第十九章 対独参戦
日ソ戦争に一段落を済ませた日本であったが、一難去ってまた一難と言った具合に次なる外交問題に直面していた。ヨーロッパへの派兵の是非である。
イギリス政府は、日本政府へ再度同盟の締結とヨーロッパ派兵を要請した。しかも、派兵の見返りにイギリスが領有する太平洋と東南アジアの植民地の一部権益の移譲も提言してきた。近代におけるイギリスの異例中の異例ともとれる下手に出た外交である。逆にいえば、ヨーロッパの戦況がイギリスに傾いていない事も窺えた。
日本にとって美味しい条件である事には間違いはない。だが、政府は派兵について意見が分かれた。派兵への問題が多々あるが、特に問題となる柱を三つ挙げるとすると第一に予算が出てくる。先の戦争で、相当額の戦費を費やし賠償金もなしである。次に兵力輸送と兵站の問題である。常時、日本から遠方のヨーロッパまで軍と物資を輸送するには限界があった。最後に戦局である。イギリスはどのようにして最終的にナチス・ドイツに勝つかである。
とは言え、常に財政の都合がとれた戦争など有り得なし、ヨーロッパへの補給とて武器、食料、燃料はイギリスに依存して日本は兵員のみを送れば補給の問題も解決出来ないわけでない。また、イギリスは遠からずアメリカへの参戦も要請させる事を告げた。当時、アメリカの外交姿勢は中立の立場をとっていた。だが、イギリス側への戦争物資供給は頻繁に行われ、イギリスはどうにか戦争を続けられていた。
さらにイギリス政府は、ナチス・ドイツやイタリアの枢軸国側では戦略の相互性が撮れていないことを伝えた。
イタリア王国はナチス・ドイツに同調して戦争に介入した。だが、イタリアの目的はヨーロッパでの勢力拡大よりもアフリカへの勢力拡大を目指した。そして、エジプトに進攻を開始するも補給の問題から作戦は思うように進まず、逆に同地のイギリス軍の逆襲を受ける始末であった。果てはナチス・ドイツに援軍を要請する始末で、ナチス・ドイツ軍は戦力を割いてにエルヴィン・ロンメルを指揮官とするドイツアフリカ軍団を北アフリカに派遣して、当初の戦略に無い戦いを強いる結果となっていた。
なるほど、ナチス・ドイツ軍は東西南北の多方面に軍を派遣して戦線を拡大している。そのため支配地域が増える分だけ補給網が長大となり軍の機能が不十分となる。そこを叩くわけだ。かつて、日露戦争では疲弊しきった日本陸軍の長大にして貧弱な補給網の弱点を突かれロシア軍に大敗した苦渋に合致する。
参戦か否か、日本の国論は二分した。ヨーロッパ大陸の大半を占領する目覚ましい快進撃を見せるナチス・ドイツに対し、イギリス政府の提案通りにアメリカが参戦をするのかが問われる一方で、日本の国際的発言力の向上を目指す観点からヨーロッパへの参戦を主張する声も出てきている。
日ソ戦争が停戦に入って程なくして皇居で御前会議が開かれてヨーロッパ派兵方針の是非が議論されたが、第一回目は物別れに終わった。
大日本帝国の方針を最終決定を下す天皇も、派兵の是非に苦慮した。先の日ソ戦争は天皇に即位して初めての対外戦争にして大戦争であった。日ソ戦争で多くの日本人の生命が失われ、元寇以来の日本領土での戦いも起きた。戦争で被った被害が天皇の精神に重く圧し掛かっていたのだ。
遠いヨーロッパの戦争に介入するかどうか、天皇は自身が信頼する人物を皇居に呼んで意見を聞いた。満州国の遼東半島占領の立役者であった陸軍朝鮮軍司令官の飛田義直である。
天皇が皇太子時代に皇族身位令に基ずいて陸軍少尉近衛歩兵第1連隊附となった時、飛田義直は立場上の上官であった。その時以来、天皇は飛田の人柄に信頼を寄せた。
そして、飛田義直は天皇に対独参戦を説くのだった。
軍部でも、陸海軍内で意見が分かれていた。陸軍での参戦反対派は、満州軍の進攻に備えて占領した遼東半島の防衛強化を行うべきだと主張した。海軍でも、本土防衛を念頭に整えてきた戦力を割いてヨーロッパへ派遣する事に反対する主張が出た。
だが、ヨーロッパの戦局は日本にとって決して対岸の火事ではない。鉱物や天然資源の乏しい日本は、海外からの輸入に依存しなければならない。中東や東南アジアからの資源の輸入に依存し、その方面を植民地支配しているのがイギリス、フランス、オランダ等のヨーロッパ列強国である。そして現在、フランスとオランダはナチス・ドイツの占領下にあった。ナチス・ドイツのヨーロッパ侵略が日本の安定的な資源調達を脅かす事となっていた。
次に戦力を割いてヨーロッパに派遣した際の日本領土防衛について述べた。
ソ連は、極東方面の海軍は半分が損失し、陸軍の多くをヨーロッパに送り込んでいるため日本との停戦条約を破棄してまで侵攻する事はない。また、満州は日本が占領した遼東半島の奪還に乗り出す噂が流れているが、満州軍は歩兵を主力とした陸軍に航空機の数と性能で日本軍に劣っている。そもそも、満州軍はソ連軍の支援に依存が多いため満州国単独での軍事作戦を行う可能性が無く、韓国も睨みをきたしている。
そして、アメリカの動向である。
飛田義直は日本が参戦すればアメリカも参戦すると推測した。アメリカの外交姿勢はヨーロッパの戦争には中立的な立場をとりつつ、太平洋側では太平洋と中国の権益から日本をライバル視していた。
日本が対独参戦し戦局が有利に進展するなればアメリカは後手となり、今後の日本の国際的発言力を高めかねない。おそらく、日本の参戦による今後の戦況を伺った後、アメリカの対独参戦に向かうだろうと飛田義直は読んでいた。
最後に、快進撃を見せるナチス・ドイツの戦略的弱点を述べた。
第一にナチス・ドイツは、イギリスとのバトル・オブ・ブリテンで多くの航空機と搭乗員を消耗していること。航空戦力の重要性は先の戦争で日本軍は十分認識しており、搭乗員の育成には時間がかかるものだ。その点、日本軍には先の戦争を経験して技量を磨かれた搭乗者達が多くいる。
第二に、ナチス・ドイツ軍は多方面に軍を展開させていた。イギリス方面やソ連方面、エジプト方面に軍を展開させたため、全ての方面に戦力の補給を行う必要があり国内の生産は追いつかない状態である筈である。
第三に、ナチス・ドイツ占領下では抵抗勢力による抵抗運動が行われており、ナチス・ドイツ軍は占領地の治安維持のための戦力を駐留せざる負えない状態にあった。広域にわたって戦力を分散配備させた状態の中、一点または一方面の戦況に敗れれば各戦線の戦力維持が困難となり、戦局の逆転の可能性は高くなる。
日本が戦争と混沌渦めく現在の世界情勢を乗り切るうえで何より大切な事が、国内の人心の統一し、日本が世界平和に向けて率先して働きがける事である。と、飛田義直は述べ皇居を後にするのだった。
対独参戦の是非を決める二回目の御前会議が十月の初旬に行われ、数時間の議論を交えた末、対独参戦の方向に決定された。
軍の動員計画を実行する間に、日本政府は大使館を通じてナチス・ドイツ政府に対して占領地撤退を通達した。当然、ナチス・ドイツ政府から朗報は返ってこなかった。その直後、イギリスとの日英同盟の再締結を行い、1941年12月5日に政府はナチス・ドイツとイタリア王国に対し宣戦布告を宣言し、ヨーロッパへの戦争に介入するのだった。




