5.君の幸せを願いつつ私は私の戦場で
披露宴は盛大に執り行われた。
テレビ局を中心としたメディアの関係者、それに政財界の大物もこの披露宴には多数列席している。
新郎は若手の外交官だと紹介された。どのようにしてカトリーヌと出会ったのかは不明だが、とりあえず私には興味はなかった。
そもそも私はこの披露宴には呼ばれていないし、挨拶さえするつもりはなかった。
それなのに、何故私はここにいるのだろう。
目の前で進行していく披露宴を、私は会場の隅で見守っている。
「帰りたいのだが、どうしてもダメですか?」
ぼやくように小声で言うと、ミシェル・ハインリッヒは無言で頷いた。
彼によると、ホテルの支配人から「是非一言お願いします」と強く頼まれたらしい。
「断りきれず、申し訳ない。ホテル側としても何かサプライズを演出したいらしく、押しきられてしまったのです」
「仕方ないですね。レオン氏に貸しにしておきますよ」
ため息一つ、グラスを傾ける。寝不足の頭に、赤ワインが酔いを注ぐ。シャトー・マルゴーの十年物らしいが、味はよく分からなかった。
その時、司会の男性が私の方を見た。軽く頷くと、彼はマイクを手にした。
「ご歓談の最中ですが、皆さま。こちらにご注目いただけますでしょうか。この素晴らしいウェディングケーキを作っていただいたパティシエを、この機会にご紹介したいと思います。皆さまもよくご存じの、ヨーロッパを代表する有名パティシエの――」
ヨーロッパを代表は盛りすぎだろ、と言いたかったが、言えるはずもない。
「――ピレス・キャバイエ氏がこのウェディングケーキを作り上げてくれました。どうか皆さま、盛大な拍手を。ムッシュ・キャバイエ、どうぞ前へ」
覚悟を決める。
パティシエのコックコートではなく、濃紺のスーツというのがより落ち着かない。
仕方ない、無難に済ませればいいだけのことだ。
前に出て、マイクを受け取った。
新郎と新婦は、司会を挟んで反対側にいる。
二人への挨拶は最後でいい。
「ご紹介にあずかりました、ピレス・キャバイエです。帝王の不在という緊急事態のため、私のような若輩者が代わりにウェディングケーキの担当となりました。至らぬ点もあったかと思いますが、気に入っていただければ幸いです」
一礼する。こういう場での謙虚な態度は、いわばお約束だ。
ボートをイメージしたフィユタージュの上に、ラム酒のアイスクリームを載せた。
そこに上品にリンゴのタルト、バナナのキャラメリゼ、木の葉のチュイールを飾り付けている。
仕上げのショコラとキャラメルの二種のソースでプレートを彩れば、白いプレートの上に華やかで甘い小舟が浮かんだ。その横に小さな焼きリンゴを、アクセントとして置いてある。
これだけ精緻に作りあげたアシェット・デセールによるケーキに、自信がないなどとても言えない。
私の手応えに報いるように、惜しみない拍手が披露宴の客から聞こえてきた。
中には「素晴らしかった!」とわざわざ声をかけてくれた人もいた。
良かったと安堵しながらも、それを面には出さない。今日の主役は私じゃない。「ありがとうございます」とシンプルに返す。
次に視線を向けた先は、この結婚式の主役の二人だ。
彼と彼女にお祝いの言葉を伝えれば、お役御免だ。
「本日はおめでとうございます。お二人の幸福な人生のスタート地点に、こうして同席できることを大変誇りに思います」
心にもない、とは言わない。
だが、かなり飾り立てた祝福が私の口から紡がれる。
カトリーヌと目が合った。驚いているようだ。
そうか、レオン氏の代役が私になったことは知らなかったようだね。
「私のような一介のパティシエでも、こうしてスイーツという形でイベントを華やかに彩ることが出来る。それを再認識出来て、嬉しく思います。ありがとうございました」
とってつけたような言葉だったが、まずくはないだろう。
カトリーヌ、これが私の手向けだ。お幸せに。
最後にもう一度、彼女を見る。純白のウェディングドレス姿の元恋人は、例えようもなく美しかった。
それを素直に認められたことに、自分自身で安堵した。
よし、もういいだろう。私の役目は終わったんだ。
自分の席に戻ろうと背を向けた時だった。
「ムッシュ・キャバイエ、お待ちください」
耳を掠めたのはカトリーヌの声だった。あの頃と変わらない声だな、と脈絡もなく思った。
私は足を止めて振り向く。静まれと心臓を叱咤しながら。
「本当に素晴らしいウェディングケーキでした。天才と称されるあなたにこうして作っていただいて、本当に良かった。心からそう思います」
カトリーヌと目が合った。
彼女の感謝の言葉が、深く深く心の底に沈む。
重ねた思い出がフラッシュバックし、それは一瞬だけ鋭い痛みとなった。
だが、それもすぐに消えた。
もう、過去のことだ。
カトリーヌ・ドメーヌの深々と下げた頭と真摯な態度が、私の痛みを和らげてくれた。
思い出は思い出であり、私と彼女の人生は重ならないというだけのことさ。
「――お幸せに」
だから、この一言で締め括る。満足とも幸せとも疲労感とも言えない感情を抱えたまま、今度こそ私は自分の席に戻った。
† † †
「いいんですか、ムッシュ?」
「何がだ、ユタカ」
「はぁ、分かってるんでしょうに。カトリーヌさんに最後の挨拶しなくてもいいんですかってことですよ」
ユタカはどこか困ったような顔だ。
時刻は夕方、すでに日は西に落ちかけている。
披露宴が終わり、続々と客が帰り始めている。ホテルの車寄せは、彼らを拾うハイヤーでこみ合っていた。
「いいんだよ。披露宴の際に、私は挨拶出来たからな。それにね、彼女に渡し損ねていたものも渡せたし」
「え、そんなものがあったんですか。何です?」
「ノーコメントとさせてもらうよ。人の過去にむやみに首を突っ込むのは感心しないね」
返答しながら、髪をかきあげる。そのまま、エントランスの方を見た。
遠く視線の先で、カトリーヌは新郎と共に客に挨拶している。その笑顔には曇ったものは一点もない。
"あのアシェット・デセールによるウェディングケーキ、気に入ってもらえたかな。本当は交際していた頃に作ってあげられたら、良かったんだが"
小さく、本当に小さく私は頷いた。
いいさ、これで満足だ。私のパティシエとしての誇りは、今日の機会に彼女に伝えることが出来たのだから。
今もてる私の全てを、あの特別なウェディングケーキに詰め込んできたのだから。
「さよなら、カトリーヌ」
夕陽の残照を浴びながら、カトリーヌ・ドメーヌが人々の輪の中心にいる。
国民的人気を誇る女優らしく、皆に祝福されている。
その幸せな光景を心の中に刻みつけながら、私はユタカを促した。
心得ていたように、彼はさっと傍らに停めておいた白いプジョーの運転席に座る。
私も助手席に滑り込む。
「もうこんな時間です。今日はご自宅に戻られますよね。そこまで送りますよ」
「いや、パティスリーに戻ってくれるかい」
驚いたように、ユタカはこちらをちらりと見る。
私の意志が変わらないと分かると、呆れたような声で問うてくる。
「ムッシュの希望なら、それは構わないですけど。いいんですか、お疲れでしょうに」
話しながら、ユタカがアクセルを踏む。
プジョーがゆっくりと加速していく。
パリの街は黄昏に包まれ始めていた。
少し郷愁的になりながら、窓越しに華の都の風景を何となく眺める。
「もちろん。たくさんのお客様が私の作るスイーツを心待ちにしているのだからな。戻るぞ、甘く優しい戦場へ」
白いプジョーは赤く染まった街角を駆け抜けていく。




