69.ローリィの覚悟
王都で利用される《闘技場》は、現代では多く祭りで利用される。
たとえば学園同士で行われる《対抗戦》や、騎士や一般の人間も参加できる《武闘大会》など様々だ。
だが、普段は閉鎖されていて利用されることはない。
そんな場所に、ローリィは一人やってきていた。
闘技場へ入ると、一人の男がわざわざ真ん中の付近に立っている。
――ローブに身を包んでいても、その男のことをローリィはよく知っている。
「……シエラ・ワーカーは、連れてきたか」
「はい。間もなくここに来ると思います」
「そうか。それでいい……奴は我々の障害にしかならないからな」
「シエラが来る前に、一つ確認しておきたいことがあります」
「……なんだ?」
「マリュー・カルトール様、そのフードを取っていただけますか?」
「なに?」
男――マリューが首をかしげる。
彼はカルトール家の当主とは腹違いの兄弟関係にある。
本来ならば、カルトール家の当主になる資格は十分にあり、そしてローリィも修行時代からよく関わりのある人物だった。
「改まって、どうした」
「念のため、確認したいことがありまして」
「……別に構わんが」
そう言って、マリューがフードを脱ぎ捨てる。
ローリィはその顔を確認した。
夕暮れ時――わずかに差す夕日が、マリューの顔を照らす。
ローリィもよく知っている男の顔だ。
ローリィはマリューの顔をただ凝視する。
「一体、どうしたというのだ。私の顔に何か付いているか?」
「いえ……ありがとうございます――」
刹那、ローリィはマリューとの距離を詰める。
マリューとの視線が交差する――即座に、ローリィが拳による一撃を繰り出した。
腹部を抉るように、メキリと音を立てて、マリューの身体が後方へと吹き飛ぶ。
砂埃を立てながら、やがて数十メートルのところでマリューの身体が静止した。
ゆっくりと、くの字に曲がった身体をマリューが戻す。
「ちっ、今の一撃で倒せないか……!」
「どういう、つもりだ、ローリィ。これはカルトール家に対する、明確な反逆行為だと捉えるが」
「……何者か分からないが、お前のような人間がカルトール家を騙るな。容姿も声もほとんど完璧だが、少しだけ違和感があった」
ローリィはマリューの顔を指差す。
マリューが自身の顔に触れながら、首をかしげる。
「違和感……? はて、やはり私の顔に何か付いているか?」
「あの人は自分のことを『私』ではなく『俺』と言うんだ」
「――」
ローリィの言葉を聞いて、マリューがピクリと反応する。
その指摘を受けても無表情のまま、マリューが口を開く。
「ほう? それだけの差異、か?」
「他にもあるさ。動き、仕草――ほとんど差はないが、それでも違和感はある」
シエラの言っていたことだ。
ローリィには、生物的な差異までは分からない。
だが、長年関わってきた人間の違和感くらいならば分かる。
ローリィは言葉を続ける。
「それに、表情」
「……表情?」
「あの人は僕のことを見下している――優しい言葉をかけることはあっても、いつだってそういう表情で僕を見ていた。そんな人形みたいな無表情じゃない」
「ふ――はははははっ!」
周囲に大きな笑い声が響く。
笑っているのはマリューではない。
気付けば、マリューの背後に一人の男が立っていた。
黒装束に身を包んだ男は、マリューの姿をした男の身体をゆうに超える長身。
カタタ、と奇妙な音を鳴らしながら黒装束はローリィと向かい合う。
その側には、人の形をした一体の人形がいた。
「まさか、利用しようとしていた人間に気付かれるとはな」
「……! やはり、人形使いか……!」
「左様。だが、油断していたか……この程度の差異で見破られるとは。しかし、これが本物だったらどうするつもりだったのであるか?」
黒装束はそう言って、隣に立つ男を指差す。
話から察するに、やはりマリューではないのだろう。
もちろん、ローリィも確証があったわけではない。
仮に間違っていたとしても、瓜二つのマリューを殴るなど、以前のローリィならば絶対にしなかったことだ。
それを踏まえて、ローリィは答える。
「別にどうもしない。同じことをしたさ」
「……? というと?」
「どのみち殴るつもりだった。アルナお嬢様の大切な人を傷付けるような命令は、もう聞けない」
アルナがローリィと会いたいと言ってくれているのなら、ローリィもすべきことがあった。
たとえカルトール家と、そしてナルシェ家を裏切ることになっても、ローリィの道は初めから決まっていたのだから。
それを思い出すのに、少し時間がかかってしまった。
黒装束はしばらく黙っていたが、やがて大きな笑い声を上げる。
「ふは――クカカカカカ、斯様なところで随分と笑わせてくれる。だが、見事な覚悟であるな」
「お前に褒められたところでどうとも思わないな」
「……であろうな。して、シエラ・ワーカーはどうした? まさか一人でここに来たわけではなかろう?」
「――いや、ここにシエラは来ない」
「……なんだと?」
ローリィは友達として、シエラと約束を交わした。
これからマリュー・カルトールという人間に会うということを伝えて、もしもローリィが戻らなければ、アルナのことを絶対に守り抜いてほしい、と。
シエラならばそれができる―――ローリィは確信していた。
(まあ、言わなくてもシエラなら、アルナお嬢様を守ってくれるだろうな)
そう思えるようになったのは、シエラが何度もアルナを守り、そしてローリィとアルナの仲を取り持とうとしてくれたからだ。
断っても結局やってくるのだから、きっとシエラが諦めることはないのだろう。
(今の僕にできることは、少しでもアルナお嬢様に危険を及ぼす者を排除することだ……!)
「来い、人形使い。人形遊びなら、僕が付き合ってやる」
「なるほど、一人で来るとは実に愚かである」
「……どういう原理か知らないが、その男に支配の魔法でも使わせるつもりか? それならこっちも対策はある」
「使う必要もない――だが、まだ気付いていないか」
「……?」
黒装束が右手を広げる。
すると、マリューの姿をした男はだらりとその場に力なく倒れた。
「なっ……!?」
「この男はお前の知るマリュー・カルトール本人である。すでにこの世にいない男であるが」
カタカタと周囲から、金属や木片の擦れる音が響く。
気付けば、ローリィと黒装束を囲うように、何十体もの人形が姿を現していた。
「人形遊びに付き合ってくれるのであろう? ならばそれで良い。演劇をするには、少しばかり客が少ないようであるが」
その言葉と同時に、人形達は動き始めた。





