6:『牛の定義はなんだ?』
とっとこ、とっとこ。
頭の上にカエルを乗せた茶色いクマが森の中を歩いていく。
四足歩行の気配すらない茶色のまんまるボディ。
ユウとサキはその後ろをついていった。
「ユウさん、大丈夫なんですかついて行っても? なおさら迷ってません?」
不安そうな顔でユウに耳打ちしたサキ。
確かにこんな露骨に怪しすぎる動物達についていって本当に大丈夫なのか、というのはある。
いや、そもそもこいつらが本当に動物かどうかすら定かではないわけだが……。
「大丈夫だ、たぶん。前は大丈夫だったし、今度も大丈夫なはずさ。……たぶん」
「ユウさん、”たぶん”多すぎです。それフラグですよフラグ。また迷子になっちゃいますってば」
「え、そうか?」
こそこそと話を続ける二人。
そもそもの発端はお茶を飲みすぎたサキがお花摘みをしたせいだということを、彼らは完全に忘れていた。
なんかもう、頼りないユウが悪い的な雰囲気である。
「あ、そうだ。離れ離れになるといけないし、手つないでおきましょうよ」
「ん? ああ、そうだな」
(確かにサキが迷子になりそうだ。)
もっともらしい口実に納得して差し出されたユウの手。
サキはそこにすかさず自分の手を絡めた。
(秘技! 恋人つなぎ!)
二人のそれは、付き合っている男女が彼氏と彼女的な雰囲気を醸し出す感じの手のつなぎ方だった。
つまりリア充と非リアで言えばリア充、陽キャと陰キャで言えば陽キャ、持てる者と持たざる者とで言えば持てる者ということだ。
ちなみにモテる者とモテない者で言えば、もちろんモテる者だ。
ユウとサキは今、知らない者が見れば間違いなくそう見える状態になった。
(完璧に決まったぁーー! これはもうユウさんが相川さんを意識しまくりんぐな展開確定ですよぉーー! 相川さんってば罪作りぃーー♪)
サキの周囲からドヤ顔オーラが溢れ出す。
これはもう、『恋人つなぎ』と書いて『約束された栄光』と読んでしまいそうな勢いだ。
(相川さんの魅力に我慢できなくなったユウさんは、ついに相川さんを草むらに引きずりこんで、あんなことやこんなことを……。ぐへへへへ。)
加速する妄想。
サキの口から静かによだれが垂れ始めた。
……本当に重症である。
「……。」
「……」
話すこともなくなった無言の二人。
特にユウがそわそわしている気配は無い。
むしろ、この後を期待しているサキの方がそわそわしているぐらいだ。
恋人つなぎの手を引っ張って、「じゃあ本当に恋人になろうぜ」的な感じで草むらに連れ込まれてしまうのを、このポンコツさんは今か今かと待っていた。
(はやく! はやく! さあさあさあ!)
しかし……。
(……)
(……)
(あっれぇ~~~~?)
待っても待っても、ユウには全くその気配がない。
連れ込むどころか手を引っ張る素振りすらなかった。
(何も反応がない、まるで屍のようだ。……じゃなくて! なんで?!)
サキは不思議そうに横目でユウを見た。
予定ではユウも横目でこちらの様子を窺っているはずなのだが、特に甘酸っぱい雰囲気になるわけでもなく、普通に前を向いて歩いている。
というか、ユウの視線は前を歩く二匹の背中にあるファスナーに注がれていて、サキのことを気にしている様子そのものがない。
(ほらほら、相川さんですよぉー? 今なら美少女を草むらに連れ込んで色んなことができちゃいますよぉー?)
サキは空いてる方の手をブンブンと動かしてアピールし始めた。
完全に”カモがネギ背負ってGOTO鍋モード”である。
が、しかしそれでもユウが気がつく気配はない。
(……おかしい。ユウさんが変だ)
……この子は鏡で自分を見たことがないのだろうか?
まあ”いつもと比べて”という観点ならば、確かに彼女はいつも通りの平常運転ではあるが。
ちなみにだが、ユウの反応が薄いのは、その出生の経緯を踏まえて考えればそれほど変な事でもない。
ユウは、オリジナルである遠武優が異世界に転移した直後の記憶を受け継いでいる。
そしてそのオリジナルの転移前というのは、年頃の女の子との接点など皆無の非リア街道まっしぐらだったわけで……。
つまりユウが『恋人つなぎ』なるものの存在それ自体を知らなかったのは、決して本人のせいじゃない……、ということでいいはずだ。
結局のところ、ユウはこれが男女の甘酸っぱい感じのイベントだと気がついてすらいなかった。
「なんか、一緒にいるこっちがもどかしいな……」
「クマ……。」
クマとカエル。
真実に気がついている二匹は、この件に関してコメントを差し控えた。
★
さて、クマ達の後ろをついていったユウとサキは、森の中に一軒だけ建てられた家まで案内された。
(また来てしまった……。)
ユウは以前に迷った時もここで世話になったことがある。
再会の挨拶は何がいいだろうかと考えている内に、クマがさっさと扉を開けてしまった。
「ただいまだクマー。ユウがまた迷子になってたからつれてきたクマー。」
「お、お邪魔しまーす……。」
「いらっしゃい」
気まずそうに入ってきたユウ達を、この家の主人が柔和な笑顔で迎えた。
この家は正面扉から入ったところが居間兼応接室のようになっていて、どうやらそこで紅茶を飲んでいたところらしい。
「ふふ、思ったより早い再会だったね。そちらは初めましてかな?」
「あ、はい。初めまして。相川沙希です」
「アルド=ルファーだよ。よろしくね」
いつものように外面はいいサキ。
しかしそう簡単に動じることがない彼女も、内心では衝撃を受けていた。
(ユ、ユウさんに女の子の知り合いがいるなんて……。ま、まさか愛人?!)
女の子の基準で言えばやや短めの綺麗な黒髪、その瞳の赤は透明感のある肌に映えている。
世間一般の感覚では相当な美少女であるサキの目から見ても、「美少女を名乗ってごめんなさい」と言いたくなるような水準の美少女感だ。
そしてアルドは室内だというのに、なぜかコートとシルクハットを身につけていた。
女らしさを強調する服装をしていない辺りが、逆に素の美しさを際立たせている。
サキとしては、ハンデ有りで完敗した気分である。
……これでアルドが”男”だと知ったら、本当にショック死してしまうかもしれない。
そしてユウはというと、サキとはまた別の事実に衝撃を受けていた。
「おかえりだクマ」
「ただいまだクマ。」
家の中には、ここまで案内してくれた茶色のクマとは色違いの灰色クマがいた。
まあ、それはいい。
問題は……。
「おかえりだモー」
(ふ……、増えてる……。)
アルドの家にはもう一匹、ユウが前回訪れた時にはいなかった、きぐる――、……動物が増えていた。
「はじめましてだモー。ウシさんの名前はウシっていうモー。よろしくだモー」
「あ、ああ……。よろしく。」
(……ウシ?)
二匹のクマ達と同じ、四足歩行の気配無き丸い骨格。
その体は白と黒の二色で塗り分けられ、頭部には黄色い角が二本生えていた。
もちろん背中にはクマ達と同じファスナーがついている。
……どこをどう見ても牛である。
(いや、お前はぜってぇ牛じゃねぇよ!)
どこをどう見たって牛である。
……だってモーって言ってるし。
(牛は二足歩行しねーから! っていうか、お前ら熊でも牛でもねぇだろ絶対に!)
「なんだモー? ウシさんのこと疑ってるのかモー?」
「う……。いや、それは……」
ユウは返答に苦しみながらアルドを見た。
ここはアルドの家である。
これからまた世話になろうかという相手に対し、はたしてここで好き勝手なことを言って良いものかどうか。
「ふふ、ウシさんは牛だよね」
神の審判は下された。
全く動じないアルドの柔和な笑みが腹黒く見えるのは……、気のせいだろうか?
(おのれ……。認めたくない……、だが認めなければ……。)
宇宙に進出した新人類ぐらいしか感じ取れないような無言の圧力に押され、ユウはツッコミの言葉を全力で飲み込むことにした。
これまでの人生で、ここまで受け入れ難きを受け入れたのは初めてのことだ。
自分自身が遠武優のコピーに過ぎないと知った時だって、ここまでの抵抗感はなかった。
今となっては、自分はなんてくだらないことに悩んでいたのだろうとすら思えてくる。
ユウは社会に蔓延る不条理を思い知った。
そうだ。
これに比べれば、自分がコピーであることなんて取るに足らない問題だ。
「わーい、ウシさんだー!」
そんなユウの内心の葛藤も露知らず、サキが呑気な声を上げてウシに抱きついた。
まあ確かにかわいいと言えばかわいい。
「そうだモー。ウシさんだモー」
「ぐぬぬ……。」
ユウは理解した。
この世界に自分の味方は一人もいないのだと。
そして五分ほど悩んでから、ユウは現実を受け入れた。
そう……、ウシさんは牛だ。
黒いものでも白いと言わなければならない。
白いものでも黒いと言わなければならない。
大人になるって、つまり汚れることなんだ。




