113.いつでも彼女は
「やれやれ、どういう状況なんだろうねぇ」
《聖騎士》――オーゼフが遠目に森を見ながら、大きくため息をつく。
後ろに控えていた騎士達に命令を出して、森の中にいる魔物達の掃討を命令したのは先ほどのことだ。
膠着状態が続いていたのだが、先ほど森の奥から聞こえてきた轟音によって事態は大きく動く。
オーゼフの方が、フィリスの結界を破ることを諦めたのだ。
「とりあえずさ、フィリスちゃん。そろそろ結界を解いてくれねえかな。部下も森の方に行かせた――今なら話くらい、できるだろうよ。オレもいつまでもこの状況は疲れちまうんでね」
「……リーゼ様」
ちらりと、フィリスがリーゼに視線を送る。リーゼが頷いて、前に出た。
「オーゼフさん、ここにいる子――マーヤこそが、わたくしとフィリスの無実を証明してくれますわ。だから、貴方が常にこの子を守ってくれるという保障が必要なの。この子は今、暗殺者に狙われているのですから」
「……随分と穏やかじゃない話だねぇ。そこにいるカルトール家の娘さんは、たまたま巻き込まれたってところかい?」
「……巻き込まれたわけではないです。私の意思で、ここにいるんですから」
オーゼフの問いかけに、アルナははっきりとそう答える。
シエラの帰りを信じて、アルナはここで待っている。
ここからでは分からないが、あの轟音はきっとシエラが引き起こしたものだ――きっと、もうすぐ戻ってくる。そんな予感が、アルナにはあった。
森の魔物達の様子がおかしくなったのは、シエラが何かしたからだろう。リーゼとフィリスも、それに気付いている。
オーゼフもまた、リーゼの言葉を聞いて少し悩んだ様子だったが、
「つまり、オレがその子を常に守るって保証さえあれば、大人しく従ってくれるわけかい? それなら話は早い――オレも騎士としてここに来てるんだぜ。フィリスちゃんも分かってるとは思うけどよ、オレら騎士が何も話を聞かずに相手を殺すわけもねえのさ。そういうことなら、オレが一先ずその子を保護する。それは誓おう」
はっきりと、オーゼフが言う。
口約束ではあるが、オーゼフという男が他の騎士達を森へ行かせたのも、リーゼ達から話を聞くためだ。
他の騎士に聞かれないように――そういうことができる男なのだと分かる。
少なくとも、リーゼやフィリスに対して配慮しているところが見えた。
リーゼもまた、しばらく悩んだ表情を見せる。
今の状況であれば、確かにオーゼフにマーヤを引き渡すことができる。
「……それならもう一つだけ。マーヤとわたくし達は常に一緒に行動させて頂戴。それが約束できるのなら、この結界は解除しますわ」
「別に構わねえさ。離れ離れにする理由もねえしな。フィリスちゃん、頼むよ」
「……」
「フィリス、もう大丈夫ですわ」
「承知しました」
リーゼの言葉を聞いて、フィリスが地面に突き刺した剣を抜き去る――それと同時に、何かが壊れるような小さな音が聞こえた。
アルナには見えなかったが、フィリスの張っていた結界が壊れたのだろう。
「ようやくかい。フィリスちゃんも相変わらず警戒心が高いねぇ。オレも同じ聖騎士だよ?」
「聖騎士だろうと関係ありません。私はリーゼ様の命令に従うのみですから」
くるりと反転して、フィリスがリーゼの下へと近寄ると――
「そうかい――それなら、警戒心の薄い主を恨むんだね」
「――ッ!」
「フィリスッ!」
それは、一瞬の出来事だった。
わずかに早くフィリスが反応して、その攻撃を防ぐ。マーヤを狙って放たれた五本の矢。
庇うためにアルナとマーヤの前に出たフィリスの手足に、腹部を背中から打ち抜いた。
魔力で作り出された矢が、オーゼフから放たれたのだ。
フィリスがすぐに向き直って地面に剣を突き刺す。パタタ、と地面に赤い血が流れた。
「何をしているの!?」
「何をしているの、か。見ての通りだよ。その小娘を殺そうとした――けれど、中々どうして、フィリスちゃんは反応が早いなぁ」
「あなた、は……」
がくりと、フィリスがその場に膝をつく。
リーゼがすぐに、倒れそうになるフィリスを支えた。
だが、出血量が激しい――すぐにでも治療をしなければ危険だということは、アルナにも分かった。
「はっ、ふっ……アルナ、様。マーヤには、この姿を見せない、よう」
「フィリスさん……!」
「この怪我、では、結界を維持するのも長くはない。マーヤへの、魔法、も……」
まだ眠っているマーヤの心配をするフィリス。
彼女が眠っているのは、フィリスが魔法をかけていたからだった。
フィリスがそれを心配しているのは、きっとその怪我を見てマーヤの記憶がフラッシュバックすることを恐れている。
……両親を殺された時のことを、今の彼女は忘れているからだ。
アルナはマーヤを抱きかかえて、オーゼフを睨みつける。
「説明に、なっていないですよ。騎士である貴方が、どうしてフィリスさんをっ!」
「説明が必要かい? まあ、簡単な話だよ。フィリスちゃんがクロイレン家に肩入れしているように、オレも肩入れしてるところがあるってことさ」
「まさか、ロックフィールズ家……!?」
リーゼが口にしたのは、以前に王都で開いた茶会にいた一人。
メルベル・ロックフィールズという女性。その名を聞いても、オーゼフは惚けた表情を見せる。
「さてな……それについては教える必要もねえだろ。こうなっちまった以上は、回りくどいやり方はお終いさ。本来はリーゼのお嬢さんとフィリスちゃんを嵌めて終わりだったんだが……カルトール家のお嬢さんも始末できるなら一石二鳥だろうよ」
オーゼフが弓を構える。
すでに満身創痍の状態のフィリスの結界は、いつ解けてもおかしくはないだろう。
むしろ、ここまで弱っているのなら――オーゼフの攻撃だけでも壊される可能性があった。
(……こんな状況でも、私は――ううん、そうじゃない)
アルナは首を横に振り、優しくマーヤを地面へと横たわらせる。
まだ眠る彼女には、こんな状況を見せたくはない。
その様子を見て、オーゼフがまたため息をつき、
「はあ……本来ならそこの小娘をあの時殺せていれば、問題はなかったんだがな。なかなかどうして、難しいもんだよ」
「……! 貴方が、あの時……!」
リーゼの表情に怒りが満ちる。
襲い掛かってきた相手が誰なのか分かっていない――リーゼとフィリスは、マーヤを守るだけで必死だったのだから。
その場にいた一人に、オーゼフがいたのだろう。そして、言葉から察するにオーゼフが、マーヤの両親を殺したのだ。
アルナはそれを理解すると、静かに《青白い剣》を作り出して、オーゼフと向き合う。
「……ほう、そんな剣を持って、どうしたんだい。まさか、カルトール家のお嬢さんが、オレと戦おうってのか?」
「ええ、そうよ。私は貴方に勝てない――でも、ほんの少しでも時間が稼げればいい。そうすれば、きっとシエラが来てくれるから」
それは、戦いに赴いた大事な友達。結局、アルナは彼女の存在に期待するほかない――けれど、彼女がここにやってくるまでの時間なら、ほんの数秒でもアルナが稼ぐ。
フィリスの作り出した結界の限界が来たとき、アルナがその役目を背負うのだ。
「アルナさん、貴方……」
「リーゼさん、フィリスさんと、マーヤさんをお願い――って言いたいけれど、ごめんなさい。私にできるのは、本当にこれくらいだから」
身体が震える。先ほどフィリスに放った矢は、アルナは目で追うことすらできなかった。
そのレベルの相手と相対することが、アルナにできるはずもない。
けれど、そんな相手とシエラはいつも戦っている。
だからせめて――アルナも敵の前に立つことはしたいと、思うようになっていた。
「驚いたね。あんたがカルトール家のお嬢さんでなければ、惚れてたところだよ」
「私は貴方みたいな人は嫌いよ。どんな理由があったって、こんな小さな子供を殺すなんてことも、傷つけることも――絶対に許したりなんかしない」
「そうかい……それじゃあ、あんたから死のうか」
「――」
オーゼフが弓を構える。フィリスの結界が、すでに砕け始めていることに、アルナも音で気が付いた。
青白い剣を構えるが、一撃を防ぐことができないだろう。
それでも、アルナは決意に満ちた表情で、オーゼフと向き合う。
(シエラ、ごめんなさい――)
向き合ったアルナが考えたのは、そんなシエラへの気持ち。
彼女はアルナを守るために戦ってくれたのに、アルナは自らを犠牲にするようなことしか、今はできていない。明確な彼女への裏切りだと、アルナは考える。
そんなアルナの想いを打ち砕くように、《矢》は放たれた。
だが、その矢がアルナに届くことはない。
アルナの目の前を通り過ぎたのは、《赤い斬撃》。オーゼフから放たれた矢を消し去り、傷だらけの彼女はそれでも、アルナの前に《赤い剣》を持って現れた。
いつだって、そうだ。彼女は――シエラは、アルナの危機に駆けつけてくれる。
「……シエラっ!」
「ごめん、少し遅れた」
アルナが名を呼ぶと、いつもの調子でシエラが答える。
オーゼフもまた、シエラが来たことに気付いていたのか、すでに後方へと下がっていた。
「……さっき向こうでゴーレムを倒したばかりだと思ってたんだが、随分と早い到着だなぁ。シエラ・ワーカー、初めましてだけどよ、あんたはもう死にそうだな」
「わたしは死なないよ。死ぬのはあなたの方。マーヤの両親の仇は、わたしが取るから」
全てを理解しているかのように、シエラがそう言い放つ。
シエラは剣を構えて、オーゼフは弓を構える。――二人は対峙した。





