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この日は大漁だったようで、ディナーの席には魚貝料理がズラリと並んだ。
そして、前日までと違い、テーブルを囲むイスが一つ増えている。ミオとガッタのあいだに新たに設けられた席にはグレンツェが座り、ともに料理を楽しみつつも、ナイフとフォークに慣れないガッタのために、魚や貝の綺麗な食べ方をレクチャーしている。
「このように持って左から食べ進めると、ボロボロと身を崩さずに召し上がることが出来ますよ」
「えっ、こう?」
「えーっと。その角度でナイフを持つと、下のお皿を傷つける可能性が高いので、このくらいに寝かせた方がよろしいかと」
「こうね。うーん、むずかしいね」
「ナイフを使わずとも食べやすいように、ひと口大に切り分けてきましょうか?」
「ううん、レンズは、よこにいて。わたしが、がんばるから」
「そうですか。では、応援しましょう」
向かい側で初々しいやり取りが行われているのを見せられているシュヴァルベは、早々と自分の皿を平らげるやいなや、上品にソテーを食べ進めているニースに話し掛けた。
「いいのかな、ニースの旦那。このままだと、あの短パン少年に、お宅のお嬢さんを取られるぜ?」
「何も不都合は無いだろう。君のように、教育上よろしくないことを吹き込む心配もないことだ」
「でも、今までだったら、あのポジションは旦那のものだったじゃないか。ジェラシーを感じないの?」
「理解に苦しむことを言うものだね。言っておくが、僕はガッタの保護者の一人に過ぎないのであって、恋人でもなければ、血の繋がりもない。それから」
「それから?」
「それ以上、僕の皿に手を近付けたら、フォークで甲を突き刺すよ」
「うぐっ。バレてたか」
ニースに鋭い視線を向けられたシュヴァルベは、話しながらニースのほうへ近付けていた手を、一瞬で引っ込めた。
それから、ディナーが終わったあとのこと。
ゲストルームへ戻ろうとしたニースは、ダイニングを出る寸前にミオに呼び止められ、寝る前に自分のベッドルームへと来るように言われた。
ニースは、明日のことで何か込み入った話でもあるのかと思いつつ、朝に慌てなくても良いよう、手回り品の大半をトランクに詰め、葡萄園で渡されたワインなどの手に持てない重い荷物も、あとで配送しやすいようにまとめて置いてから、ミオが待つ部屋へ向かい、ノックをして入った。
「来たよ、ミオ」
「来てくれたわね、ニース」
「馬車の手配にでも、トラブルがあったのかい?」
「いいえ。馬車は朝に来るし、昼過ぎの汽車の切符も用意できてるわ」
「そうか。レンズくんなら、将来有望だと思うよ。きっと、立派な青年に育つはずだ」
「違うわよ。彼のことを心配してるわけでもないの。ちょいと薬師としての力を借りたいだけよ」
「なんだ、そんなことか。体調面で、どこか優れないところでもあるのかい?」
「それがね。最近、物忘れするようになっちゃって。このあいだ、ベルを鳴らしてからレンズが来るまでに、何の用だったかフッと思い出せなくなることがあったのよ」
「女性相手に言い難いのだが、それは、ただの加齢だろうと思うよ」
「そうかしら? 何かこう、お脳の病気なんじゃなくて?」
「最近、頭部に強い衝撃を与えるようなことをした覚えはあるかい?」
「いいえ」
「記憶が飛ぶくらい多量の酒を飲んだり、咳き込むほどタバコを吸ったことは?」
「いいえ。私が、そんな破滅的なことをする人物に見えて?」
「誰にでもする問診だ。深く勘繰らないでほしい」
「免許さえがあれば、いくらでも個人的なことに深入りしてもいいってことには、ならないと思うんだけど……。まぁ、いいわ。気のせいだって分かったから、少し楽になったわ」
「それは重畳。他に用が無いなら、部屋へ戻るよ」
「えぇ、そうしてちょうだい。おやすみ」
「おやすみ」
ニースに背を向けるようにして、ミオは仰向けから横向きに身体を倒した。そして、ニースが立ち去ったあと、ミオは再び仰向けになり、そこにニースの姿が無いのを確かめると、小さく溜息を吐いた。




