第二百三十三話 不動堂村
1
「環・・」
薫の声が部屋に響く。
環は俯いたままだ。
「環・・茜さんのことが・・好きだったの?」
薫の問いかけに、環が顔を上げた。
「そんなんじゃないと思うけど・・」
環は自分でも良く分からない。
「ただ、なんか・・痛そうだったし、辛そうに見えたから」
「痛そう?」
「・・・」
「茜さん・・ケガでもしてたの?」
薫が首を傾げると、環がブンブン首を横に振った。
茜はケガ人でも病人でもない。
だが・・奥底にどこか湿ったような憂いがあって、近くにいると環まで胸が痛くなってくる。
ほっておけない。
痛みを和らげてあげたい。
そんな風に思ってたような気がする。
しばらく黙っていた環がポツンと答えた。
「ケガなんかしてないけど・・痛そうに見えたんだよね」
「環・・」
環はケガ人や病人がいると、つきっきりで看病するような献身的なところがある。
茜屋の主人は、それほどに環の庇護欲を掻き立てるタイプだったのだろうか。
以前、環が「山南に似てる」と言った時、思い描いたイメージが浮かんだ。
(確かに・・サンナンさんに似てたら辛そうに見えるかも)
薫は黙ったまま、環の隣りで膝を抱える。
こんな時、上手い言葉がなにも出てこない自分がイヤになった。
(・・シンがいてくれたらな)
何かあればすぐ相談できる相手だったシンはもうここにいない・・。
薫は天井を仰いだ。
さみしさに似た心細さが胸につかえた。
2
それから2日後に、屯所の引越しが完了した。
薫と環は、西本願寺を後にする時、お坊さん達にご挨拶に行ったが、住職始めみな心底嬉しそうだった。
環はあれから元気が無いが、顔に出さないよう頑張っている。
「うっわー」
不動堂村の屯所に初めて足を踏み入れた2人は、その広さと豪華さに驚いた。
とにかく全てが大がかりで行き届いている。
浴室の広さは町の湯屋にも遜色無い。
病室も広い作りで、厠もピカピカだ。
「すっごいねー」
薫は高い天井を見上げた。
「うん」
環は壁の美しい木目を撫でている。
すると・・
「お、来たな」
廊下の向こうから土方が歩いて来た。
「どーだ、フン。たまげたか」
威張る土方を見て、薫はアホらしいと思いつつ、ちょっとイジワルな気持ちが沸いてくる。
「なんかちょっとケバイかも・・」
「・・ケバイ?」
「成金丸出しっていうか・・おサムライって、やっぱストイックでいて欲しいかなー」
武士は食わねど高楊枝。
「すといっく?なんだソレ」
「うーん・・土方さんに言っても、どーせ分かんないし」
(ムカつくぜ、こいつ・・ムカつくぜー)
土方の眉がみるみる吊り上がる。
気分を害した土方がプイッと踵を返した。
大股で、いま来た方へ戻っていく。
背中からは・・あからさまに怒りオーラを飛ばしていた。
「薫。土方さんにカラむのやめなよ・・ホントに手打ちにされたらどーすんの?」
環が横目で見ながらつぶやいた。
「土方さんそんなことしないよ、絶対。優しいもん。癒し系だし」
薫の脳内では土方がゆるキャラにでも変換されているのか。
「癒し系・・」
環が小声でつぶやいた。
だが、そーゆー環も土方は優しい人だと思っている。
ただ・・土方がそんな風に思われるのをイヤがってるのが分かるので、おくびにも出さないが。
鉄の組織の頭を張るには、懐かれるよりも怖れられることが必要なんだろう、と。
新選組を大きくすることに心血を注いできた土方にとっては、このドデカイ屯所は一つの到達点なのだろうか。
(富士登山だと八合目くらいかな?)
土方が歩いて行った方を見ながら、環は勝手な妄想にひたっている。
だが・・土方の目指す先はもっと高かった。
土方の中では、ここはまだ五合目というところだった。
3
シンはこの頃(ぜんぜん望んでないのに)伊東の寵愛を受けている。
洗濯も掃除も几帳面でクォリティの高さを見せつけるシンを、伊東はすっかりお気に入りだ。
その伊東は、先日また名を改めた。
伊東甲子太郎(いとうかしたろう)改め、伊東摂津(いとうせっつ)と名乗っている。
・・理由は分からない。
「お茶が入りました」
伊東に言い付けられてシンが部屋に茶を3客持っていくと、篠原と斎藤が伊東の部屋に来ていた。
「ありがとう。そこに置いてくれ」
伊東に言われてお盆のまま置くと、すぐに部屋を後にする。
(・・あの3人って珍しいな)
伊東と篠原と藤堂の組み合わせで話し合ってるのは見かけるが、斎藤がバーターとは珍しい。
その3人は・・シンが淹れた茶をすすりながら、低い声でボソボソ話していた。
「実は・・武田観柳斎のことだ。あいつには少々、困ってる」
伊東が小声でつぶやいた。
「ここのところ連日、御陵衛士への加入の折衝をされているが・・脅迫的になってきてる」
「脅迫?」
斎藤が眉をひそめる。
「僕が薩摩と通じてるネタがあるとか・・あらぬ荒唐無稽なことを言ってきてる」
伊東は忌々しそうに眉をしかめた。
荒唐無稽も何も・・伊東が薩摩と通じてるのは事実だ。
しかし・・表向きには長州と薩摩の動向を探るとゆう名目で、新選組との分離を円満に行うことが出来たのだった。
「あんな輩を入隊させることは絶対にするつもりは無い」
伊東の声が少し高くなった。
「新選組から除隊処分を受けたような信頼の無い男だ」
首を軽く横に振って押し黙ると・・ゆっくりと顔を上げる。
「だが・・やつを放っておくと後の禍根となる。その前に・・」
(なるほどね、殺しの密談かよ。だから平助を外したんだな。あいつぁ暗殺にゃ向いてねぇからな)
斎藤は無意識に刀に手を回した。
「君たち2人なら楽に片づけられるだろう」
伊東は背を伸ばし腕を組んだ。
「・・よかよ、伊東センセ。なんならワシ1人で片付けちゃるけんの」
篠原が世間話のような口調で軽く請け負う。
「いや・・万が一でも逃がしたらやっかいだ。ここは斎藤くんと組んで万全に当たってもらいたい」
伊東の言葉を聞いて、篠原が斎藤に視線を流す。
(しゃーねーな・・ここで断るとメンドくせーことになるか)
斎藤は少し沈黙してから、ボソリとつぶやいた。
「承知」




