59.シエラ、教わる
「それじゃあ、《イゼルの塔》は女神様から名前を拝借したものだけれど、何の女神様でしょう?」
「……馬?」
「どこから馬が出てきたのか分からないけど違うわ。《安寧の女神》、よ。この前行ったところ!」
「あんねい?」
「まずはそこからね……」
次の日から、放課後のアルナとシエラの勉強会が始まった。
図書室というのは勉強に最適で、テスト期間になると何人か生徒が集まってくる。
他の生徒が勉強しているところが、刺激にもなるのだろう。
《魔法学》と《魔物学》については教えるどころかシエラは教師と同等がそれ以上の知識を持っている。
問題となるのは、それ以外の科目だ。
「《歴史》と《文学》は特に厳しそうね……」
「そうなの?」
「そうなの! 貴方のことでしょう」
全くもって危機感を持っていないシエラに、アルナがため息をつく。
アルナが教えれば何でも興味を持つかと思えば、そんなことはなかった。
シエラは特に文学に対しては一切興味を持てないらしい。
だから、歴史があると教えていた《イゼルの塔》を破壊してしまうことに躊躇もしない。
「右耳から入れてそのまま左耳から出している感じがするわ……」
アルナが率直な感想を漏らす。
シエラはその言葉を聞いて、何か閃いたような表情を見せ、
「……何をしているのかしら?」
「左耳を塞いだら出なくなるかなって」
少ししたり顔になってそんなことを言うシエラ。
左耳に詰め物をするというのは名案だろう、とでも言いたげだ。
はあ、とアルナが小さくため息をつく。
「覚える努力をしなさい」
「……ダメなの?」
「ダメよ」
「……」
「そんな顔をしてもダメ」
アルナの言葉にシエラは少しショックを受けたような表情を見せる。
時折聞いた言葉をそのまま受け取ってしまうシエラは、実践できることなら何でも試してしまうところがある。
もちろん、耳を塞いだくらいでシエラの記憶力がよくなるわけではない。
アルナがふと、別の教科書に手を伸ばす。
「《森鼠》の正式名称は?」
「《グリーン・マウス》。森の名前はあるけど正確な住処は草原。身を隠すときに必ず森に逃げるから二つの呼ばれ方がある」
「名前どころかそこまで正確に答えられるなら、他のことも覚えられそうだけれど……」
シエラに聞けば、魔物と魔法については大体答えられる。
ただし、教えを請うと何故か擬音を駆使するために分かりにくい。
シエラが特に、表現をするということが苦手なところが大きい。
教科書通りの言葉を並べるくらいならできるが、実のところ意味がよく分かっていないこともあるくらいだ。
「何を勉強するにもまずは言葉からだ」
そう言いながら、やってきたのは本を大量に抱えたローリィだった。
ドサリとシエラの前に本を置くと、そのまま席につく。
シエラに勉強を教えるというアルナに、ローリィもついてくる形となったのだ。
それも、勉強の方も教えるのを手伝っている――シエラは普通に受け入れているが、アルナからしたら予想外だったようで、
「意外ね。ローリィがシエラに勉強を教えるのを手伝ってくれるなんて」
「……アルナお嬢様の負担を軽減するためです。こいつのためではありません」
「ローリィ、ありがと」
「お前のためじゃないと言っている!」
こいつ呼ばわりされても、シエラは特に気にもしない。
そんなシエラとローリィのやり取りを見て、アルナが確認するように言う。
「貴方達……いつから仲良くなったの?」
「なっていません! 僕はアルナお嬢様の負担を軽減したいだけですって!」
「そうかしら。何だか、少し距離が縮まったように感じるわ」
「そんなことは……」
シエラはそんなアルナの言葉を聞いて、昨日のことを思い出す。
アルナとローリィの仲を取り持つ――シエラがやろうと思っていたことだ。
「アルナ、ローリィは――」
「待て、待て!」
「むー」
シエラが話そうとしたとき、ローリィが口を塞いで邪魔をする。
焦ったような表情で、ローリィは問いかけてきた。
「まさか、僕の性別を言う気じゃないだろうな……?」
どうやら、ローリィがシエラの近くにいたのは単純にそれが心配だったらしい。
実際、いつ口を滑らせてもおかしくはないが、言わなければシエラも思い出すことはない。
シエラは首を横に振って否定する。
「ならいいが……」
「何をこそこそと話しているの」
「な、何でもありません」
「そう……? それで、シエラ。ローリィがなんですって?」
ちらりとローリィが「言うなよ」という視線を送る。
もちろんシエラは言うつもりはない。
元々言うつもりだったことは、
「ローリィはアルナともっと仲良くなりたいんだって」
「!? な、何をおかしなことを……!」
「それ、昨日の話ね」
「昨日……? お前、まさか変なことを言ったんじゃないだろうな!?」
ローリィが慌てた様子でシエラを問い詰める。
シエラは数秒考え込んでから答えた。
「言ってないよ」
「覚えてないな! その顔は!」
「! ローリィも分かるの?」
まさかのローリィもシエラの表情である程度のことは判断できるらしい。
「起伏がないから逆に分かりやすいんだ、お前は」
「そうなんだ」
「他人事みたいに言うな……。とにかく、アルナお嬢様。今の言葉はお忘れください!」
「あ、ローリィ!」
ローリィはそう言い切ると、逃げるようにその場から去ってしまう。
アルナが呼んでも、振り返ることはなかった。
「もう、何なのかしら……」
「ちょっと行ってくる」
「え、シエラまで――」
シエラの動きはアルナに止められるほど緩くはない。
その場からさっと消えるように動き始めるシエラ。
「もうっ!」という少し怒ったようなアルナの声だけ、妙に印象に残りながらもシエラはローリィの後を追った。





