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「ニース、おそいなぁ。スープさめちゃうよ」
ペンションのダイニングテーブルにはクロスとマットを敷かれ、フォークやスプーンも並んでいる。ガッタは席に着き、退屈そうに片腕をテーブルの上に置き、その上に片耳を下にして頭を乗せている。反対の手では、スプーンやフォークの先を指で押さえ、柄を上下させている。
キッチンには、調理を終えて蓋をしてある鍋や、クロッシュが被せてある皿、布巾を掛けてあるバスケットなどが並んでいる。
ルナールとカリーネは、先にサウナを済ませている。二人はガッタも一緒に入るように誘ったが、ガッタはニースと一緒が良いと言って断った。
ガッタが待ちくたびれている頃、ニースは、まだホテルのスイートルームにいた。
「薬師の免許が無いと買えない特攻薬だから、すぐに症状は治まるだろう。ただ、その分、副作用も起きやすいから、後日、頭痛や眩暈がするようなら、すぐに医師を呼ぶように」
「わかったわ。それにしても、あなたも、変わった人ね。憎い相手を助けるなんて」
「四人目は、ごめんだからね。何も手を打たずに見送るのは、三人までにしたい。それに、憎しみは愛情の裏返しだからな。ところで」
ニースはベストのポケットからネックレスを取り出すと、サイドボードの上に置いて言った
「どうして、マオに譲ったんだ?」
「あら、なんの話?」
「とぼけても無駄だ。君がこれと同じ花が細工されているブレスレットをしているのを、ガッタが見ている。これが贈られてきたとき、手紙にエムからエヌへとあったから、僕はマオからだと勘違いしたが、本当は、君が贈ったものだったんだろう?」
そう言って、ニースがタオルケットの下になっているミオの腕を見ると、ミオはタオルケットを捲って腕を見せた。その腕には、サイドボードの上にあるのと同じ紫薔薇のネックレスを、チェーンを二重にして巻かれている。
「私はあなたが好きだった。でも、あなたはお姉さまが好きだった。それでも諦めきれなかった私は、あなたが私の想いに気付くかどうか確かめた。だけど、あなたは気付かなかった。だから、私はマオに譲った。譲ってあげたのに、あなたという人はっ!」
「どうどう。怒る元気が出てきたようだね。食欲が戻ったことは、快方に向かってる証拠だ」
半世紀前のことを懐かしんでいたミオだったが、途中から怒りがこみ上げ、ニースのベストの襟を掴んだ。ニースは、両手を挙げて降参の意を表すと、襟を掴んでいるミオの指に手を添え、そっと引き剥がした。
ミオは、プイッとニースから顔を背けると、イライラが収まらない様子で刺々しい声をして命じた。
「怒らなきゃ、やってられないわよ。フロントに電話して、ボーイにフルーツでも持ってくるよう頼んでちょうだい」
「やれやれ。人使いが荒いな」
ニースは立ち上がり、マントルピースの横に置かれたチェストの前に立つと、チェストの上にある電話の受話器を手に取り、ダイヤルを回した。そして、交換手にフロントに繋ぐよう言ってから、フロント係にフルーツを持ってくるよう伝え、受話器をフックに掛けた。
そのあと、ニースは再びベッドの方へ歩いて行ったが、途中で床に投げ置かれたままのデイバッグに躓き、壁に手を突いて静止した。この時、バッグの留め金が外れ、中からハガキ大くらいの小振りなジュエリーボックスが出てきた。
「ちょいと、ニース。気を付けなさい」
「こんなところへバッグを放置しておく方がいけない。中が無事か、念のために確かめてくれ」
ニースは、バッグとジュエリーボックスを拾い上げ、軽く表面の埃を払ってからミオに渡した。ミオは、バッグの中身を検めて横に置いたあと、ジュエリーボックスを手に取り、表面を撫でながら言った。
「壊れてないか調べたいけど、このジュエリーボックスは、開けられないのよね」
「開けられもしないのに、どうして持ち歩いているんだ?」
ニースの質問に対し、ミオが答えを口にしようとした瞬間、先程のユニコーン属のボーイがドアをノックし、フルーツを届けに来た旨を告げた。




