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数日後。屋敷の留守をサーヴァに任せたニースたちは、馬車で麓にある駅へと向かっていた。
駅はニースの屋敷から駐在へ下る道を更に川沿いに進んだ先にある。ニースは、自分ひとりだけなら、わざわざ馬車を呼ばずとも何とか到達できる距離であるが、七歳児の足で駅までの下り道を踏破するのは厳しく、また、一度屋敷まで上がってきたルナールを駅まで歩かせるのは酷だと考えたため、馬車を呼ぶことに決めたのであった。
「あっ、ルナールのおうちだ! おうまさんだと、あっというまね。――わっ!」
道すがら、ガッタは半身を捻って窓の縁に片手を置き、半分顔を馬車の外へと飛び出させつつ、民家が立ち並ぶ一角を指さした。
すると、すかさず向かい席に座っているニースが腰を軽く浮かせ、ガッタの両脇の下に手を入れ、そのままガッタの上半身を持ち上げるようにして席に着かせた。
「危険だから、窓の外へ乗り出さないように」
「でも」
「ニース様の言う通りよ、ガッタちゃん。知ってるところを見つけて嬉しいのはわかるけど、馬車から落ちたら大怪我しちゃうのよ? 私、ガッタちゃんが血だらけになったり、骨を折ったりするところを見たくないわ」
「しょうがないなぁ」
ニースの注意に反論しようとしたガッタだったが、隣に座るルナールの感想を聞いて物申すのをやめた。
そのまま馬車は、民家と畑が並ぶのどかな田園地帯をポクポクと走っていたが、やがてライラックが咲き誇る花畑のそばに小さな木箱が並んでいるのが見える場所に来ると、ニースは窓を閉め切り、カーテンを引いた。
「あっ。なんでしめちゃうの?」
「この近くに、養蜂所があるからさ」
「ようほうじょ?」
「ハチミツを作ってる場所のことよ。近くでミツバチさんがブンブン飛び回ってるから、窓を開けっぱなしにしてたら、針に刺されて痛い思いをしちゃうわ」
「ミツバチさんも、おさいほうをするの?」
「その針ではない」
このあと、ニースがガッタに蜂の生態やハチミツの効能について、質問に応じる形で一から解説しいるうちに、馬車は駅前へと到着した。
馬車を降りた三人がホームのベンチに座って汽車を待っていると、背後から一人の男が声を掛けた。三人が振り向くと、そこにはシュヴァルベの姿があった。シュヴァルベを目にした三人の反応は三者三様で、ガッタは久しぶりに会えて嬉しそうにしていたが、ニースは黙って眉をひそめ、ルナールは立ち上がって尋問でもするような口調でシュヴァルベに詰め寄る。
「仕事に行ったんじゃなかったの?」
「あてにしてた計画が白紙になっちまったから、今日から二日三日は休みだって、昨夜言ったじゃないか。ボケるのは早いぜ? ――アウッ!」
ルナールに尻尾を思いきり踏まれたシュヴァルベは、その場で跳び上がった。
「それで、これからどこへ逃げるつもりだったの?」
「俺を犯罪者みたいに扱わないでくれよ。たまの休みだから、旧市街へ行って羽根を伸ばそうって心積もりさ。翌日から頑張ってバリバリ働くには、前日に骨休めの休憩が必要だろう?」
とくとくと得意顔で話すシュヴァルベに、ルナールは皮肉か小言のひとつでも返そうとしたが、そこへ汽笛が聞こえて列車が入線を知らせたので、タイミングを逃してしまった。




