トラブルの芽【Others Side】
バルディア王国に召喚された勇者は全部で二十二人。
それぞれがタロットカードのアルカナの名称で表される勇者です。
若者たちが突如として勇者にされてしまってから、およそ一つの季節が過ぎ去ろうとしていました。
程度の差はありますが、各人が訓練と学習、多くの人々と触れ合い、異世界に馴染んできた頃合いでもあります。
なかでも特に順応性に富み、好奇心旺盛な勇者がいました。
彼女は『世界』のアルカナを冠する勇者であり、初めてバルディア王国を出奔した勇者となりました。
それもある日、いきなりのことです。置手紙だけを残して消えてしまったのです。
当然ながら、王国の人間やほかの勇者たちに心配や迷惑をかけることになります。
一応は置手紙を残していることから最低限の義理を果たしているようにも思えますが、具体的な理由も行き先も書いてはありません。特別に親しい間柄の人もおらず、彼女が何を考えていたのかは誰にも理解の及ばないところです。
世界を救うべく召喚された勇者が突然、行方をくらませたとなれば、他国とて黙ってはいません。
勇者という存在には戦力として以外にも様々な価値があります。
バルディア王国が秘める召喚の儀式を解き明かすヒントを持っているかもしれませんし、規格外の勇者という存在を知り、その強さの秘密を解き明かす切っ掛けになる可能性もあります。
さらに異世界の知識は魅力的でしょう。バルディア王国も諸外国からの軋轢を避けるために、知り得た情報はなるべく公平に文書で渡すようにはしていましたが、それが全てであると信じられるはずもありません。知れば知るほど、疑問が湧くということもあります。
あるいは血筋に組み込むことによって、勇者の力の一端を継承することが可能になるかもしれません。
最悪は囚われの身となって、実験動物のような一生を送ることさえ想像できます。強大な勇者の力があっても、人の身であれば完全無欠とはならないのですから。
「ついに一人、離脱したか」
「まさか最初の離脱が世界の勇者殿とは想定外でした」
「彼女は戦闘には積極的ではなかったですが、知識欲が旺盛で特別な問題を抱えていたわけではなかったはずでは?」
「問題はなかったはずだ。離脱するとすれば、悪魔の勇者や女教皇の勇者、恋人の勇者が可能性としては高かった」
「他国の引き抜きが積極性を増すなか、我が国において不満を隠さない勇者殿ですな。誰かがいなくなるのは時間の問題ではありましたが……」
「どの勇者殿であろうと、敵対することだけは避けなければならん。それと出奔を許すことになっても、行方だけは見失うな。今回もまだ足取りを追うことはできるかもしれん。まさか、追跡を諦めたわけではないだろうな?」
「もちろんです。捜索のための予算と人員は増やすよう手配しているところです。貴重な人材ですからね、最悪の事態だけは避けなければ」
「ああ。それと残りの勇者殿に対するマークも、より一層の力を尽くせ。我々の存在意義に関わる」
話し合っているのはバルディア王国の情報部の人間です。彼らは勇者たちの動向をつぶさにチェックし、心身の状況、交友関係、接触しようとする人物や組織の調査などを仕事としています。
王国どころか世界にとっての最重要人物として遇されるべき勇者のケア、それと監視はその存在の重要性を鑑みれば当たり前のことです。勇者とは世界を救う使命を託された者たちなのですから。
ゆえに勇者の不意の出奔は大きな失態です。
女性の身でありながら、異世界の地でたった一人。どこぞで死なれるようことでもあれば最悪です。そうでなくても囚われるようなことがあれば、大きな損失になります。
貴重な勇者には健在であってもらわなければなりません。
例えバルディア王国から恒久的に離れる決断をした者であっても、無用な損失は世界にとっての悲劇に繋がりかねません。たったの二十二人しか存在しない勇者なのです。
「それと他国からの勧誘は成功しそうなのか? できれば引き止めたい勇者殿もいるが、無理に引き止めることもできん。懐柔策はどうなっている?」
「興味を引くような人や物、あるいは催し物を間接的に提示していますが、なかなか上手くいきません。我がほうよりも魅力的な提示があるのでしょう」
「逆に、出て行って欲しい勇者殿についてはどうしますか?」
「そちらについては相手方の勧誘の成功を祈っておけ。だが、戦力として腐らせることは許さん。今のうちから根回しは密にな」
「はい、それについては既に進めています」
強大な力を誇る勇者を無理に留め置くことは困難です。そして余りにも問題の多い勇者には出て行って欲しいのも本音です。
さらには王国を出たとしても、世界のために役立って欲しいと考え、情報部はいくつもの策と根回しをも実行しています。これも勇者召喚の秘儀を実行するバルディア王国の責務と自認しているからです。
「そのほかの勇者殿だが、騎士団からの報告では最近、能力の伸びが芳しくないとなっている。精神的に不安定になる者が出始めるかもしれん。よく注視しておけよ」
「人間関係のトラブルも心配ですね。ここ最近、男女間の進展が著しい反面、いつ何時の破局があるか分かったものではありません。一夜で急変する恐れもありますので……」
「派手に遊んでいる勇者殿もいますからね。後ろから刺されるなんてことも、最悪はあり得るかと」
「勇者であっても若者だ。その辺は想定内だろう?」
「たしかにそうですが……。いっそのこと刑死者の勇者殿のように、娼館で遊んでくれているとこっちとしては気楽なのですがね」
「高級娼館であれば、女もプロ中のプロだからな。素人相手の火遊びよりも、よほど安心確実だ」
「刑死者の勇者殿か。そういえば彼について、見失うといった報告が良く入るな?」
「はい。我々の監視を察知しているのか、王都の中で急に姿を見失うことがあるようです。その間、なにをしているのか完全に不明です」
「それだと監視はバレているな。しつこくするのは不興を買う恐れもある。秘密にしたいのならさせておけ」
「よろしいので?」
「あの勇者殿との間には魔物討伐の契約がある。最も重要な役目を果たしてもらっている以上、余計な詮索は無用だ。それになにをしているか、下手に知ってしまえば対処しなければならなくなるかもしれん。知らぬが仏と言うだろう」
「それもそうですね。では、これまで通りに可能な範囲での監視を続けます」
監視をするほう、されるほう。どちらも大変に気の毒な役回りです。
しかし事は世界の命運に関わりますから、必要なのは間違いありません。




