16 はじめての家族旅行
「……ハンドミキサー?」
間違いない。
前世でもおなじみの、あの家庭用電化製品。
おもちゃや調味料より、どう見ても複雑なつくりをしている。
(エトの召喚、明らかにレベルアップしてるわ!)
でも、これがあれば。
何時間もかかっていた泡立てや生地づくりが、ほんの数分で終わるかもしれない。
(あぁ。でもこの世界には電気がない……けど、魔力があるわ!)
これをモデルに、魔道具を作ればいい。
魔力を圧縮して回転力に変える。理屈は違っても、仕組みはきっと似ている。
私が真剣にハンドミキサーを見つめていると、エトワールは眉を下げ、ハンドミキサーをぎゅっと握りしめた。
「……これ、おもちろく、なぃ?」
「これはね、すごいのよ!」
「……しゅごい?」
「ええ。あっという間に、たくさんのクリームを作れるかもしれないの」
「くりーむ……? おかぁしゃまの、ぱんけーき……?」
エトワールは生クリームとあんこのトッピングが大好きなのだ。
「そうよ。これがあれば、もっといろんなお菓子をたくさん作れるわ。エトも一緒に食べましょうね」
「あいっ。エト、おかぁしゃまと、もぐもぐっ!」
エトワールは笑顔になって、口をパクパクして食べる真似をする。
(なんてかわいいの……!)
その姿に胸をときめかせながら、私は召喚されたばかりのハンドミキサーを侍女に見せた。
「こういう魔道具を開発したいの。誰か詳しい人、知らない?」
「それでしたら……私の故郷の男爵領に、魔道具の研究ばかりしている令嬢がいました。人里離れた工房からは爆発音や異臭が絶えず、近隣の人々から危険地帯と呼ばれていたほどです。でも、腕は確かで……変わり者の天才魔道具師、という感じでした」
その令嬢に会えば、ハンドミキサー型の魔道具が作れるかもしれない。
会話を聞いていたエトワールが、私と離れるのを怖がるように、ぎゅっと抱きついてきた。
「おかぁしゃま……おでかけしゅるの?」
「ええ。もちろん、エトと一緒にね」
「エト、いっしょ?」
「そうよ。はじめてのおでかけ、楽しくなるといいわね」
「あいっ!」
天才魔道具師の令嬢に会って、調理用の魔道具を依頼する。
工房から爆発音や異臭の噂が立つほどの変人だとしても、そこはもう覚悟の上だ。
(多少焦げくさいくらいなら、甘い香りで上書きすればいいもの!)
私はスイーツ愛を胸に、公爵に事情を説明するため執務室へ向かった。
「――というわけで、新しい菓子店に導入する魔道具を開発したいんです。魔道具師に依頼するため、エトを連れて男爵領へ行こうと思いまして」
「俺もちょうど男爵領にいく予定がある」
そう言いながら、公爵はさらさらとペンを走らせ、男爵領宛ての任務申請書を書き始めた。
一呼吸の間が空き、執事長が目を丸くして胃を押さえている。
「今、決まったばかりのお仕事でございますか?」
「ああ」
(まさか公爵、私の行き先に合わせて仕事を増やした?)
「旦那様、無理してませんか?」
「アルージュと離れるほうが無理だ」
「はぁ……」
そこまで私の悪喰を警戒して、監視のために同行したいのだろうか。
(でも、わざわざ遠方の任務まで入れるなんて。本当に仕事熱心なのね)
ふと視線を感じて顔を上げる。
執事長が胃ではなく口元を押さえ、なぜかニヤニヤしていた。
こうして、あっさりと私とエトワール、そして公爵の男爵領行きが決まった。
(これって、はじめての家族旅行かもしれないわね)
◇
「おかぁしゃま、おそらにうさぎ!」
「本当ね、うさぎの顔みたい。かわいいわ」
男爵領へ向かう馬車の中で、エトワールは窓の外を見て、嬉しそうに指をさした。
ふわふわした雲が、ちょうど耳の長い動物の形をしている。
向かいに座る公爵は相変わらずの無表情。
明らかに“どう反応していいのかわからない”顔をしている。
(もしかしなくても、子供との会話が一番の難関なのね)
私は苦笑しながら、間を取り持つように話題を振った。
「旦那様も、雲が何かに見えたら教えてください」
「そうだな。あれは……魔力循環の配置に即した理論モデルを想起させる」
エトワールはしばし無言のまま雲を見つめ、そっと首を傾げた。
「あのくも、むずかちぃ……」
「……そうか」
「あい……」
エトワールは公爵のことを「お父様」と理解しているみたいだけど、まだその呼び名を口にすることはない。
話す声もどこか遠慮がある。
それからしばらく、馬車の進む音だけがのどかに響いた。
気づけば私は、エトワールを抱きしめたまま、ふたりで眠ってしまったらしい。
目を覚ますと公爵がすぐそばにいて、私は彼の肩に頭を預けていた。
(私とエトが起きないように、支えてくれていたのね)
「旦那様、次に雲の見立てをするときは、エトが知っているものにしてはいかがですか?」
「なるほど。『召喚陣の円環構造』と言えばよかった」
「そこは『エトの召喚』でいいと思います」
「最適解だ」
少しずつだけど、私たちの関係は変わってきている。
そんな気がした。
それから数日の馬車旅を経て、ようやく滞在先の男爵領に到着する。




