剣圧
生後三カ月。 俺こと、セシル・ファインダーは、人生(二度目)の岐路に立たされていた。
(……来た)
朝日が天蓋付きの(無駄に豪華な)ベビーベッドを照らす中、俺はため息をつきたくなるのを必死にこらえた。 扉が開き、地響きのような足音と共に現れたのは、もちろん父ウォルターだ。今日も筋骨隆々が際立っている。
この三カ月、俺は赤子なりに必死の抵抗……いや、適応を試みてきた。 父がどこからか取り寄せてきた『乳飲み子用の筋力トレーニング理論書』とやらに基づき、手足をバタつかせるように見える運動や、寝返りのような動きをさせられてきた。 母乳あるいはミルクには、常識外れな高濃度魔力素材(「グリフォンの乳」だの「賢者の石の削りカス」だの、とんでもない単語が聞こえた)が混ぜられており、おかげで生後三か月の赤子とは思えないほど、身体の芯がしっかりしてきた気がする。 現に、首はとっくに据わった。
だが、それはそれ。これはこれだ。
「セシル、三カ月だ。約束通り、剣を握るぞ」
父が俺の前に差し出したものを見て、俺は心の目を疑った。 それは、鈍い黒色に輝く、明らかに金属製の……短剣? いや、サイズ的には赤子の俺からすれば、とんでもない大剣だ。 長さは30センチほどか。だが、問題はそこじゃない。
(重い! いや、重すぎるだろ、常識的に考えて!)
父はこともなげにそれを俺の小さな手のひらに乗せようとしてくる。
(待て待て待て! 無理! 骨折れるわ!)
「ふむ。持てんか」
俺が全力でグーにした手を引っ込めて拒否すると、父は少し考えるそぶりを見せた。
(そうだ! 分かってくれたか、親父! 俺はまだフニャフニャの赤ちゃんなんだ!)
「……そうか。『ミスリル銀』はまだ早かったか。では、こっちだ」
父が次に懐から取り出したのは、白く輝く、先ほどより一回り小さい短剣。
(いや、材質の問題じゃねえよ!!)
思わず叫びそうになった(もちろん「あうー」としか出ないが)。 しかも、「ミスリル銀」って言ったか? おい。伝説級の金属を平然と赤子の玩具にするな。
「これは『ヒヒイロカネ』をベースに、ドワーフの国に特注した『赤子鍛え(ベビー・フォージ)』だ。これなら持てるだろう。魔力伝導率もいい」
(だから、そういう問題じゃ……!)
俺は泣きたくなった。 だが、ここで拒否し続ければ、次は「オリハルコン」だの「アダマンタイト」だのが出てくるに違いない。この親父ならやりかねん。
意を決して、俺は(中身29歳の)全神経を集中させ、その『赤子鍛え』とやらに手を伸ばした。 指が触れる。
(……ん? 軽い?)
いや、違う。軽いんじゃない。 俺の手が触れた瞬間、短剣がまるで「俺の身体の一部」であるかのように、すっと馴染んだのだ。 これが、魔力伝導率?
「ほう! 握ったな!」 父の目がカッと見開かれる。 俺は、赤子ながらに必死で、まるでガラガラでも持つかのように、その(とんでもない価値であろう)短剣を握りしめた。 重さは感じる。前世の筋力ならともかく、生後三カ月の筋力では支えるのがやっとだ。 だが、持てない重さではない。
(……これが、サラブレッドの身体……! それに、母乳(?)のドーピング効果か!) 俺が自分の身体のポテンシャルに驚いていると、父は満足そうに頷いた。
「よし。いいぞ、セシル。さすが俺の子だ」
(お、褒められた? これで今日の訓練は終わりか?)
淡い期待を抱いた俺は、次の瞬間、絶望に叩き落とされる。
「では、基礎訓練だ。まずは、ベッドの天蓋についているあの飾り紐を、剣圧で切り落としてみろ」
(……は????)
ここから3メートルは離れているぞ!? しかも「剣圧」ってなんだよ!? 俺はまだ生後三カ月だぞ!
「あう! あうー!(無理だっつーの!)」 俺が必死に抗議の声を上げると、いつの間にか部屋に入ってきていた母アナスタシアが、優雅に微笑んだ。
「まあ、あなた。セシルが『それしき、訳ないです』と申しておりますわ。さすがです」
「うむ! 頼もしいぞ、セシル!」
(だーかーらー!!!!)
俺のツッコミは、今日もこの最強夫婦には届かない。 こうして、俺ことセシル・ファインダー(生後三カ月)の、剣聖によるスパルタ剣術指導(物理)が、強制的に開始されたのであった。
(剣圧……剣圧ってなんだよ……!?)
俺は(中身29歳)の知識を総動員して考える。漫画やゲームで見たことはある。なんか、こう、振ったら衝撃波が飛ぶやつだろ? だが、生後三カ月の赤子にどうしろと!?
「あう! あー!(だから無理だって!)」 「ふむ。セシルが『まずはお手本を』と言っているな。よかろう」
(言ってねえよ!) 俺の抗議は、都合よく「やる気」として誤変換されるらしい。
父ウォルターは、俺が握っている『赤子鍛え』よりも遥かにゴツい、それこそ鉄の塊のような大剣を(どこからともなく)取り出した。 そして、それを、あの3メートル先の飾り紐に向かって……振るかと思いきや。
父は、振らなかった。 ただ、大剣を「スッ」と構えただけだ。
次の瞬間。 ピシッ、と乾いた音がして、飾り紐が(まるで鋭利なカッターで切られたかのように)鮮やかに宙を舞った。
(…………は????)
俺は(心の)目を見開いた。 振ってない。今、この人、振ってないぞ!? 構えただけで、切った!?
「……これが『剣気』を乗せた『剣圧』だ。セシル。剣はな、振るって当てるだけが能ではない。剣聖の域とは、そこに『在る』だけで敵を圧し、斬るものだ」 父はこともなげに言う。
(いや、レベルが高すぎて参考にならねえよ!)
「まあ、あなた。初日から『剣聖』の技を見せるなんて、セシルが混乱してしまいますわ」
「うむ。そうだったな。すまん、セシル。今のは忘れていい」
(忘れられるか!)
というか、レベルが高すぎて理解も追いつかない。
「では、セシル。まずは『振る』ことからだ。ヒヒイロカネに魔力、おまえの気を通し、腕ではなく、身体の芯で振る感覚を掴め。いいな?」
「あう!(分かったフリ!)」
俺はもうヤケクソだった。
(ええい、ままよ!)
ドーピングされた母乳パワーと、サラブレッドの(まだよく分からない)才能を信じ、ヒヒイロカネの短剣を赤子なりに全力で振るった。
ブォン! ……とは、もちろんいかない。 「ぷしゅ」 と、情けない風切り音(?)が鳴っただけだ。当然、飾り紐はビクともしない。
(……だよな。知ってた) 俺がガックリと(赤子なので)首をうなだれそうになると、 「ほう!」 父が、またもや目をカッと見開いた。
「アナスタシア、見たか! 今、セシルの『気』が剣に反応したぞ!」
「ええ、見ましたわ! あの子、たった今、無意識に体内の魔力を剣に流し込みました! なんという才能!」
(……え? 俺、なんかした?) キョトンとする俺をよそに、両親は「さすが俺(私)の子!」と盛り上がっている。
(……まさか、とは思うが) 俺はもう一度、短剣を握りしめた。 さっきのは偶然か? (体内の魔力……? 気……?) 前世の知識で言えば、丹田とか、そういうヤツか? 赤子の身体でそんな感覚があるわけ……。
(……あった)
あったのだ。 へその下あたりが、なんだか「ムズムズ」する。これが、ドーピング母乳で活性化された魔力(?)の源か!
俺は(中身29歳の集中力で)そのムズムズを、腕に、そして手のひらの短剣に流し込むイメージをした。 そして、振る!
「ふんっ!(という赤子の唸り声)」
ピシッ!
(……え?) 俺の目線の先。 ベッドの天蓋を支える木製の柱に、深さ1ミリほどの、細い、細い「切り傷」が、確かに刻まれていた。
「「……!!」」
父ウォルターは、ゴクリと息を飲み。 母アナスタシアは、喜びのあまり口元を押さえている。
(……や、やっちまった……) 生後三カ月。 俺ことセシル・ファインダーは、人生(二度目)にして初めて、「剣圧」(の超初歩)を放ってしまった。
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