歓迎の儀式
とうとう本丸、ソールズワード侯爵家に殴り込みだ。体の芯が熱くなる。
単純にやり返せる高揚感とはならず、死んだ女たちの顔が思い浮かんで怒りの炎として身を焦がす。
だが相手は百戦錬磨の始末屋だ。個人の戦闘力が劣ると言っても、どのような罠を張って待ち構えているか分かったものではない。逆にやられる可能性も思い浮かんで、頭を少しだけ冷ます。
一度大きく息を吐き出すと、歓迎するように自動的に開いた両開きの扉を潜る。ゲストである俺は堂々と招かれるままに入ればいい。どんな罠があろうが冷静に踏み潰してやる。
入ったそこは広い玄関ホールになっていた。ここだけでちょっとしたパーティーを開けそうなほどのスペースがある。金だけは余っていそうな豪華な屋敷だ。
煌々と灯りを放つ洒落た照明器具が数多く配置され、吹き抜けになっている遥か高い天井には大きなシャンデリアまで吊るされている。壁紙には紋章のような複雑精緻なレリーフが刻まれ、調度品は絵画に彫刻、水晶や翡翠を削り出した花瓶などがさり気なく配されている。床を埋める手織りの絨毯に至るまでの全ての物が、贅の極みといった風情だ。根が貧乏人根性の俺では理解できない趣味に見えても、大国の貴族とはこういうものなのだろう。常識の違いだ。
玄関から入って辺りを見回していると、背後の扉がバタンと音を立てて閉じた。単なるこけおどしか、それとも閉じ込めたつもりだろうか。
逃がさないように閉じ込めたのだとしたら、それは大きな過ちでしかない。逃がさないと決めているのは奴らではなく、俺のほうだ。
目視できる範囲では無人の玄関ホールだが、人の反応は完全に捉えている。
隠れているつもりか、吹き抜けになっている玄関ホール上の奥に隠れているのがわんさかいるらしい。
「さて、どう歓迎してくれんのか、精一杯もてなしてもらおうじゃねえか!」
ホール奥の階段に向かって踏み出すと、いよいよ歓迎が始まった。
階段の手前に柵がせり上がって行く手を塞ぎ、同時に真っ黒い煙が壁の穴から勢いよく噴き出して充満し始めた。
毒ガスだろう。懲りない奴らだ。少しばかりの警戒はしたが、どうやら問題ない。
ただし体調に変化は感じなくても、酷い臭いに顔をしかめてしまう。鼻の奥に刺さるような刺激臭は、毒の効かない身にとっても単純に臭くて堪える。
黒い煙でもまだ視界を完全に奪われるほどではなく、普通に歩いて柵に塞がれた階段を目指す。
僅かに感じる動揺した気配は、毒耐性への驚きだろうか。
驚くにはまだ早い。それに驚きなど意味のない感情だ。
特に殺されたコロンバス会の女たちが味わった尋問とそれによる恐怖と苦痛を思えば、考えただけでもはらわたが煮えくり返る。
こいつら全員に死んだほうがマシだと思えるような恐怖と苦しみを与えてやらなければ、釣り合いが取れない。
そしてこいつら雑魚どもは、ただのエサでしかない。標的である侯爵とそのバカ息子、こいつらに最大限の恐怖を与えるためのエサ。雑魚どもに与える恐怖と苦しみが、標的の感情を大きく揺さぶるはずだ。
これから行う俺の戦いは、恐怖を与えるための戦いだ。決して楽には殺さない。
ゆっくりとした歩みで広いホールの中央付近に進んだ時、それは起こった。
高い天井に吊るされたシャンデリアが落下してきたのだ。
重さにして数百キロは下らないだろう金属とガラスの塊による落下攻撃は、古典的な仕掛けだが効果は大きい。真上から迫る攻撃は気づき難く、その巨大さは一歩や二歩動いただけでは避けきれない。
勇者の強靭な身体能力や防御能力によって死に至らしめることまでできなくても、怪我を負わせることや最低でも巨大構造物の下敷きにして身動きを封じることは可能だろう。俺でも不意打ちで頭に直撃すればダメージは必至だろうし、もしかしたら死ぬかもしれない。
それでも罠を警戒した逐電亡匿のサーチ能力で察知している俺がとるべき行動はシンプルだ。避けることは造作もないが、それでは高みの見物を決め込んでいる奴らに驚きと感心しか与えられない。ここでは最初の無力感と理不尽さを思い知らせてやる。こいつらが一体、何者を敵に回したのか。それを知らしめる。
頭上に落下してきたそれに対しては、拳を突き上げることのみでいい。密度を増す黒い毒煙や大きなシャンデリアが邪魔して俺の動作は視認できないかもしれないが、見えなくても結果から想像はできるはずだ。
「おらあっ!」
気合の声を発する。直撃の寸前で突き上げた拳によってシャンデリアは爆砕し、盛大にその破片を撒き散らかした。
上から黒い煙を見下ろす連中からは、単純に落下の衝撃で砕け散ったのだとしか思えないだろう。
現に勘違いしたようで、静まり返っていたホールの上から雄叫びのような歓声が聞こえた。
「この程度でやられるか、間抜けな奴らめ」
巨大シャンデリアの残骸を踏み越えようとよじ登ると、黒い煙の上に出た。
間抜けな奴らは隠れていたはずなのに、今は吹き抜けのホールを囲むように渡された回廊に姿を現している。地獄の穴の底から見上げる亡者のように、首をぐるりと回して間抜けどもを睨み据えた。
目が合ったわけではないと思うが、そのように錯覚した奴らが身震いでもするように後退ったのが分かった。瞬間的な静寂を置いて、再びざわめき始める。
「まだだ、生きてやがるっ」
「しぶとい奴だ、仕留めろ!」
ソールズワード侯爵は毒煙と落下物だけで終わると考えていなかったのか、ただの保険か慎重さか、上の回廊に陣取った奴らが一斉に攻撃を開始した。
始めにサーチライトのような強力な光が浴びせられ、続けて降り注ぐ弓矢の雨や投石、それと投げ槍まで飛んでくるが、今さらその程度を恐れる道理はない。
通常の人間の腕力や小さな弓の張力から放たれる程度の攻撃では、極致耐性を抜いて傷つけることは無理だ。煩わしさはあっても、避けるまでもなく攻撃を無視することができる。痛み自体は無くはないのだが、怪我をすることはない。
ただ、目玉に食らうことは避けたいので、片手で庇を作るように目元だけ守る。防御の構えはそれだけだ。
それに大神殿で巫女にもらった服は矢を通さず、僅かな痛みも軽減してくれる。重量物の落下のほうがまだダメージを期待できるだろう。どうでもいいことだが、不思議と魔法は使ってこないらしい。
攻撃を無視して歩き始めると奴らも必死に攻撃を激化させた。
手に取るように感じるぞ。その焦りと、じわりと背中を這い上るような得体の知れない恐怖感を。まずは攻撃の効かない異常な防御力とその理不尽さを噛み締めろ。
策を弄して勇者を手に掛けることはできても、真正面から対峙した時に強気の姿勢を保てるか? そいつを試してやる。




