教育的指導
朝早くからのトレーニングを終えると、我ながら珍しいことに城下町に出てみることにした。ちょっとした気晴らしだ。
思えば、おばさんメイドから街の事を聞いてはいたが、実際に自分の足で出歩いた試しはない。
最初から城の自室でゆっくりと過ごすのが贅沢な時間だと思って無駄に出歩く事はしなかったし、トレーニングに精を出すようになった今でもその傾向は変わっていない。
だが、今日は異世界の街を歩いてみる誘惑に、ふと駆られた。特に理由はないし、なんとなくの気分の問題だ。
城から離れ、馬車で通ったこともある目抜き通りを目的もなしに練り歩く。
肉を焼く屋台の匂いに誘われて、遅ればせながら気がついた。
「……そういや、金持ってねぇな」
考えてみれば俺は無一文だ。
何度も魔物を倒して働いているはずだが、金を受取った事はない。俺としたことが、なんたる不覚。
金が不要で、特に不自由のない城でのVIP待遇の生活に、いつの間にか慣れてしまっていたのか。
それにしても買い食いする程度の所持金すらないとは、我ながら情けない。しかし、今から金をせびりに城に戻るのもな。
「しょうがねぇ。今日は散歩だけにしとくか」
屋台の肉の誘惑を断ち切って先に進むが、その先にはまた別の屋台。そしてまた屋台が続く。
どこもいい匂いを漂わせていて食欲を誘う。食べられないとなれば、余計に食べたくなるのが人情ってものだろう。
「やっぱり味わってみてぇな」
以前の人生では買い食いなどに興味はなかったはずだが、今では心に余裕が生まれたのだろう。非常に気になる。
しかし、仮にも勇者たる身で食い逃げもないだろう。我慢するしかない。
匂いの誘惑から逃れるため、屋台の立ち並ぶ目抜き通りから外れ、何本か奥の裏通りを進むことに決めた。
どうせ目的はないんだ。ぶらぶらしてみよう。
路地裏に入ると、ガラッと様相が変わる。その辺はどこの世界も変わらないらしい。
薄汚れた身なりの爺さんが路地に寝そべっていたり、ガラの悪い男が何をするでもなく突っ立っていたり、貧乏そうな少年たちがたむろしていたりだ。
間違っても女が一人で迷い込んで良いような場所ではない。
表の活気のある通りとは雰囲気があまりにも違い、落差が酷い。この辺りがたまたまスラムに入る場所なのかもしれないが。
雰囲気の悪い路地裏を少し歩いただけで分かるが、特に見るべきものはない。
どことなく不快な臭いも感じるし退散するか。
そんな折、そいつらは現れた。
「おっと、兄さん。ここは俺たちの道だぜ。使ったんなら、通行料を払っていけよ」
「金貨一枚な。足りなかったら、あり金だけで勘弁してやる」
「なんだそのツラ。喧嘩売ってんのか、おっさん」
「おっかねぇツラしやがって。死にたくなけりゃ、とっとと金出せよ」
通行料ってか。なかなか面白い事を言い出す奴らだ。実は俺も昔やっていたことがあるが、それはまあいい。
わらわらと集まってきた十代後半から二十代前半と思しき若者たちは、ただの道を自分たちのものだと主張して憚らない。しかも金属の棒やらナイフやらで武装までしている。
こうしたシチュエーションは何度も経験しているし、勇者の力を得た今となっては恐れる理由はなにもない。
こっちの余裕のある態度が気に食わなかったのか、チンピラの一人がナイフをかざして凄む。髪型をウルフカットに決めた、なかなかのイケメンじゃねぇか。
「舐めてんのか、コラッ! 早く金出せよ!」
ありきたりな脅し文句だが、慣れているのかドスの利いた声で妙に堂に入っている。
どうせ暇だったんだ。付き合ってやるか。
世界は違うが俺の後輩みたいな連中だ。ちょっとだけ揉んでやろう。
「おい、そこはそうじゃねぇ。俺みたいなのを相手する時には、もっとこう、最初からガツンとやれ」
ナイフをものともせずに近寄ると、呆気にとられるチンピラの胸倉を掴みあげて、そのまま壁に叩きつける。
驚きに固まっていた他のチンピラだが、我に返ると怒りに任せて殴りかかってくる。
振るわれる武器を加速する世界の中で見つめながら丁寧に避け、手加減を加えながらもチンピラの腹に向かって、正確に拳を一発ずつ叩き込んでいった。
造作もない。ゴブリン程度の力しか持たないチンピラを叩きのめしたところで何の自慢にもならないが、これは教育だ。未来ある若者のためを思えばこそってやつよ。俺も大人になったな。
苦しげにうめいて咳き込み、喋ることもできないチンピラどもを見下ろして講釈を垂れる。
若者を諭すのは、大人の義務であり特権ってものだろう。
「いいか、喧嘩を売っていい相手かどうかは、最初にきちんと考えてから選べ。金は持っていそうか、自分らの手に負える相手かどうか。できれば金を持っていそうな余所者がいいな。それから金も根こそぎ奪うのはやめておけ。相手によっては面倒なことになるぞ。そいつにとって諦めても構わない程度に抑えるんだ。そこの見極めが大事なところだな」
チンピラどもが口を利けないのを良いことに、好き勝手に上から語る。
「その点、お前らは全然なっちゃいない。俺のツラを見ればヤバそうな相手だって分かるだろうが。それを無視して掛かってきたのが、まずダメだ。それから俺は金を持ってねぇ。所持金ゼロだ、ゼロ! そんな相手に金を出せ? 見る目がなさすぎるだろ。まあ、今日はいい勉強ができたな。むしろラッキーだったと思え。もし俺の機嫌が悪かったら、お前らどうなってるか分からんのだしな」
こんなところか。先輩からの貴重なアドバイスだ。ありがたく受取っておけ。なに、礼はいらん。
「じゃあな。次からはもう少し考えてやれよ」
悠然と背中を見せながら去る。
また別の奴に絡まれるのもなんだし、今日のところは帰るか。金もねぇし。
それにしてもだ。ふぅ、良い事した後は気分がいいぜ。




