『おかげ犬娘(わんこ)』になつかれて、旅することになりました。
『いちばん えらいひとのところに いきたいです』
そんな事を言うメスの犬になつかれた小学5年の僕。
その犬は、人語で会話ができるスーパーわんこだった。
聞くと、山奥の洋館でご主人様であるお嬢様に飼われていたが、そのお嬢様が病に伏せってしまったらしい。ヒトの言葉が理解できるようになっていた彼女は、お嬢様の絵本を調べて『おかげ犬』の話を知る。そこで病気を治してもらおうと山を下りることにした。
途中、鼻の高い不思議な老人から、2週間だけ「ヒトの言葉を話せる技」と「ヒトの姿に化けられる技」という妖を教えてもらった彼女。
『2つ同時には使えんから気を付けるんじゃ』
グイグイくるわんこに協力することにした僕だったが、なんと彼女は目的地をしっかり覚えていなかった!
親しい高校生のおねえちゃんに相談した僕は、大人に内緒で一緒に犬娘の望みをかなえる旅に出る事にしたのだった。
【AM5時22分: 京都市左京区 某新興住宅地区 某路地裏 段ボール箱の中】
『いちばん えらいひとのところに いきたいです』
で…………で……できたああああ!!!!
ふふふ~ん! 我ながらうまく書けたぞぉ!!
道に落ちていた何かのポスターの裏に、山で拾った鉛筆でがんばって書いたこのカンバン!
これを……ダンボール箱にしっかり差し込んで……っと!!
うん! いい感じ!!
どうしてこんなすてきなアイデアを思いつかなかったんだろう。
やっぱり「あぴーる」っていうのは大切だよね!
あと……お嬢さまのお部屋にあったご本には、たしか……ダンボール箱から、こう、顔を出して……上目づかい、だったかなー。
これで、きっとイイ人に見つけてもらえる……はずっ!
でもって、目指す場所を教えてもらおう!!
それにしても……くぅぅ……おなかへったなあ……。
~・~・~
【PM4時27分: 同、某路地裏 段ボール箱の前】
とぼとぼと通り過ぎた路地裏からなんだか尋常じゃない視線を感じた僕は、思わず足を止めてしまった。家と家の隙間。人が一人、かろうじて通れるくらいの暗がりに誰かいる。
こういう場合は危険なので無視するほうがいいんだ。小学校の先生も危ないと思ったらすぐに逃げるように! っていつも言っているし。明日から春休みということで、今日のホームルームでも注意された。
さっきの暗がりから誰かが僕を見ている。
でも、なぜか怖い感じがしなくて、妙に気になってしまったんだ。
僕はランドセルを盾のように体の前にかまえてから、ゆっくりと振り向いた。
幅1メートル程度の壁と壁の隙間――の地面あたり。汚れた掃除モップが、陰から少しはみ出て僕をじっと見つめている――と思ったら、サッと中に引っ込んだ。
え? モップ? モップが僕を見ていたの?
そんな事ないだろうと思いながら、距離を取ってから恐る恐る横歩きで戻ると、隙間にピッタリとはまり込んだダンボール箱が見えた。「おいしい和歌山みかん」と書かれていて、何かがその箱の中に入ろうとバタバタしていた。
よく見ると箱に紙のようなものがくっついている。
バタバタが収まったのでゆっくり近づいてみると、へろへろした文字のようなナニカが書かれていた。
『いち ん え ひと とこ ろ い き い
ば ら い の に た です』
これ、ひらがな……だよね?
字もぐちゃぐちゃでガタガタで、なんて書いてあるのかわからない。
ふと、箱の中の汚れたモップと目が合った。
「うわ!」
よく見ようとして、気が付いたらダンボール箱に近づいてしまっていた。
モップがジッとこちらを見上げている。キラキラと期待に満ちた瞳で。
不思議と逃げようという気持ちが起きないのは、その瞳が黒目がちでひたすらキラキラしていたからかも。驚いたけれどおそろしくない。モップなのに。
「えーっと」
思わず叫んでしまった恥ずかしさをごまかすように、声を出して読んでみる。
「い、ち、ん、え……ひと、とこ?」
「わん」
「うわ!」
またかっこ悪く叫んでしまって、ランドセルを盾にしたまま尻もちをついてしまった。
びくびくしながらランドセルの陰から覗いてみると、モップの端っこがブンブンと勢いよく前後左右、メチャクチャ振り回されている。
「ひょっとして、犬……?」
「わん!」
まじまじと見てみると、汚い掃除モップにはピンと立った耳があってしっぽが生えていた。ほんとだ、犬……。
「……というより、タヌキ?」
「うー」
うなり声を上げられた。
だってタヌキみたいな顔してるから……。
でも確かによく見ると犬だ。大きさは柴犬くらい。5年生でも背が小さい方の僕からするとかなり大きく見える。盾にしているランドセルより大きいし。
姿もたしかに柴犬のように見えなくもないけど、顔は丸っこいし薄汚れていてこげ茶っぽい毛の色なのでタヌキのようにも見えたのは仕方ないよね。ダンボール箱の中から、ひたすらキラキラうるうるした瞳で僕を見上げている。一体なんなんだ。
……あ、そうか。
「パン食べる?」
僕は傷がたくさんついているランドセルを開くとビニール袋を取り出した。中には半分牛乳をかけられたパンが入っている。
タヌキ犬はめちゃくちゃにしっぽを振り回して喜んでいる。あーもう、よだれを垂らすなって。
僕はパンを取り出すと、牛乳のついていない所をちぎってタヌキ犬の前に置いた。
タヌキ犬は、ちぎれそうなくらいしっぽを振り回しながらよだれを垂らして僕を見上げている。
ひょっとして……。
「よし」
一瞬にしてパンが消えた。
もぐもぐしながらやっぱり目をキラキラさせて僕を見上げるタヌキ犬。
「おなかがすいてるの?」
「わん!!!!」
「パン、もうないんだ」
「くーん」
言葉がわかるみたいな反応をするんだな。
タヌキ犬はビニール袋に入っている残りのパンをじっと見ている。
「あ、これはだめだよ。牛乳でびちゃびちゃになっているから美味しくないよ。おなか壊すかもしれないし。何か他の食べ物持ってきてあげるからちょっと待ってて」
「……」
不思議と放っておけない気がした。普段ならそんな気持ちになることないのに。
僕は立ち上がってランドセルを背負いなおすと駆けだそうとした。
「ちょ、ちょっとまって!」
「うわ!」
誰かから声をかけられた気がして、思わずビクッと立ち止まった。
周りを見回しても誰もいない。
「えっと……だれ、ですか……?」
女の子の声がしたと思ったんだけど。
「ひょっとして、僕……ですか?」
「そう!」
やっぱり元気な女の子の声が聞こえる。気のせいじゃない!
キョロキョロしてもやっぱり誰もいない。
ひょっとして、「おいしい和歌山のみかん」箱の中から聞こえて……くる?
「あなた、イイ人ですね!」
目をキラキラさせ、尻尾をブンブン振り回しながら、タヌキ顔をした例の犬がダンボール箱から身を乗り出していた。汚いモップのような姿で。
「わたし、おかげ犬やってます! よろしくおねがいします!!」
犬が……しゃべってる?
「えっと。この世界で一番えらい人のところへ行きたいです。教えてください!」
そう言うとタヌキ犬はペコリと頭を下げた。
~・~・~
【PM4時36分: 京都市左京区 某新興住宅地区 細い路地】
ふぶきおねえちゃんに相談してみよう。
僕は人が通っていないのを確認してから早足で児童公園に向かっていた。僕の後ろをてくてくとタヌキ犬が追いかけてくる。
「ええっと……キミの話によると、ご主人様が病気なんだね。病気を治してもらえるように、この世界で一番えらい人にお願いをしにきたってこと?」
「わん!」
「え?」
「あ。ごめんなさい! 人間語でお話するのに慣れてなくって……」
「びっくりした……で、そのお嬢さまが行けないからキミが代わりにお願いしにきた?」
「わ……うん」
今、わんって言いかけたよね。
「お嬢さまのお部屋にはたくさんご本があって、お元気な頃はわたしに読み聞かせをしてくれたの! それでヒト語を覚えました!」
不思議なことだけど、実際こうやって会話してるんだし本当のことなんだろう。
「ふぶきおねえちゃんなら、大丈夫だよ。優しいし、信用できる人だから。きっといろいろ教えてくれるよ!」
「わ……うん!」
~・~・~
【PM4時55分: 京都市左京区 某新興住宅地区 児童公園 ベンチ】
ふぶきおねえちゃんは、いつものように高校のブレザー姿のままでベンチに座っていた。
「おねえちゃん」
僕に気づくと読んでいた本から静かに顔を上げて、
「あら、こうくん」
と長い髪をかき上げながらふんわりと答えてくれた。
「なんや、今日はいつもと違うて元気そやなあ」
まあ、いつもは……ね。
「教えてほしい事があるんだ」
「どないしたん? うちは『すまほぉ』とか持たせてもろてへんし、ちゃんと答えてあげられるやろか」
「大丈夫、おねえちゃんは頼りになるから! ねえ、おかげ犬って知ってる?」
「ん? なんや知らんなあ。わんこの種類やろか。どしたん?」
おねえちゃんと言っても僕の家族じゃない。一年くらい前に僕が泣いて帰っている途中、この公園で会った。ケガしている足を洗ってくれて、ばんそうこうを貼ってくれたんだ。
次の日、僕がお礼を言って、それから話をするようになった。
優しいおねえちゃんだけど学校にも家にも居場所がないらしい。僕は学校に行きたくないだけだから、家にも帰りたくないおねえちゃんより恵まれている。
「あのね、相談が――」
「お嬢、ここにいらしたんですか。姐さんがお帰りをお待ちです」
雷のような声がして、黒いスーツを着たゴリラのようなおじさんがいつの間にか僕の後ろに立っていた。いつもこれ位の時間になるとおねえちゃんを呼びに来るんだ。
おねえちゃんはため息をつくとカバンを抱えて立ち上がり、スカートのすそをふわふわと叩いた。
通りすがりに僕にこっそり耳打ち。
「こうくん、明日から春休みやろ? うちもお休みやし、お昼の12時にここにきぃや。そんときお話しまひょ。後ろのわんこの事やろ?」
というと、軽くウインクをした。
「猿。あんた、声大きいわ。もっと静かにしゃべり」
そして、ゴリラのような黒服を気にすることなくスタスタと公園を出て行った。





