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道の向こう  作者: 高田昇
第一部 黎明
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第二章 歯車

 飛田源七郎は希代の戦上手と言われたが彼も人である。一人の女性と恋に落ち、結婚して子供の父親になる。彼にの生涯で、この頃が一番幸福な時であっただろう。


 しかし、彼の幸福を一個の歯車仕掛けの懐中時計に例えるとするならば、少しずつ中の歯車が狂い始めていた。


 明治10年(1877)、西南戦争の最中に源七郎の妻は死んだ。その訃報を遠く離れた戦地で知った時、彼は人払いさせて天幕で一人泣き伏したと言う。しかし、その翌日、彼は何事も無かったかの様に部下達と振る舞い、戦闘の指揮を執った。


 だが、明らかに彼の戦法は変わっていた。自ら小部隊を率いて交戦中の敵側後方に回り込み前方の味方と挟撃する『搦め手』を行う様になったのだ。


 古来から搦め手は危険な役目である。小規模の部隊のみで敵陣営に新入するため、見つかってしまえばたちどころに集中攻撃を受け玉砕しかねない。


 ところが、飛田源七郎の率いる搦め手の隠密侵入は高度であった。確実に敵の虚を突き敵を挟撃を遂行する。


 飛田の戦いぶりを見た味方の将校の間からは『まるで悪霊にでも取り憑かれているようだ』と言われた。しかし、彼の功績はこの戦争に参加した誰よりも大きかったであろう。そう、彼の采配が西郷軍を崩したと言っても良かった。

 これにより、西南戦争は8月の初旬(史実では9月中旬)に終結した。




 後世の歴史家達は、飛田源七郎について語る時、同じ言葉を口する。


 『彼の人生の不幸は戦争の度に起きている』と。


 確かに、幕末の混乱期には兄達を失い、明治維新の時には両親と死別し、西南戦争の時には妻を失った。


 そして、日清戦争でも飛田源七郎の最愛の人が命を落としていく。


 明治27年(1895)、飛田源七郎が陸軍中将の時、日清両国は朝鮮半島の主導権を巡り戦争が勃発した。


 飛田は、第3師団長として出征する。しかし、彼らが朝鮮に上陸した頃には清国軍の士気は低迷しており、一度突けば散乱する『烏合の衆』であったため、飛田には目立った活躍は無かった。



 陸軍の第2軍が旅順を陥落させた時であった。彼に人生の不幸が襲いかかってきたのは。



 軍人となっていた飛田の一人息子が旅順攻略戦中に敵の砲弾を受けて戦死した。このとき彼は歩兵第1旅団隷下の歩兵第1連隊にいた。この第1旅団の指揮官が乃木希典であった。乃木が、旅順要塞攻略主力に自分の旅団を使うよう師団長をおして軍司令官の大山巌に嘆願したのだった。


 ともかく、長男戦死の報で飛田の受けた精神的な打撃は大きかった。これを重く見た第3師団が属する第1軍司令官の山県有朋は、飛田を帰国させ療養させた。代わりに第3師団長には桂太郎中将が着いた。


 内地に帰還した飛田は、兄の所で療養する事となった。


 この兄と言うのが源七郎の兄弟の次男で唯一の肉親であった。名を飛田貞直さだなおと言う。維新後、貞直は政治家を志し、先輩の同郷人、伊藤博文の右腕となっていた。


 話しを戻す。あれ以来、源七郎は脱け殻の様に空っぽとなった。意識はあるものの、生気が無い。この時、誰もが彼の軍への現場復帰は出来ずに、このまま生涯を終えるであろうと考えていた。


 しかし、源七郎の狂った『運命の歯車』と言う物は全く予測が出来ない動きをする。


 必然的なのかもしれないが、源七郎に再び生気を沸かすきっかけが起きた。三国干渉である。


 ロシアを中心とした列強三国は、日清戦争の下関講話条約で日本が獲得した遼東半島を『アジア平和』の名目に清国への返還を迫った。




 日本の国力は、列強三国に比べれば発展途上に過ぎず、他の列強も日本の味方にはならなかった。戦争など出来る筈が無い。政府は手も足も出ないまま、三国の要求に屈する事になった。


 国民は憤慨した。遼東半島を得るために、あの土地には、国家の血税が注がれ、大勢の兵士が死んだ。


 以後、日本は対露に燃えた。官民を問わず『臥薪嘗胆』を合言葉に国力の増強と軍備拡張に沸いた。これと合わせた頃、源七郎に生気が蘇って来た。


 『飛田源七郎の軍復帰』これには誰もが驚かされた。また、軍部は彼が再び軍務に着けるか不安の声もあったが杞憂だった。連隊同士の模擬戦闘訓練では、あっと言う間に常勝軍の地位を確立させた。


 再び精神障害を患うのでは、と言う声も少なからず出たが、これも杞憂の副産物であった。彼はもはや独り身であり、身内を失い悲しみに更ける事は無い。


 ともかく、源七郎は対露戦に向けた独自の戦争、戦略案を練った。


 特に、彼が一番力を入れたのが旅順であった。この頃、旅順はロシアが清国より祖借しており、旅順港周辺の旧清国軍要塞区を新たに整備増強し、大要塞へと変貌させつつあった。


 ロシアは、旅順を封鎖し、要塞の全容が皆無であったため、旧清国軍の旅順要塞を参考に策を講じ続けた。




 そして、明治37年(1904)、日本はロシアに対し宣戦を布告し、国家の命運を賭けた先の見えない戦いをする事となる。それはまるで、針一本を武器にした小人が巨人の口に飛び込み腹の中で溶かされる前に致命傷を与える様なものであった。


 飛田源七郎は第3軍司令官として出征する事になる。彼の活躍で史実と違う日露戦争を向かえる。だが、彼が戦うこの日露戦争は『何かが』違っていた。

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