017
ガッタとルナールが使用人部屋で、賑やかに採寸やら小物選びやらをしている頃のこと。
書斎で机に向かい、研究記録を書き終えたニースは、船底型のブロッターで余分なインクを吸い取りつつ、眉間にシワを寄せていた。
顰め面をしているのは、実験経過に難があるからではない。原因は、別のところにある。
「また、雪雲が接近してるのか。温室の換気口を閉めねばならないな」
元来より神経が細く敏感で天気の変化に弱い体質であり、またガッタの世話というイレギュラーな事態に対応しているということもあってか、晩冬の低気圧の北上に伴い、前頭葉にズンと濃い靄が掛かり、目の前に透明な歯車でも見えそうなくらいの不調に悩まされていたのである。
これが現代日本なら、頭痛外来に掛かり、適切な治療を受けられそうなところである。だが、ここは異世界。ヒーラーの能力者でもなければ、もっと原始的に、自然治癒力で痛みが引くのを待つしかない。
だが、そんなニースの体調の変化を、自称七歳の少女が気付けるはずもなく、ご機嫌な鼻歌と共に、ドアをけたたましくドンドンドンとノックする音が書斎へと響く。
『ニース! あのね。ルナールに、リボンつけてもらったの』
「……少女のソプラノボイスは、脳神経に強い刺激を与えるものだな」
誰にともなく見解を述べると、ニースはドアを開けた。ニースの姿を見るやいなや、ガッタは襟元の金色のリボンに両手を添え、自慢げにしたり顔をしながらコメントを催促する。
「どう? かわいい? にあってる?」
「あぁ、そうだな……」
眉を顰めながら、ニースが消え入りそうな声で気のない返事をすると、ガッタは急に自信を喪失する。
「かわいくなかった? くろのほうがよかった? つやつやのくろいリボンもあったの」
「そういう訳ではなくて」
「リボンがにあってないの? はっきりいって」
「だから、そういうことじゃないんだよ!」
説明する前に台詞を被せてくるガッタに、思わずニースが苛立ちを含んだ刺々しい声を出す。その途端、ガッタはショックで言葉に詰まり、泣き出す五秒前のような潤んだ瞳でニースを見つめてから、プイッとそっぽを向いて廊下の奥へと駆け出して行った。
ニースは、内心で「しまった」と思いつつも、どうして良いか咄嗟に判断が付かず、しばしその場に立ち尽くしていた。そして、ひとまず薔薇のことを優先しようと、ガッタが走り去った方向とは逆に爪先を向け、温室へと移動しはじめた。




