踏み潰す者
敵が繰り出す激しい攻撃は、心のうちに沸き上がる恐怖を掻き消そうと躍起になったものだ。
焦りは手元を狂わせ、正確な狙いとは遠く威力も落ちる。すると攻撃が当たらない苛立ちからも焦りを増し、より攻撃が雑になっていく。そもそも百発百中ではないのだから、受ける攻撃はより散漫になる。
負の感情のスパイラルは冷静さを奪い去り、無駄に恐怖を増大させる結果となっているようだ。
俺はただ歩く。
黒い毒ガスの噴出はすでに止まっているが拡散せずにホールの底に留まったままだ。その只中を上からのライトに照らされたまま歩く。
躍起になって繰り返される攻撃を避けることもせず歩き、そして階段を塞ぐ柵の前に到着した。
絢爛な屋敷には完全に不釣り合いな武骨な鉄の柵は大きく、乗り越えることも破壊することも普通であれば容易でない。
触ってみるとこれ自体は罠ではなく、単に階段を上がらせようなにするための物らしい。毒ガスに満ちたフロアから逃がさないための装置の一つなのだと思われる。
「如何に勇者とて、あれは突破できまい! 落ち着いて狙いを付けろ!」
柵を前にして足を止めたがゆえに、先に進めず戸惑っているとでも思ったらしい。
なぜ勇者が鉄の柵一つを突破できないと思うのか不思議だ。この程度、勇者でなくても突破できる奴はいるだろうに。
それとも単なる鉄柵ではなく、極めて頑丈な造りをした特別製なのだろうか。
「どれ、自慢の防御を踏みにじってやる」
降り注ぐ攻撃を無視しながら、縦に並んだ金属の棒の隙間に両手を差し込む。
「ふんぬっ」
力を込めて隙間を広げようとして無理だと悟る。なるほど、勇者特有の非常識な馬鹿力を込めてもビクともしない。これは頑丈だ。
手でこじ開けることは素直に諦め、適当にガンガン蹴ってみても柵を倒せる感じはしない。
この間にも降り注ぐ攻撃は続き、俺の苛立ちが上昇していく。
「しゃらくせえ!」
勿体ぶったわけではないが、伝家の宝刀よろしく今度は拳で殴りつける。
拳闘無比の特殊能力を有する俺の拳は一層異なる次元の攻撃だ。
柵の横に渡された板の部分を目がけて入れた一撃は、巨大な柵を大きく歪ませながら、根元から折れ曲がって階段に押し倒した。
金属製の柵を殴りつけた轟音にプラスして、盛大に倒れる音がホールに響き、雑魚どもの攻撃が一時止んだ。
階段を覆うように倒れた鉄柵を踏みつけて進み、そこで一旦足を止めると回廊の上に陣取る奴らを改めて見回す。
声を掛けるまでもなく伝わるはずだ。
今から行くぞ、覚悟はできているだろうな、という俺の声が。
そうしてから上の回廊目指して再び歩み始めると、狂乱したようにこれまでで最も激しい攻撃がやってきた。
降り注ぐ全てをそよ風の如く受け止めて徐々に迫りゆく魔神以上の暴力の化身を、あいつらはどのような気持ちで迎え撃っているのだろうか。
階段を上がりながら気づいたのだが、二階部分と三階部分にある回廊には当然ながら屋敷の奥に続く通路がある。だが、その通路はさっき破った鉄柵と同じような物で塞がれているのだ。つまり、この場で俺を迎え撃つ奴らには逃げ場がない。
攻撃が効かないどころか怯みもせず足止めもできない相手に、奴らは退くこともできないのだ。
さしずめ奴らにとって俺は迫りくる死神といったところだろうか。
殊更に恐怖をあおるよう、ゆっくりとした歩みで階段を進んでいると、そろそろ遠距離攻撃の種が付き始めたのか攻撃の密度が急速に薄くなっていく。
騒がしい音が小さくなり、悠然と階段を上る鈍い足音だけがより顕著に耳に届くようになっていく。
死神の足音だ、それが聞こえれば怖いだろう。ただ、足音程度で怖がっていてもらっては困る。
「う、うあああああああああっ!」
奴らは自然と後退って階段からは遠い位置にいたのだが、一人の男が痺れを切らしたような絶叫と共に突撃してきた。するともう一人が釣られたように向かってくる。
やられる前にやる。正しい判断のようにも思えるが、それは冷静な判断ではなく恐怖に突き動かされた衝動でしかない。
剣というには小ぶり、ナイフというには大ぶりな刃物を突き立てようとした最初の男には、すれ違うように避けながら腹に強烈な一撃を叩き込んだ。
今の一撃は確実に命を奪い去る攻撃だ。こいつは見せしめとする。
猛烈な打撃は腹を突き破って背骨を叩き折り、腕が貫通してもまだ辛うじて息のある体を高々と舞い上げるように放り捨てた。
多くの奴らが意外に思うだろうが、たったいま初めて人を手に掛けた。
しかし、それに対する感慨はない。この行為を他人のせいにするつもりもない。
俺がやりたいからやる。
このクソどもをぶっ殺して留飲を下げるのだ。俺自身のために。
すぐ近くに迫っていた二人目は、一人目の背中から突き抜けた拳に驚いたのだろう。飛び散った血肉にまみれて硬直しているそいつに対し、今度は力を抜いた打撃を腹に当てる。
素手の攻撃は加減が利きやすい。今度は苦しめるために即死はさせなかったが、少しの時間を置いて確実に死に至る致命傷だ。
「苦しめ、泣き喚け、悲鳴を上げて命乞いしろ」
恐怖を与え、苦しませてから殺す。その怨嗟の声を侯爵親子に届かせろ。お前らの役目はそれだ。
例え外道と蔑まれようと、奴らがケジメを取るにはこれ以外に方法がない。
階段を転げ落ち鉄柵にぶつかった男を放置し、また階段を上がる。そろそろ二階の回廊だ。気づけば攻撃は止み、静まり返っている。
最初の男が即死した様を見て更なる恐怖を与えてやれただろうか。続けて発した独り言も、静まり返ったホールでなら全員に聞こえたかもしれない。
いまホールで聞こえるのは二人目に倒した男の弱々しい咳だけだ。だが、これだけでは侯爵に届かない。もっと数が必要だ。
回廊に到着すると、左右に首を巡らせる。どっちから行くか。お前らの地獄は今から始まる。
ホールを見下ろす回廊は思いのほか広く、四人は並んで歩けるだろう。
スペース一杯を使って、まとめて襲い掛かってこられてもいいのだが、腰の引けた奴らは掛かってくる気がないらしい。ならばこっちから力を見せつけに行く。
階段から左右に伸びる回廊の右と決めると、奴らには視認できないスピードで迫って次々と腹を殴る。全ての打撃は内臓を破壊する致命傷だ。
殴って殴って、通行に邪魔な奴は殴ってからホールに叩き落とす。ホールに落下した奴は黒い毒ガスのなかで悲鳴もなく絶命していく。
回廊を一周し終えるのに、さしたる時間は掛からなかった。倒れた野郎どもが撒き散らす血反吐で、高価な絨毯が敷かれた回廊は見る影もない。
次は三階だ。
罠を踏み潰し、人を踏み潰し、嗚咽と嘆きをBGMにして先に進む。




