廃ホテル、リッツハイド
「大門さん、ボクらはハメられたってことですか?」
「それ以外のなんだってんだ。まさに勇者を排除したい奴らの思いのままに動かされてたってことだ。そもそもの派閥内での仲間割れもそいつらが仕組んでんじゃねえのか? 知らねえけどよ」
野郎どもは悔しそうにし、俺にも誘拐について事情説明を求めた。
細かいことまでは話さなかったが、勇者の排除を進める裏方の始末屋なる存在がいて、そいつらが女を攫っていたこと。始末屋と因縁のある俺が暗闘しているときに、たまたま女を見つけて保護したこと。その後に廃ホテルに呼び出されていることを知り、様子を見にきてやったのだと話してやる。
「……そういう事になってたんですか。大門さん、すみません。エレノアを迎えに行かせてください」
「鬼丸君、待ってくれ。大門さんの話は理解したけど、じゃあホテルに一人でいるのは誰なんだ?」
廃ホテルに一人でいる女など、どう考えても普通ではない。浮浪者や占有屋などではなく、間違いなく罠だろう。一人だけ廃ホテルに配置したのは、それが双方の勇者にとって攫われた自分の女だと誤解させるためと考えられる。しかし実際、誰がいるのか。
「行って確かめてみるしかねえな、ひょっとしたらお前らとは違う別の勇者の関係者かもな」
考えていても仕方がない。俺にはまだやることがあるし、とっとと確認してさっさと帰りたい。
廃ホテルの出入り口に向かって歩き出すと、二人の野郎どもも付いてきた。
建物の中に入ってみれば、当然ながら非常に暗い。それでも意外に綺麗なことは分かる。白っぽい壁に落書きもなければ窓が割れていることもないし、カーテンも掛かったままだ。埃っぽくはあっても、広いロビーには椅子やテーブルなども残っていて、掃除さえすればまだまだ使えそうに思える。もったいないことだ。
「灯りを」
魔術師の勇者が照明代わりの魔法を使ってくれた。魔法というのはやはり便利なものだ。
「おう、助かるぜ。ところでお前、魔術師の勇者だよな。名前は?」
「え!? 知らないんですか?」
「ちょっとばかし話したことはあったと思うが、自己紹介までされたことなかったよな?」
たしか、大量のゾンビを操る魔神と戦った時、あの山にハンジたちと一緒にいたはずだ。その時に少し話したことがあったと思うが、ほんの僅かな交流だ。
「はい、まあ、そこまではしなかったような」
「だったら知るわけねえだろ。俺は大門トオルだ。お前は?」
「僕は松平リョウです。魔術師の勇者で、今はグランキース侯爵家に婿入りしていますので、リョウ・グランキースです」
「なるほどな。だったらハンジも鬼丸じゃなくなって、ハンジ・リンバリーか? こう言っちゃなんだが妙な感じだ」
「自分でもなかなか慣れないですよ……」
「だろうな。とにかく、お前ら二人の関係は知らんが、悪くても表面上くらいは仲良くしとけ。勇者同士が争っても何の得にもならん」
俺の面倒を増やすなという意味を多分に含んだ言葉だったが、仲裁された二人は素直に反省しているらしい。特に騙されて戦う羽目になったことについては思う所があるようだ。
「……鬼丸君。いや、ハンジ君、すまなかった。リンバリー家とは上手くやっていけるように、僕から当主様には話しておくよ」
「こっちこそすまない。ボクも家には言っておくし、これからはリョウと呼ばせてもらうよ」
なんだ、こいつら。青春の一ページみたいなことしやがって。素直なのはいいが、若干気持ち悪いな。野暮なツッコミはしないが。
「お前ら二人がガッチリ手ぇ組んで敵の誘いにさえ乗らなきゃ、よっぽどの事態にも対処できんだろ。これからは気を付けろよ」
「エレノアが攫われて、おまけにいいように操られたんですからね。大門さんが止めてくれなかったら、どうなっていたか……さすがに不味かったと自覚してます」
「僕がもっとしっかりしないと……」
リョウとハンジの関係がこれまでどうだったのか知らないが、これから上手くやってくれるならそれでいい。
二人の雑談を聞き流しながらロビーの奥に抜けていくと大階段が現れる。王宮でもそうだったが、エレベーターのような自動昇降機はないらしく足で上がるしかない。単純に移動が面倒だから、上層階は金持ち向けではないのかもしれない。
廃ホテルは縦と横に広く、上も五階まである。各階の天井は普通の民家の倍くらいはありそうなほど高いので、階段を上る距離も思うよりずっと長い。
絨毯が敷かれたままの埃の積もった階段を登っていくのだが、このまま素通りで最後まで行けるとは思えない。人の気配がないことから、待ち伏せがないことは確実だが罠はあるだろう。問題は勇者をハメようとする罠が、どのようなものであるかだ。
「おう、分かってんだろうが慎重にな。なんか気が付いたらすぐに教えろ」
一同、気を引き締め直して先に進む。
二階までは吹き抜けで、三階以降へは折り返す階段を上がっていく構造になっているらしい。階段そのものは広く上り易い。魔術師の勇者が浮かべる灯りのお陰もあって、不自由なく周囲の確認まで可能だ。油断はない。
罠を警戒してゆっくりと進んでいると、ふと嫌な臭いが微かに鼻をつく。
果物が腐ったような、生ごみの臭いとでも言おうか。ほんの僅かだが空気に混じっているようだ。
「誰かゴミでも放置しやがったのか」
「ゴミ? なにかあったんですか?」
「いや、なんか臭くねえか?」
「そうですかね」
悪臭にばかり気を取られていても仕方がない。無視して進んでいたのだが、その臭いはどんどん強くなっていく。
「これ……ゴホッ、ゴホッ、なんか頭が」
ハンジが咳き込み始めて足が止まった。
生ごみの処理場でもないというのに、あまりにも酷い臭いが充満している。
「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ! ま、待ってくれ。これは、もしかして」
「リョウ、なんか心当たりがあんのか?」
「に、逃げないと……これ、たぶん」
二人はなにやら意識が朦朧としてきているらしい。俺にとってはなんか臭いな、くらいの感じなのだが。いや、待てよ。
「あ、もしかして毒ガスかこれ!? おい、しっかりしろ!」
「これ、麻薬……」
前後不覚に陥ったらしい二人は階段の途中でしゃがみこみ、まともに立ってもいられない。灯りの魔法が消えて暗くなった階段で、仕方なく二人を抱えて一旦ロビーまで退避した。
そこらのソファーに放り出すと、一人ごちる。
「こいつ、麻薬とか言ってやがったな。なんで知ってんだよ」
魔術師の勇者は貴族の家に入ったがゆえに、ろくでもない遊びを覚えてしまったのだろうか。やめておけよと忠告したいところだが、リョウもハンジも深く酩酊したかのように意識が混濁しているらしく、すぐに回復する様子はない。
「おい、しっかりしろ。まさか死ぬんじゃねえだろうな?」
「……少し休めば……大丈夫です」
「……こっちも、なんとか」
受け答えができるなら大丈夫か。
しかし毒ガスならぬ麻薬とはな。お香のような形で大量に炊いているのだろう。俺の極致耐性には薬物耐性のような効果も含まれるようだ。臭いを気にしなければ何の問題もない。こいつらは置いて、一人で行くとしよう。
「臭いは上からきてるようだったな……こうなると上にいるお姫様が無事とは思えねえな」
残念ながら無事に助けられる予感はしない。




