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翌朝。ガッタ、ニース、ルナール、サーヴァ、そしてフィーユの五人は、ミオとグレンツェに挨拶と感謝を告げ、別荘をあとにした。
馬車から降りて汽車に乗った五人のうち、ルナール、サーヴァ、フィーユの三人は、前の駅から乗っていたクロー属のバックパッカーと相部屋になり、ガッタとニースは、その隣の部屋を次の駅まで二人で使うことになった。コンパートメントが四人ずつで区切られていることと、朝のうちで、昨夜から車中泊をしている乗客が多いことが理由である。
「あの新婚夫妻、うまくいってるかな?」
「どうかしらねぇ。あんなに緊張したシュヴァルベは、初めて見たわ。あんまりにも疲れすぎて、シャワーも浴びずにソファーで寝ちゃったかもしれない」
「不慣れな場所で、責任重大なことを成し遂げたのですからね。さぞや、お疲れだったことでしょう」
バックパッカーの青年が泥のように爆睡してる横で、三人はテーブルを広げ、その上に紙袋に入った焼き栗や炒り銀杏を適当に新聞紙を折って作った箱に入れ、殻を割って食べながら話している。
「まぁでも、なんだかんだで仲良くやってるだろう。いいカップルだよ」
「そうね。オンサさん、面倒見が良さそうなタイプだから、適当に世話を焼きながら、うまいことコントロールしそうだわ。私の言うことは聞かないけど、彼女の言うことなら何でもハイハイって従いそうだもの」
「えぇ。お二人とも、相性は良さそうでした。――さて。喉が渇いてきましたから、飲み物を取ってきます。何がよろしいですか?」
「取ってきてくれるの? じゃあ、あたしは砂糖たっぷりのカプチーノ」
「私は、ミルクティーをお願いします」
「わかりました。ビュッフェ車が離れていますので、しばらくお待ちくださいませ」
そう言って、サーヴァがコンパートメントを離れて通路へ出て行くと、数秒ほど間を開けてから、フィーユはルナールのそばへ寄って言った。
「いやぁ、昨日のティータイムでのあの二人のやり取りは最高だったな」
「ホントに、可笑しかったわよね。ニース様にあれほど上手に言い返せるのは、ミオさんだけだわ」
「ニースの旦那も、小さい頃は意外と普通の子供だったんだな。てっきり、神童とか天才少年とか呼ばれて、チヤホヤされてきたのだとばかり」
「ウフフ。実は私も、そう思ってたの」
「だよな~」
思わぬ共感者を見つけた二人に、噂話は尽きないようである。
さて。窓の外では、等間隔に植えられた糸杉が、一本、また一本と右から左へと流れている。それは、隣の部屋でも同じこと。
ニースは、よもや自分の話で盛り上がっていようとは知るはずもなく、ガッタと並んでベッドの端に座っていた。
「ねぇ、ニース。あっちのベッドは、つかっちゃだめなの?」
「あぁ。今回は、コンパートメント一部屋単位ではなく、ベッド一台単位で切符を買ったからね。あちらのベッドは、次の駅から乗る誰かが使うことになっている」
「ふぅん」
承知したような、納得できないような返事をしたあと、ガッタは大きな欠伸を一つして、ニースの二の腕を小さな手でそっと掴み、肩に頭を預けるようにしてもたれかかった。
「ニース。いつもありがとう」
「どうしたんだい、急に?」
「ううん、きゅうじゃないよ。ちゃんといわなきゃ、きもちは、つたわらないとおもって」
「そうか。そのことに気付くとは、ガッタも成長したものだね」
「フフッ。ねぇ、ニース。ちょっとのあいだ、めをつむってて」
「どうして?」
「いいから、いいから。いいっていうまで、おめめをとじててほしいの」
「はいはい。……これで良いかい?」
ニースが瞼を閉じて待つと、ガッタは、ニースの顔の前で手を振ったり、指を立てて本数を尋ねたりして本当に目を瞑っているか確かめたあと、ベッドの上に膝立ちになり、肩に手を添え、ゆっくりと顔を近付けていくと、頬に唇を寄せた。
「えー、坊っちゃん。何をなさっているのですか?」
通りすがりに三人分のカップを持ったサーヴァは、どう見ても頬にキスをしているとしか思えないガッタとニースを目撃して立ち止まり、ニースに訊ねた。ニースは、ガッタを持ち上げてベッドから降ろしながら答えた。
「行動理由は、ガッタに聞いてくれ。あいにく、僕は児童心理学の専門家ではない」
「フフフ。これは、わたしとニースだけの、ナ・イ・ショ、だよ~」
時間とは不可逆的に進むもので、人為的に巻き戻すことは、物理的に不可能であると証明されている。
ガッタが迷い込んで来る前と同じ日々に戻ることは、二度と出来ない。ニースは、この先もしばらく、ガッタの言動に振り回されることであろう。
ふたりの共同生活は、まだまだ続くが、書き尽くせば紙幅が幾らあっても足りないので、この辺で筆を休めることにしたい。ふたりの未来は、読者諸氏の想像に任せる。




