応接間に入ってきたエトワールは、満面の笑みとともに、私のお腹にぎゅっと飛び込んできた。
「エト、どうしてここに?」
「おとぅしゃまから、ひみつのにんむ!」
誇らしげに掲げたのは、うちのスイーツがぎっしり詰まった菓子箱だ。
(公爵が“はじめてのおつかい”を頼んだのね)
エトワールの侍女や護衛も、見守るように微笑んでいる。
「あっ、おじぃちゃん。おかぁしゃまは、エトのおかぁしゃまでしゅ!」
(今、“おじいちゃん”って言った?)
「エトワール、紹介ありがとう」
純白の法衣をさらりと揺らし、大司教が堂々と近づいてくる。
スイーツ箱を手にしても、威厳を保っているわ。
「私が菓子選びに悩んでいたので、エトワールに相談に乗ってもらったのだ」
(その流れで“おじいちゃん”と名乗ったのね。その堅物フェイスで)
とはいえ、気になるのは訪問の理由だ。
大司教がエトワールに接触したのは、大聖女の啓示――“紫髪の子が凶獣を呼ぶ”という啓示を警戒しているからだろうか。
「今日のご訪問は、エトワールのことでしょうか?」
「いいや。最強の魔術師がそばにいるだろう。それ以上の安心はない」
エトワールを見つめる彼の目尻が、微かに緩んだ。
その一言で、胸の奥がすっと軽くなる。
つまり、教会としても、エトワールを危険視するつもりはない。
今まで通り、私たちと暮らせるということ。
(エトが公爵の後継者になっていて、本当によかった)
おつかいを終えて、ほっとしたのだろう。
笑顔で抱きついてくるエトワールを、しっかりと抱きしめ返す。
「公爵夫人、ここからは私たちだけで話そう」
エトワールが振り返り、こてん、と首を傾げる。
「おじぃちゃんの、ひみつのおしごと?」
大司教はゆっくり目を細め、にやりと口元を緩めた。
「なんと、見破ったか」
「……せかいのへいわ、まもるの?」
「誰にも言ってはならんぞ」
「あい!」
明るい声で返事をしたエトワールは、菓子箱をぎゅっと抱えたまま、侍女と護衛とともに退室していく。
大司教のことを、公爵のスパイ仲間だと思ったのかもしれない。
応接間に残ったのは、大司教と私だけになった。
「子どもの相手がお上手ですね」
「……息子には嫌われてしまったがな」
自嘲気味につぶやきながら、彼は部屋の隅へ防音石を置き、私の正面へ腰を下ろした。
その仕草が養父と重なり、懐かしさが込み上げる。
視線が合うと、大司教は照れ隠しのように目を逸らし、「実は教会でも極秘だが」と声を落とした。
「大聖女の体調が思わしくないのだ」
どきり、と胸の鼓動が跳ねる。
大聖女――聖女の中でも、とりわけ強い啓示を見る者をそう呼ぶ。
啓示は、未来を垣間見る“予知夢”のような力だ。
その警告によって帝国の厄災を幾度も避けてきたため、教会は聖女を厳重に保護している。
「聖女が不調に陥ることは珍しくない。啓示を見る代償だと言われている」
しかも、聖女の数は年々減る一方だ。
ステラの馬車事故以来、残っているのは大聖女ただ一人。
(大聖女様の症状って……相当深刻なのかしら)
寝込んでいる姿を思い浮かべ、膝の上の手をぎゅっと握りしめた。
「魔術も薬学も試したが、どれも効果はなかった。しかし、この店の菓子を口にしたところ、明らかに快復の兆しを見せた」
「えっ?」
そんな回復効果、仕込んだ覚えないんだけど。
うちのスイーツは、ただおいしいだけのはずなのに。
「そこでだ。大聖女はなぜ快復したのか。その理由を探るため、あなたに菓子を作ってほしい」
確かに、砂糖を生み出す異界カブや、魔充石の製造工程は外部に知られたくない。
それなら、スイーツのなにが大聖女を回復させるのか、私自身で調べるのが安全で早い。
「協力してくれるなら、教会で管理している聖域の聖樹から、魔石を好きなだけ選んでよい」
(それって『魔石詰め放題』みたいなものよね!?)
貴族でも一つ手に入ったら、自慢できるレベルの品よ?
大司教、太っ腹というか、本気度がわかるわ。
それだけ、大聖女の容体を案じているのだろう。
(そうだ。もし聖樹の石を選べるのなら……)
「聖樹から選べる石は、廃石も含まれますか?」
「もちろん構わないが……あんな屑石を? ただのごみだぞ」
「それが、この菓子店の秘密なんです」
大司教は目を瞬かせてから、興味深そうに微笑んだ。
その口元に、粉砂糖が一粒付いている。
「ほぅ……面白い。好きに持っていくがいい。我々としても処理に困っていたところだ」
(やった! これで魔充石が作り放題!)
大聖女が本当に私のスイーツで治癒するのかは、まだわからない。
(でも、おいしいスイーツで、治癒までできるチート仕様があるかもしれないってことよね。大聖女様の快復のためにも、試さずに後悔するわけにはいかないわ!)
大司教が去ったあと、私は静かになった応接間で、空のティーカップに視線を落とした。
三大派閥の一角、大司教から直接依頼を受けたのだ。
公爵は結婚のとき、「自由にしていい」と言ってくれたけれど。
念のため、大聖女への献上品を作ることは報告しておこう。
帰宅すると、廊下で使用人に呼び止められる。
「旦那様が奥様をお待ちです」
「ええ、今行くわ」
(彼も私に話があるってこと? なにかしら)
案内が終わると、使用人は公爵の指示で席を外した。
(どうやら、人に聞かれたくない話みたいね)




