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30 別れ道の途中。







薄く開かれた扉からまず見えたのは、なんとも言えない表情をした、マブルークの護衛騎士だった。


リアンもなんとも言えない表情を浮かべて、小さく膝を折る。


どうぞと大きく開かれて、部屋の中に通された。


窓辺のよく陽の当たる場所で、マブルークが笑顔で席を立つ。


「いらっしゃいリアン。ずいぶんと急だけど、どうしたんだい?」


リアンは持っていた紙の束を数枚ぺらぺらと捲り、その中から該当の言葉を見つけだす。


「……わたしはリアンではありません。お知らせを運んできた鳥です、ぴーぴよ」

「ふはっ! そうか……ずいぶんとかわいい小鳥だな。どんなお話を聞かせてくれるの? こちらにおいで」


護衛の騎士が扉を閉じると、リアンを追い越して、主人の向かい側にある椅子を引いた。

マブルークはにこりと笑ってその椅子を手で示している。


マブルークが先に着席し、優雅に足を組む。それを見届けてから、リアンはこそりと向かい側に腰掛けた。

手にした紙をぺらりと戻して、目を落とす。


「お知らせを聞かせてくれる?」

「はい。えっと……これはお館様から、マブルーク様に宛てられたものです。ぴーぴよ」

「うん。承知した」

「『よって便りを持たせた小鳥はただの遣いであると心得たし』……と『マブルーク殿に於かれてもこの小鳥と立場は同じと、こちらも心得ている旨を先に告げておく』ぴーぴよ」

「はいはい……どうぞ続けて?」


本題と銘打った頁を一番上に持ってきて、リアンは背筋を伸ばした。

はっきりと大きな声を意識する。


「『まずひとつに、貴国と密なる関係は持たない』です。ぴーぴよ」

「うん……まぁそれは承知の上だよ。それから?」

「はい『よって、今回の特使の派遣については心外である』と、ぴーぴよ」

「その鳥の鳴き声は必要なの?」

「はい、必ず後につけろって……ぴーぴよ」

「ふふ、そう。それから?」

「『何事かは存じ上げぬが、ご用がおありならば遣いを出さず、御自ら罷り越されるが良かろう』……ぴーぴよ」

「ふーん。まぁそれが簡単に出来ないからこその私なんだけどね。……分かった。伝えよう」


ぺらぺらと紙を確認して、淡々とリアンは読み上げることに専念する。


「『此度の特使の無礼には、無礼で返させて頂く。こちらの無作法にはこれから礼を返させて頂きたい』とのことです。ぴーぴよ」

「うん? 無作法って、このかわいい小鳥のことかな?」

「ああ、いえ。『帰ったのに知らせのひとつもしなかったお詫び』をしたいそうです。ぴーぴよ」

「なんだ、そっちか……どのような詫びでもお受けしよう」

「はい、えっと……それなら……」


紙を確認して、該当の箇所を探していると、向かい側からくすくすと笑い声が聞こえる。


「いっぱいあるね……それどんな事が書いてあるの?」

「あ! ダメです! 見ないで下さいよ!」


胸に押し付けて書面を隠すと、マブルークは乗り出していた体を背もたれに倒した。


「鳴き声を忘れているよ?」

「あ! ぴーぴよ!」

「はは! さあ今の答えに対して、何て言うの?」

「はい……『明日の昼食をご一緒にいかがか』です、ぴーぴよ」

「ふーん……まぁいいか。お受けしよう」

「はい、ではお館様に、そのようにお伝えします」

「…………鳴き声」

「ぴーぴよ!」

「ふふ! かわいい小鳥にごほうびをあげよう。ナイアット、砂糖菓子 持ってきてよ」

「……はい」


隣の部屋から護衛騎士が持ってきたのは、可愛らしい浮き彫りの模様が入った小さな瓶だった。


中には赤や黄、緑など色とりどりの小さな粒が入っている。


「何色が好き?」

「……赤がきれいです」

「いいよ……ほら、あーんしてごらん」


リアンが素直に口を開けると、マブルークは蓋を開けて、中から赤い粒を取り出した。

ころりと口の中に放り込む。


飴のように見えたのに、もちもちと柔らかく、噛むと甘みと少しの酸味、それからすっきりとした香りが口の中に広がる。

ほろほろと小さく砕けて、すぐに砂糖菓子は無くなった


「……どう?」

「んー……美味しいです! お花の味です!」

「ぷふ! 私は花を食べたことはないから分からないけど……そうか、お花の味か」


瓶の蓋を閉じると、リアンの手を取ってそれを握らせた。


「私の国のお菓子だよ。リアンにあげよう」

「いいんですか? ありがとうございます!」

「どういたしまして」

「大事に食べます!」

「そう言ってもらえると嬉しいな」


小鳥は使命を果たし、小瓶と紙の束を抱えて、飼い主の元へと舞い戻る。


お館様の私室に入って、ふかふかとした絨毯の上に座った。


「おかえりリアン。いい子だこと」


長椅子に妖美な姿で横座りになったお館様は、手を伸べてリアンの頭を撫でた。


「お館様の言った通りになりました」

「特使殿は乗ってきただろ?」

「はい……面白がってたと思います」

「堅苦しい侍女や小難しい騎士より、賢しい女の子だ……よくやったリアン」

「ふふーん。ありがとうございます」

「お前とはまた夜にでも話をしよう……それまで好きにしていい」

「はい! ではまた後で」


部屋を出ると待ち構えていたシャロルとお城探検に出かけた。


どこでも自由に出入りしていいと言われていたので、侍女たちの個室以外はとりあえず片っ端から部屋を覗いて回る。


気に入ったのは最初に訪れた、温室のような部屋。


それからお館様の仕事部屋だった。

何も触ってはいけないので、リアンは後ろに手を回して、机や作業台の上、棚の中のひとつひとつ、壁に掛かったものや、天井から吊り下げられたものをゆっくりと見ていく。


何かよく分からないものの方が多かったが、シャロルに聞くと丁寧に説明をしてくれた。


綺麗なものと奇妙なものと不気味なものが、ごちゃごちゃと混ざり合って、見ているだけでも忙しい。


シャロルはリアンに付いている侍女の体裁だったが、リアンの立場は特に『丁重におもてなししなければ』といった感じでもない。

それはもちろんリアンは貴族でもなんでもないので、身分の話になると、侍女たちの方がはるかに上の存在になる。


シャロルは喜んでお世話をしてくれるが、他の侍女たちとは、裏方の休憩場所で他愛のないおしゃべりをしたり、一緒にお菓子を食べたり、みんなと食事もしている。


こちらはこちらで、また別の賑やかさがあってとても楽しい。


それにやっぱり、砦と比べると、良い匂いの場所が多い。





一方。


良い匂いのする場所が少ない砦側では、精彩を欠きまくった者がひとり居た。


鬱陶しさが極まったコンラッドが、ゆっくりと机から身を離して、それなりに長い足を引き出して身体を横に向け、ごすりと隣の椅子の脚を蹴る。


「……なんだよ、起きてるよ」

「ドブに落ちたパンですか?」

「……なんだそりゃ」

「取り返しがつかないゴミ以下になってますね」

「……誰がゴミだこら」

「間違えないで下さい、それ以下だと言ったんです」

「……あぁ?」

「たったの一日でこれですか」

「…………眠れなかった」

「あんたいつからそんな繊細になったんですか」

「寒いんだよなぁ……」

「これまでずっとそうだったでしょうが。面倒くさいから出ていって下さい」

「おい、ここ俺の部屋」

「私の仕事部屋でもありますが?」

「…………警邏行ってこよーっと」


この劣勢は覆せないので、アドニスはさっさと立ち上がって私室に入る。


しっかりと防寒着を着込んで、無表情で書類を捌いているコンラッドを横目に見ながら、執務室を出た。


塔に登ってチタに鞍を乗せ、一緒に高楼の天辺に出る。


「……うーん……寒い」


もごもご動いて準備運動が終わったチタが、空の彼方に目を向けているアドニスの背中に、ぐりぐりと頭を押し付ける。


「おっしゃ、行くかチタ!」


くるると可愛らしい声に、アドニスはべしべしとチタの首元を叩いた。よいしょと跨って、冷たい風が入らないように服を整える。

口元をぐいっと覆って、フードを目深にしっかりと被り直した。


足で蹴って合図を送ると、ぐぐと身を低くしたチタは一気に高くまで昇っていく。



警邏に出るとは言ったものの、特に何も見てはいないし、考えても無かった。

一応、上空や地上、国境の方に目は向けているが、今までの習慣でそうしているだけであって、何かあっても軽く見逃しているだろう自覚はある。


警邏の際には当然、様々に気を配って注意深くなくてはならないのに、これも習慣を上滑りしている気がして、全く身が入っていない。



心配かと言えばもちろん心配。

それでも妙な安堵感もあったり無かったり。

何だかんだお館様には絶対の信頼を寄せているのが癪に触らなくもなく。


何万回目かわからない唸り声を心中で吐き出して、自分の心とは裏腹な、すっきりと澄み渡った青空に悪態を垂れた。


うだうだと考えるのは性に合わないのに、考えてしまうから自分に腹が立つ。



最初の二、三日ほどはにやにやしていた周囲の騎士たちも、流石に自分の生活圏内からリアンの姿が消えた事を実感しだした。


我が長と同じく口数が減り、アドニスを揶揄ったり、リアンの名を口に出さなくなっていた。



そんな中、隣国の特使、マブルークの帰国の報を受けて、その見送りの場に出向いた。


当たり障りの無い礼に、当たり障りの無い返答をする。来た時と同様に、あっさりと特使一行は国へと戻っていった。


見送る人物はお館様と砦の騎士たち、特使を世話していた城の侍女たちしか居ない。

その陰のどこかに居はしないかと、リアンを探す自分に舌打ちをする。


素直にどうしているのかと、様子のひとつでも聞けばそれなりに気は済みそうなものを、躊躇っている内にお館様は転移で居なくなった。


くそくそ唸っていると背後から尻を蹴られて、腐ってカビが生えましたね、とコンラッドから有難みが一切無いお言葉を頂戴した。





少しでいい。

一目でいいから顔が見たい。

一言でいいから言葉を交わしたい。


自分の名を呼ぶ声を思い出す。





入り浸るようにしているのは、温室の中。


暖をとるものが何もなくても暖かいのに、今日は屋根にあたる場所に雪が積もっているから、薄っすら影が出来てひんやりしている。


床に座って膝を抱え、いつものように窓際で景色を見ていた。


昨夜の内に降った雪は朝が来る前に止んだが、分厚く灰色の雲ははっきりと形を保っていくつも風で流されていく。


湖にそっくり同じ形を映して、陽が翳るたびに濃くなる色を、リアンはぼんやりと見ていた。


ごろんと横に転がると、どこからかシャロルがさっと現れて、頭の下に枕を差し込む。


ぷはと笑って見上げると、シャロルも同じように笑っていた。


「リアン様、休憩室にお菓子を食べに行きませんか?」

「……うーん。お腹が空いてないので、いいです」

「お館様がお仕事をされているので、見に行きましょう、面白いですよ?」

「……お邪魔になったらいけないので、いいです」

「…………何かしたいことはありますか?」

「…………もう少しここに居たいです」

「分かりました。少し寒いので、ふかふか号を掛けましょう」


ぱっと手の内に呼び寄せて、シャロルは丸まったリアンの身体をふかふか号で覆う。


「ありがとうございます」

「いいえ。何か欲しいものがあったらシャロルを呼んでください? すぐに参ります。すぐですからね!」

「はい……分かりました」


部屋の中からシャロルの気配が消えたのを確認して、リアンはふかふか号をぐいと身体に巻き付けた。


ふんわりする砦の匂いに、ぎゅうと目を閉じる。


喉がきゅっと締まって、鼻の奥がつんと痛い。





お館様は斜めに立て掛けられた、大きな本の上で手をかざしている。

何も書かれていない白い頁の上に、細く青白い光の紋様が少しずつ緻密に描かれていく。

光が消えると紋様は、焼き付いたように黒い線にかわった。


長い長い詠唱を終えると、背もたれのない丸い木の椅子の上で、くるりとリアンの方に身体を向けた。


「……まぁこんなもんだ」

「……はぁ。はい」


いつもの艶やかなのにすっきりとした美しい衣装とは違い、飾り気がなく裾や袖がひらひらしていない作業着のようなものを着ている。


リアンが見た中では、綺麗な衣装でいる時間より、簡素な衣装でいる姿の方をよく見るから、もしかしたらこちらがお館様の普段なのかもしれない。


髪もひとつに、くるくると頭の上で丸々と纏まっている。

お化粧をしていないので、自分とあまり歳が変わらないように見えた。


とは言えお館様は若いのだか、そうでないのだか、見た目だけではよく分からない。

一度聞いた時は、途中から歳を数えるのはやめたと笑っていた。


「さて、リアン」

「はい」

「前にも話した通り、お前の身体と魂はちゃんと釣り合いが取れていない」

「……はい」

「だから小さな方に負担がかかる。身体の方に、だ。分かるか?」

「……はい、なんとなく」

「竜であった頃のお前は、とても長い時間を生きたのだろう?」

「多分、長かったと思います……数えたことは無いけど」

「うん、そうだな。計るものが無ければ難しい。世界もこことは違うのなら、ともすれば時間の長さも違うだろう……だから正確には分からなくとも仕様がない」

「でも、あちらでも時期は巡っていました。同じ様に、季節みたいに繰り返していました」

「うん、何が巡っていたんだ?」

「星です」

「ううん。なるほど、確かに中々の知性があるらしい」

「でもこちらの様に、どれだけの日にちをかけて一巡りしていたかまではちょっと覚えていません」

「いいんだ、そんなことより、リアン」

「……はい?」

「私はお前の『あちら』と『こちら』という言い方に引っ掛かる」

「……そうですか?」

「お前に確実に在るのはどっちだ」

「……え?」

「お前の中に、確実に存在しているのは『あちら』と『こちら』どっちだ? お前は今どこにいるんだ?」

「わたし……」


リアンの下に向きかけた顔を、お館様は両方の頬を片手で鷲掴みにして、ぐいと自分の方に向けた。


優しく微笑むと柔らかな声を出す。




「釣り合わせてやろう。身体か魂かどちらかに。……私はお前をどちらに釣り合わせれば良いんだ?」








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