月と死神
マクスウェルに契約書を託して数日、徐々に慣れつつある廃屋、いや、新居での生活を満喫していた。
生活のなかで新たに分かったことは、魔物除けの作用なのか、不思議なことに屋敷の中どころか庭にも動物はおろか虫さえ入ってこないことだ。
小さな山の中を散策してみれば虫の類はたくさん見かけるから、おそらくは魔物除けの作用で間違いないだろう。これがかなり快適だ。
窓もない山の中の屋敷ならば、虫の侵入をどうするかと心配していたが、それは杞憂だった。この素晴らしい機能だけでも、新居に対する愛着はかなり増した。
平和が続くうちに片付けでも進めておこうかと、今日は壊れた屋敷の鉄門を片付ける。
修理はできるかもしれないから、端っこに除けるだけだ。
泥まみれの倒れて曲がった重い鉄門を持ち上げると、柵に立てかけて終了だ。素人に修理までは無理だ。
働く気になっているうちに、門から玄関までの雑草も刈ってしまう。古道具屋で格安で仕入れた鎌を持ち出して、適当にザクザクと刈り取るだけだ。
通路ができるように刈り取った雑草がなくなるだけで、大分見違えた気がする。
「ふぅ、今日はこんなもんだな」
大して疲れてはいないが、根を詰めてやる気はない。少しずつでいい。
最近気に入っている、庭にあった温室に移動して休憩をとる。
ガラスの天井や壁は破れて全てなくなり、元はあったと思われる観賞用の植物も枯れ果てて雑草しかない。だが、ここには石で作られた長椅子とテーブルがあった。
ひんやりとした長椅子に寝そべり、木漏れ日のように天井の残骸から降り注ぐ日の光を浴びていると妙に気持ちがいい。
虫もやってこないし、少し暑いくらいの昼間の気温だと、冷たい石の長椅子も心地がいいものだ。
だらしなく昼寝を楽しんでいると、久しぶりの訪問者の声に起こされた。
「大門殿、おられますか!」
……マクスウェルか。玄関前で呼びかけているらしい。
ぐっと伸びをして庭から玄関に回る。
お? 一人じゃないのか。話し声がする。
文句を垂れるような女の声だ。近づくにつれてはっきりと聞こえてくる。
「ちょっと、マジなんなの!? こんなトコに住むなんて聞いてないんだけど!」
「まあまあ、手入れをして徐々に環境を整えていくのも楽しいものですよ」
かなり無理がある説得の言葉だと思うが、他にどう言えばいいのかも難しいな。
若い女の声が聞こえるってことはあれだ。もう連れてきたのか。
「あんたもなんか言ってやりなさいよ!」
「た、確かにそうだけど。で、でも、ここが今日から、わ、私たちのおうちになるわけだし……」
女が二人、話の通りだな。
「マジ信じらんない。廃屋じゃん。幽霊屋敷じゃん」
人様の家に対して随分な言い草だが反論できん。俺もそう思っているからな。それでも住んでみれば案外居心地はいいものだけどな。
心の中で応えながら訪問者の前に姿を現す。
「よぉ、マクスウェル」
「大門殿、お久しぶりです」
挨拶を交わしてから新顔の女を無遠慮に値踏みする。遠慮などする必要はない。
若干緊張しながらも挑戦的な目つきで俺の視線を跳ね返そうとする勝気な女。
髪は色素の薄い緩いウェーブの掛かった長髪だが、根元から同じ色であるし染めたり抜いたりしているわけではないのだろう。
綺麗な顔立ちをしているが、表情のせいでキツイ印象を受ける。
スレンダーで健康的なプロポーションを着崩したブレザーの制服に包んでいるが、未だに制服を着ているのか。
ちょっとしたアクセサリーを随所に身につけているし、いかにもギャルっぽい。こいつが散々に文句を垂れていた奴だろう。
もう一人の女はギャルとは対称的だ。俺を前にして緊張どころか恐怖すら感じているように怯えた様子。
黒々とした真っ直ぐな髪はセミロングほどだが、前髪が長すぎる上にダサいメガネで顔が良く分からない。
柔らかそうな体つきにギャルと同じく制服姿だが、こちらは清潔そうなセーラー服だ。
飾り気は全くないし、典型的な根暗女といった感じだ。ギャルとは違って大人しそうなのは評価できるかもしれない。
「……ちょっと、あんた、ジロジロ見ないでよ!」
ガキの頃から強面で通っている俺に、面と向かって生意気な口が聞けるとは大したものだ。
こっちとしてはこれだけ気が強いなら、むしろ付き合いやすいかもしれない。いちいち怯えられるほうが面倒だからな。
根暗女は萎縮しているが、ギャルに面倒を見させれば大丈夫だろうと、適当な第一印象だけで当たりをつけた。
「とりあえず、中に入れ」
玄関前で長話もないだろう。それだけ告げると壊れた玄関からさっさと中に入る。
マクスウェルが俺に続くと、恐る恐るといった様子で女も後に続いた。




