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短い角と尻尾が生えたガゼル属の女性オーナーに案内され、三人は出窓の向こうに牧場一帯を望むことができる席へ着いた。 木のぬくもりが優しい雰囲気を作り出しているカフェ店内には、天窓からも柔らかな日差しが降り注いでいる。
窓の向こうで四ッ足の草食獣たちが、めいめい勝手気ままに過ごしているのを眺めつつ、朝に採れたばかりの卵で焼いたオムレツや、ルッコラなど新鮮な夏野菜をふんだんに使ったサラダを堪能した。
立地が過密地域なら、予約の取れない人気店になりそうであるが、今このカフェの中には、三人以外に来店客の姿はなく、さながら貸し切り状態になっている。
「キレイに食べたわね、ガッタちゃん」
「うん。おいしかった。オムレツの、モッチャ、モッチャラレ……」
ガッタが言葉を探していると、ニースが正解を出した。
「モッツァレラかい?」
「そう、それ! おもしろいおなまえね」
「モッツァレラという名詞は、引き千切るという意味の動詞『モッツァーレ』から来ている」
「ひきちぎるチーズなの? まるいとか、しろいとか、やわらかいとかじゃなくて?」
「完成形だけを見ても、ピンと来ないだろうね。製造工程を見れば一目瞭然なのだが、水牛の乳を酵素で固めて出来た大きな塊を、両手で頃合いのサイズに千切り取りながら作られるのだよ」
「へぇー。ニース、ものしりね」
どこまで理解出来たか定かではないが、ガッタはニースの説明に感心し、ひとまず納得した。ルナールも、いつも隙のないニースの解説に、言葉を呑んだ様子である。
と、そこへ、三人を席へ案内したり、自慢の料理を振舞ったりしたオーナーがやってきて、一つの提案をした。
「今しがた、馭者さんとお話ししたんですが、替えの馬が到着するのが遅れてるみたいなんですの」
「そうか。我々は急がないが、長居されると困る事情でも?」
「いえいえ。ただただ待ってるのも、なかなか退屈かと思いましてね。これから牝牛の乳搾りをするので、よければ体験されてみては、いかがかと。どうかしら、お嬢ちゃん?」
「ちちしぼりって、なんなの?」
ガッタが素朴な疑問を口にすると、今度はルナールが説明した。
「牛さんから、ミルクをもらうことよ。さっき食べたチーズも、牛さんのミルクで出来てるの」
「そうなんだ。おもしろそう。ちちしぼり、やりたい!」
このあと、ガッタの強い希望もあり、ルナールとガッタの二人は、オーナーとともに牛小屋へと移動するのだが、なぜニースは参加しないかと言うと、
「ニースは、いかなくていいの? うしさんとなかよくなれるかもよ?」
「乳搾りなら、僕も幼少期に体験したことがあるんだが、終わる直前に、急に牛が暴れてね。シャツは破れるし、髪は涎でベタつくしで散々だったんだ。あと、これは山羊の乳搾りの時の話だが、後ろ足で蹴られたこともある。だから、遠慮するよ」
「そう。それじゃ、ニースのぶんもがんばってくるね!」
トラウマがあるからである。長く生きていると様々な経験をするが、良いことばかりではない。




