第六十七話 男同士で連れ立ったなら!
天空に懸かる白き太陽。まだ東寄りであったそれも中天を過ぎ去り、解放された時にはその傾きも西へと移っていた。
帰りは登城時と同じく、探検者ギルドの本部前まで馬車で送られ、リュージは相応の金貨も受け取っている。これは、王家に売却したダンジョンの魔核に対する物であり、ローリン金貨が一万枚。額にして十万マアクとなる。小分けにされたそれは、革袋で五つ。パンパンに膨れるまで詰められて、ずっしりと重い。
それでも、ルーク公国――フランカリア王国のルーク辺境伯が恩賞として独立を果たし、樹立した国家――の例や盗賊の隠し財宝ですら六万マアクを超えていた事を思うと、些か少なく感じるだろう。しかし、リュージ的にこれは十分に満足出来る対価であった。
――それは何故か。そもそもがダミーであるから、損にはならない事が一つ。そして何よりも、リュージが一括での支払いを強く求めた為だ。それほど長く王都に居るつもりが無いので、金額の多寡を問題としなかったのである。
完全に王家側の言い値で売却した事になるリュージだが、そもそも相場が分からなかった。ダンジョンの魔核などという物が、市場に流れた例しが無いのだから当然である。逆を言えばそれだけ貴重だという事だが、オークションに出品してもそれが理由で時間が掛かるのは明らかであり、王家を相手に駆け引きするのも面倒であったのだ。
因みに、形の上では何故か献上した事になっているのだが、それについても突っ込んで聞く事は避けている。元々が小市民であり、付き合い方がよく分からないのだから仕方が無い。リュージだって多少は人見知りするのである。
そして現在、リュージはヘルムートと連れ立って大通りを外れた道の先、奥まった路地を歩いていた――。
「本当にこっちなんだろうな?」
キョロキョロと視線を彷徨わせながらリュージは尋ねた。一言で言い表すのならば、繁華街だろうか。昼日中から酒を飲む男、きらびやかに着飾る女、行き交う人々は様々で雑然とした印象が強い。二人が歩くのはそんな場所であった。
「大丈夫だって。任せろっつったろぉ?」
片や自信満々で答えるヘルムート。その足取りは、歩き慣れた道の如く一切の迷いがない。今夜の宿を探すにあたり、良い所が在るというから任せたのだが、段々と怪しさを増す行く先に非常に不安が募る。部屋――探検者ギルドの職員用宿舎の一室――を用意するという申し出を断っているだけに尚更である。
「お前がそう言うから、わざわざ出て来たんだからな?」
「そうは言うけどよ~。あのままってのも気不味いじゃねーかよ」
「……確かに」
そう言って、リュージは先程までの事に思いを馳せた。
慣れない謁見とその後の昼餐で、神経を磨り減らして帰ったリュージたちだが、ギルド本部の一室――グランドマスターであるジーンに宛がわれた執務室兼応接室――で、高級なソファーに腰を掛けて一息付いていた時――。
「すまなかったね……」
そう切り出された謝罪の言葉。何に対する謝罪なのかも分からず、困惑するリュージとヘルムートを他所に、国王が立たされている現状、如何に弱い立場なのかを、ジーンは滔々(とうとう)と語った。
「陛下は、味方が少ないんだよ。だから、強く見せようと必死になるのさ。余裕が無さ過ぎて、変に空回りしてるからこその態度さね……」
話はまだ続いた。現国王が未だ王子だった頃は、探検者に憧れる普通に生意気な少年であった事。無茶を繰り返して己を研き、魔力の才能を開花させた事。権謀術策が渦巻く宮廷では、何が弱味となるかも分からないので、少し距離を置く様にしている事など……。
そんな話を延々と聞いたリュージは、年長者を敬う気持ちはありつつも、流石にうんざりしていた。
「そうですか……。まぁ、自分としてはこれっきりで国王陛下と会う機会なんて無いでしょうし? 知り合いってだけのグランマに、わざわざ謝って貰う必要もないですから」
それは、「これ以上、巻き込んでくれるな」という牽制の意味を多大に含む言葉であった。どうもジーンの話には、同情を誘おうとする意図が透けて見える。気のせいかも知れないが、そうじゃなかった場合を考えて早目に釘を指す事にしたリュージ。
そのにべもない言葉を周りがどう感じるのか、抱くであろう心象などはこの際、度外視する事にした。女子供に何かと甘いリュージにしては、ファインプレーだといえるかも知れない。人に良く思われたいばかりに、言いたい事が伝わらない。伝えられないのでは意味が無い。嫌われたとしても、言うべき時には言わなければならないのである。
「……そうかい? そうだろうね。ただ、これだけは言わせておくれ。あの子は、今の陛下はね……自分の周りで精一杯で、とでもじゃないが貴族を敵に廻す力は無かったんだよ」
それでも庇おうとするジーンに、「わかりました」とだけ答えたリュージ。ヘルムートも難しい顔をしてはいたが、反論はしなかった。本人が相手であれば、幾らでもその余地はあった。立場が同じであれば、普通に突っ掛かって行っただろう。しかし、ここに居るジーンはあくまでも第三者でしかない。それにリュージ自身、国王の言い分にも一理あると感じていたりする。
今回の件では、辺境伯の顔を潰したという面も確かにあるのだろう。それだけで偽善者呼ばわりはどうかと思うし、国王に言われる筋合いも無い。しかし、“会社”という組織に属し役職に就いていた者として、「自分をスルーして、社長に話を持って行かれたら……」と、自分に置き換えて考えてみた結果、却って申し訳無さを感じたくらいであった。
尤も、それら全ては結果論であって、「今更どうする事も叶わないし」と、思い悩む必要性までは感じていない所が、リュージらしいのかも知れない。
――と、そんな回想に耽っていた所を、
「おぉ、ここだぞリュージ! さぁ、入ろうか」
喜び勇むヘルムートの声に呼び止められる。
振り返って袖を引いてくるヘルムートを他所に、店の前で立ち尽くすリュージ。特に外観の問題は無い様に見える。しかし、ある一点を見て困惑していた。
石を積んで造られた洋館風の建物。その重厚な造りは探検者ギルドにも負けておらず、三階建てのそれは高級感をこれでもかと漂わせる。
――だが、リュージの視線の先に問題があった。いや、問題かも知れないというだけで、確信がある訳ではないのだが……。
「なぁ、ここは宿屋なんだよな?」
「そうだぜ? 超が付く高級な宿って奴だ!」
ヘルムートは、得意気に笑いながら両手を拡げた。オーバーなリアクションにも慣れてきたリュージだが、こういう時のしたり顔が合わさると、本気でうざったいと思うのだった。
「……それは良いんだけど、この看板は?」
「ん? 洒落てんだろ。“仔猫の館”ってんだぜ」
素っ惚けているのか何なのか、聞きたい事はそうじゃない。苛立たしさを抑えつつ、リュージは遂に核心に触れる。
「いや、名前じゃなくてさ……あの絵は何なんだよ」
リュージが指差す看板には、白いシーツで身体を隠す色っぽい女性の絵が描かれていた。肩や脚などの露出は多いが、見方によってはドレスを纏っている様に見えない事もない。只の看板にしては、計算され尽くした凝った絵だった。
「おぉ、見えそうで見えないこの角度、絶妙だろぉ~。俺も最初は、この絵に惹かれた口なんだぜ?」
「お前、分かってて言ってるだろ!」
「わーかったから喚くなって。ここはなぁ、貴族すらも遊びに来るっつぅ、王都一の超高級娼館だ!」
「阿呆か! 宿は宿でも、売春宿じゃねーか」
それは予想を裏切らない、どストライクな答えだった。狙い目過ぎて、思わず手が出てしまう程に……。しかし、結果はファールである。如何にホームラン級の飛距離が出ても、判定はファールだ。言ってみれば、“バーテンダー”を“バーテン”と略して呼ぶ事と根本は同じだろう。悪意の有無は兎も角、相手が失礼だと感じる呼び方はするべきではない。……全く、酷いツッコミがあった物である。
「ばっ、馬鹿野郎! そんな安っぽい呼び方すんじゃねーよ! 出入り禁止になったらどーしてくれんだこの野郎。責任取れんのか!」
「うるせーよ。そんなもん知るか! お前が言ったんじゃねーんだから、おたおたすんなよ」
慌てて食って掛かるヘルムート。それもその筈、彼はこの店に憧れを抱く隠れファンであり、常連みたいな顔をしているが初めてなのだ。ここで入店お断りのレッテルを張られる訳にはいかなかった。
リュージにしてみても、娼婦を蔑む感情は無かった。しかし、何事にも流れという物がある。言葉の綾、というとまた語弊があるのかも知れないが、悪気が無かっただけに責められると余計に面白くない。つい、どうでも良い事の様に言ってしまう。
「いいか、中で失礼な事はすんなよ? 絶対だからな! 約束だぞ!」
「あぁ~、はいはい。ってか本当に入るのか? 別に普通の宿で良いんだけど」
念押しして来るヘルムートに予防線を張るが、“普通の宿が良い”とは言っていない。その言葉からも分かる通り、リュージも見せ掛けを繕っているだけである。しかし、それも少し遅過ぎた。見知らぬ通行人たちの目が妙に生暖かい。それはそうだろう、男二人が娼館の前で言い争っているのだ。どう思われているかなど、推して知るべきだろう。
「はぁ? 王都にまで来て、ここに寄らないなんて有り得るか? いや、無いな。断じて無い! って事でよしっ、行くぞ」
「何が“よしっ”なんだ。おいっ、おーい! はぁ……全く、しょうがねーなぁ」
――とか何とかいいつつも、ヘルムートの後を追うその足取りは軽い。何だかんだ言っても、人並みにスケベなリュージは、しっかりと期待感を煽られていた。本当に気乗りがしないのならば、一人で帰るなり別の宿を探すなりすれば良かった。だが、そうしなかった事が全てを物語っている。だったら、「最初から素直になれよ!」という話になるのかも知れない。しかし、それはそれ。敢えて細かい言及はしないが、リュージだって健全な日本男子なのだ。
一方、リュージたちが王都民から生暖かい目を向けられていた頃、豪華な馬車を中心に据えた一団が、前後を騎馬で固めて進んでいた。
王都から北へと延びる街道上、ある事情から行き交う人の姿は極端に少ない。午後ともなれば、野菜売りの農民どころか商人の姿すらもなかった。
ともすれば急ぎそうな物だが、そんな様子もなくのんびりと行くのは貴族だからだろうか。そんな車中に在るのは、たった三名の姿。道中の雑務をこなす執事に、護衛を兼ねる側近中の側近。そして、クラウス・フォン・ウント・ツー・シュッツ辺境伯である。
「閣下、もしや体調が優れないのでは?」
「いや、そうではない。そうではないが、此度の事を考えていたら少しな……」
目頭を押さえて眉根を寄せるシュッツ辺境伯。気遣う執事への返答も生彩を欠いていた。
「今回の件は、やはり……」
「何れにしても、領内の全ては私の責任だ」
躊躇いがちな側近の言葉を、微妙にはぐらかすシュッツ辺境伯。言われずとも分かっているのだ。
――が、聞きたくはなかった。
全ての実行犯を捕らえ、裁きを下さねば自らの責任を果たしたとは言えず、何の解決にもならない事は分かっている。それでも彼には、目を逸らし耳を塞ぎたくなる理由がある。
今のところ確証はないが、十中八九はそうだろうという思いがある。他に可能な人物が思い当たらないのだから、それも仕方がなかった。だが、それでも信じたいという気持ちに嘘偽りはなく、現実逃避と知りつつも言葉にするのを避ける事でしか、反抗の術がなかった。
側近が躊躇いがちに言ったのも、そんな主の心情を理解するが故なのだろう。長年に渡って仕える彼も、思いは同じなのだから。
言葉にすればそれが真実になるなど、子供染みた発想かも知れない。例え悪足掻きだとしても、せめて確証を得るまでは……。それは、家族や身内特有の、祈りにも似た何かであった。
あまり知られてはいないが、シュッツ辺境伯にはベルナールという弟がいる。双子と間違われる程に似通った兄弟で、昔から仲は良好であった。将来の右腕となるべく教育されたベルナールは、その期待に応えて兄を支えている。
その筈だった――。
重臣として、領内の全てを任せる程に信頼していたし、家族としても愛している。妾腹の子であるだとか、繋がる血が半分である事など、気にした事はなかった。
しかし、弟であるベルナールは違うのかも知れない。領主の影として生きる人生に嫌気が差したのか。それとも、大き過ぎる権限に野心が芽生えたのか。
「万が一の時は、私をお使い下さい」
「……覚えておく」
自らの責任の重さを自覚しながらも、弟を討つ覚悟はまだ出来ない。先ずは領都へと帰り、真相を知らねばならないと考えていた。
シュッツ辺境伯の心労は続く――。
街道を逸れた丘の上、木陰から眼下を望む複数の影は、過ぎ去る一団を見送っていた。
「……遅かった様だな」
口を開いたのは、リーダーらしき黒ずくめの男。言葉と表情は穏やかその物であったが、掴んでいた枝はへし折れていた。
足首ほどもある枝を放り捨てると、男は指笛を鳴らす。すると、近くで草を食んでいた馬が音に気付いて駆け寄って来た。
「俺は戻る。お前らの仕事は、……分かっているな?」
鞍にそっと手を掛け、軽々と飛び乗った男は部下を見渡しながら言った。空けられた間に、失敗は許さないという含みが感じられる。
「大丈夫だって、心配すんなや。馬を乗り継ぐなんてのは想定外だったが、たったの二人じゃねーか。俺たちに掛かりゃあ、楽勝ってなもんよ!」
そう言ったのは、大柄な男。かなりの自信家の様だが、隆起した筋肉が並々ならぬ膂力を感じさせる。立場的には、恐らくサブリーダーなのだろう。誰も口を挟まない所を見ると、全員が同意見らしい。
「手段を選ぶ必要はない。確実に消せ」
それだけ言うと、黒ずくめの男は手綱を操り駆け出した。行き先は先程の一団が過ぎ去った方向。目の前の王都とは逆方向である。去った男に軽口を叩いていた大柄な男は、頭を掻きながらそれを眺めていたが、姿が見えなくなると獰猛な笑みを浮かべる。
「さぁ、祭りの準備を始めるか!」
彼等の目的は王都入りを目指す者の拉致、もしくは抹殺であった。ラストック付近の町や村に潜んで網を張り、王都方面を目指す見覚えのない余所者を狩るのである。特にこの場に居る者たちは、その中でも別格の存在であった。
組織の人員、その殆どを山賊や盗賊、浮浪者などといった破落戸が占める中で、腕に覚えがある探検者で構成された彼等は、殺人を専門とした部隊なのである。
――彼等がこの場に居る理由。それは、各町や村に配置された者たちが悉く失敗したからである。町で難癖を付けて絡んだ者たちは、簡単に伸された。盗賊に見せ掛けて囲った者たちは返り討ちにあった。
そこで漸く、出番とばかりに呼び出された。ところが、替え馬を乗り継いでいるらしく、追い付く事すら儘ならない。どこまで行っても見えない相手に、焦燥感を募らせながら馬を走らせて来たのだが――。
そこで、見慣れた物を発見した。騎馬隊に護衛された馬車と、それに描かれた家紋である。それらを確認した瞬間に彼等は悟った。間に合わなかったのだと。そして、事態は手遅れという程に最悪である。
だからといって、手を拱いている訳には行かない。標的をそのままには出来ないのだから……。
今更、一人や二人の命を取る事には全く意味が無い。しかし裏社会とは、ある意味では表以上に体面を大事にする世界である。面子を潰されたまま、のうのうと生きて行ける程甘くはない。
王都へと向かう影は七つ。解き放たれた手負いの獣が駆けてゆく――。




