悪運の強い悪魔【Others Side】
恐怖と激痛に脳髄が支配された悪魔の勇者は、半ば呆然として己が置かれた状況を見ていました。
ただ見ているだけで、何も考えることができません。
それどころか己を痛めつける何者かの会話も聞こえませんでした。
打撃耐性を持ち合わせないが故に、殴られるたびに痛みが突き抜け血が流れ出ます。
血を流し、涙を流し、よだれを零し、便を垂れ流しました。
いつまで続くとも知れない暴行をただ受けていると、やがて目にしたのは銀色に光る長剣でした。
何も考えられない悪魔の勇者でしたが、新たに突き付けられた恐怖に気が動転します。
危機から逃れようとする本能で体が勝手に動き、ガタガタと鉄の椅子を揺らしました。
見せつけられるようにゆっくりと長剣が振り上がるのを見ると、ついに硬直していた喉が動きました。
「うああああああああああああっ」
悲鳴です。本能に従って漏れ出た悲鳴だけで、意味のある言葉ではありません。
しかし、叫んだところで意味はなく、銀色に光る物体が膝のあたりを目がけて振り下ろされるのを、ただ見続けるしかありませんでした。
無残に足を切断される運命は果たして――覆りました。
勢いよく長剣が足に触れましたが、切断することはできません。
服を切り裂いただけにとどまり、薄皮一枚をも傷つけることはなかったのです。
上級斬撃耐性。
悪魔の勇者に刃物は通用しにくいです。普通の人間が武器を振るう程度の威力であれば、完全に無効化することさえ可能でした。
剣を使った者も見ていた者も、激しい違和感に襲われます。剣が弾かれたように見えたのです。
一度目はいぶかしげにしていましたが、二度、三度と繰り返せば、おかしいことは理解できます。
「な、なんだこりゃ、どうなってやがる」
「おい、ふざけてる場合じゃねぇぞ」
「ふざけてなんかねぇよ! こいつ、刃が通らねぇ!?」
今度は暴行に酔いしれていた男たちに動揺が広がります。
すると入れ替わるように、酷く混乱していた悪魔の勇者に考える力が戻ってきました。
奇跡のように刃物を通さなかった光景に、己が何者であったのか、思い至ることになります。
「……ふっ、くくっ、ぎゃはははははははははっ」
唐突に笑い始めた悪魔の勇者に男たちは戸惑いましたが、どこか不気味なものを感じざるを得ませんでした。
「ぎゃーははははははっ、くっ、あー痛ぇな、くそっ。死ぬほど痛みやがる」
散々笑ってから痛みを感じ、少しだけ頭が冷えました。
頭が冷えて混乱から立ち直れば、彼は腐っても『勇者』でした。
ダメージから回復する力も人並み外れています。
「おい、お前ら、俺が誰だか分かってんのか?」
「し、知るか、クソガキ! 死ねっ」
とっさに振られた剣は顔面に向かいましたが、切ることは叶いません。
「いってぇな、くそが。俺様は勇者様だぞ? てめぇらが死ぬのは確定だが、その前に聞かせろ。てめぇら、誰だ?」
「こ、この野郎、なにが勇者だ、ふざけやがって!」
「聞いたことにだけ答えろよ。めんどくせぇ、『告解』しろ」
悪魔の勇者が命令口調で言葉を発すると、男たちは雷に打たれたように硬直し、直後に平坦な声でしゃべり始めました。
これは彼が持つ特殊能力の一つです。
その能力である『悪魔の告解』とは、秘密の告白を強要するものでした。これは能力の片鱗に過ぎないのですが、有用な力と言えましょう。抗うには特殊な耐性を持つか、極めて強靭で尋常ならざる精神力が必要となります。
「……俺たちはモズライト組の構成員で、ロバート、ダニエル、」
「てめぇらの名前なんかどうだっていい。続けて答えろ、俺はなんでここにいる?」
「……ダニエルとマイクが運び込んだ」
「そいつらが俺を倒したのか?」
「……倒れていたところを発見した」
「じゃあ、誰がやりやがった!」
虚ろな表情で淡々と答える男に、鉄の椅子に縛り付けられたままの少年が怒りをぶつけました。第三者が見たなら、奇妙な光景に映るでしょう。
「……知らない。置手紙があった」
「なんだと、手紙?」
一人の男がポケットから紙切れを取り出しました。口だけではなく、行動まで素直になるようです。
「寄越せっ!」
悪魔の勇者はその仕草を見るや否や、特殊能力を使って拘束具をあっさりと断ち切り、紙片を奪い取ります。
そして書かれた内容を一瞥すると、怒りに身を震わせました。
――今回だけは見逃してやる。二度とやるな。
完全に上から見下された内容です。
誰がやったのか、何をされたのか。
全く気が付かないうちに倒されてしまった屈辱と怒り。そして羞恥に身を焦がしました。
特に捕まってしまった後で晒した醜態は最悪でした。
情けなく悲鳴を上げ、涙を流し、糞尿を垂れ流したのです。それもこれまでチンピラ風情と見下していた相手に対してです。
どうしようもない気持ちがせりあがり、そして怒りのままに消し去ることにしました。
この地下室であった出来事を。
「……全部、全部、消えろっ! 焦熱の黒炎」
振り絞るように呟くと、悪魔の勇者の体から黒い炎が噴き上がり、地下室を満たしました。
目撃者、物的証拠、出来事そのものを消し去りたいと、黒い炎が全てを灰燼に帰していきます。
「誰だか知らねぇが、ぜってー見つけ出して、同じ目に遭わせてやる……」
復讐を決意した少年は、荒んだ目をさらにほの昏くしながら、地下室をあとにしました。
もしモズライト組の構成員が刃物を持ち出すことなく、殴打を繰り返してさえいたなら。
悪魔の勇者はなす術なく息絶えたかもしれません。しかし、運命は悪魔の勇者を生かしました。




