101.アルナ、ベッドにて
夜――クラスの皆が戻ってきてからも、アルナ達は極力部屋から出ないようにして、その日を過ごした。
夕食については別に部屋まで持ってきてもらい、夜まで平穏に過ごすことができている。
(けれど……)
アルナはベッドに横になったまま、ちらりと隣に視線を送る。
そこにいるのは、窓際の方を向いて眠るシエラだった。
……敵から狙われる可能性のあるのは窓際――だからこそ、シエラが選んだのは窓側のベッドだ。
本来一人で寝る用のベッドに、アルナとシエラで並ぶ形になっている。
他の組み合わせはリーゼとローリィに、フィリスとマーヤ。
ローリィとリーゼについてはお互いに顔を合わせないようにしながら、早いところ眠りについたようだった。
扉側のベッドにいるのはフィリス――久しぶりのベッドで脱力するように眠るマーヤを宥めるようにして、フィリスが小さく寝息を立てている。
(シエラも、もう寝ているのかしら)
窓の方を向いているから、シエラが寝ているかどうか分からない。
シエラの長い銀髪から、宿で使われている石鹸の香りがした。
別に――いつもなら特に気にすることはない。
隣でシエラが寝ているだけだ。特別なことなど、何もない。
ただ、こうして誰かと一緒にベッドで眠るなんて経験は、アルナにはなかった。
(緊張する……っていうわけじゃないけれど、何て言えばいいのかしら。やっぱり、距離が近いから……?)
どこか落ち着かない、そんな気持ちだった。
一人用のベッドでは、上を向いていては少しスペースを取りすぎてしまう――けれど、寝返りを打つとシエラを起こしてしまうような気もして、何となく動けないでいた。
(シエラは動きにも敏感だから、私が動くだけで起きてしまうかもしれないし……まあ、寝ているのかも分からないのだけれど)
こちらを向いていないために確認する方法がない。
けれど、シエラがアルナの近くで眠っていたことは、以前にもあった。
シエラが背を向けてくれているということは、すなわちアルナへの信頼の証明ということになるのだろう。
「……ん」
「!」
アルナが考えていると、不意にシエラの吐息を漏らすような声が耳に届く。
その後は、小さな寝息が聞こえてきた。……どうやら、眠っているようだ。
ひょっとしたら、この部屋でまだ眠りにつけていないのは、自分だけなのかもしれない――そんな気持ちになってしまう。
(……いけないわ。何があるか分からないのだし、明日に備えて早く寝ないと……)
アルナはそう考えて、シエラとは反対方向に寝返りを打とうとする――だが、そのタイミングでシエラが大きく動いた。
アルナを抱き枕にするように、シエラがアルナの方を向いて寝返りを打ったのだ。
「ちょ、シエラ……?」
「……」
突然のことでアルナは驚き、シエラの名を呼ぶ。
だが、シエラからの返答はない。ちらりとその表情を見ると、気持ちよさそうに眠りについていた。
アルナの胸元に左手を置き、シエラの足が少しだけアルナの足の上に。添い寝をするような形だ。
――すぐに動くべきだったと言えばその通りなのだが、アルナは動こうにも動けない状態になってしまう。
(色々と近い気がするわ……)
すぐ傍に、シエラの顔がある。
普段から表情に乏しいシエラも、寝ている時は無表情かと思えば、起きている時よりもどこか落ち着いていて、改めてシエラという少女の美しさが伝わってくる。
髪と同じく銀色の眉も、白い肌も――こうして間近で見る機会などそうそうない。
(シエラって、睫毛も長いのよね)
シエラの顔を見ながら、アルナはそんなことを考える。
静かに眠っているからこそ、シエラのことをよく見ることができる機会でもあった。
寝ている姿はどこから見ても、少女でしかない。
けれど、アルナ一人ではとても止めることはできないほどの、力を持っている。
実際、今日もシエラがいたからこそ――いや、今日までシエラがいてくれたから、アルナはここにいられる。いつだって、その感謝の気持ちを忘れたことはない。
(シエラがもう一回寝返りを打ってくれるまでは、このままで――)
そうアルナが思った矢先、シエラがアルナの胸元の寝間着を強く握る。
思わず、少しだけ身体が強張った。
「シ、シエラ……?」
「んん……」
起きたのかと思ったが、やはり眠ったままだ。……寝返りを打つどころか、余計にシエラに捕まってしまうアルナ。
眠くなるどころか、アルナはだんだんと目が覚めてきてしまう。
「父さん……」
(! また、お父様のことを夢に見ているのかしら)
シエラが寝ている時、よく寝言で口にすることがあった。
アルナの寝間着を掴みながら言われるのは、また複雑な気持ちでもあったが。
こうしていると、シエラの頭を撫でてやりたいという気持ちが出てくる。……そう思っても、動こうとするとシエラを起こしてしまうかもしれないという、ジレンマもある。
表にはあまり感情を出さなくても、やはり父と離れて暮らしている彼女には、寂しいという気持ちがあるのだろう。
(……私には、それが理解できる……のかしら)
そんな疑問が、アルナの中に浮かんでくる。
アルナは――父の愛情というものを、ほとんど感じたことがない。
カルトール家は魔法の名門であると同時に、王国内でも名家で知られている。
そんな家の内情が、命を狙われている娘を助けるどころか見放すような行為をしているとは、誰も思わないだろう。……同じ《王位継承権》のある家柄でも、まるで生活環境が違う。
リーゼに至っては、現在囚われの身である父を救うために行動しようとしているのだから。
(もし同じ立場だった時、私にはそれができるのかしら……)
そんな迷いが芽生えることだってある。きっと助けようとする――はっきりと、そう断言することもできない。
(だって、私は、お父様とは……)
アルナはわずかに力を込めて、拳を握る。その時、
「アルナ……?」
「! ごめんなさい。もしかして、起こしちゃった?」
「ううん、何でアルナが近くにいるのかなって」
「……一緒に寝ているからよ?」
「そうだっけ」
「何でそこを忘れているのよ」
まだ眠そうに目を細めながら、シエラが惚ける。もはや、寝ぼけていると言ってもいいだろう。
シエラが目覚めたかと思えば、目を開いていてもアルナを抱き枕にした状態は変わらない。
そのまま、アルナの方に視線を向けてくる。
「……どうかした?」
「どうもしない。ただ、アルナの顔を見てた」
シエラが特に迷うことなく、そう答える。
先ほどまで寝ていたとはいえ、シエラの顔をしっかり見えていたアルナからすれば、『見るな』ともはっきり言いにくい状況だった。今のアルナが考えていたことは、あまり良いことはでないからこそ、あまり見てほしくはなかったのだが。
「……別に、見るのは構わないのだけれど、いつもと同じでしょう?」
「うん。アルナの目って《フリージア》みたいだね」
「……フリージア?」
「寒い土地に住むドラゴン」
「ドラゴンと一緒って、褒められているのかしら……?」
アルナは思わずそんな疑問を口にしてしまう。
シエラの言うフリージアというドラゴンも、アルナは知らないのだから無理もない。
「青色……ううん、水色かな。綺麗な宝石みたい」
「そ、そう。ありがとう」
……もちろん、シエラが悪い意味で言っているとはアルナも思っていなかった。
そういうことを、面と向かってはっきり言う子だということも、アルナはよく理解している。
「うん――! アルナ、付けてくれてるんだ」
不意にシエラが何かに気付いたように言う。
丁度シエラが握っていた胸元に、シエラからもらった犬のアクセサリがあった。
壊れてしまった物を、アルナが修復したものだ。
「貴方からもらった物だもの。大切にするって言ったでしょう?」
「うん、ありがと」
「どうして貴方がお礼を言うのよ。もらったのは私なんだから」
「なんとなく?」
シエラが首をかしげながら答えた。
その言葉に、アルナはくすりと笑みを浮かべる。
いつの間にか、少し緊張していた気持ちもなくなっていた。
アルナはそっとシエラの頭を撫でて、
「遅くなる前に、もう寝ましょう。明日はどうするのか……また考えないといけないから」
「分かった。おやすみ、アルナ」
「ええ、おやすみ」
二人の少女は静かに眠りにつく。
――アルナ達の校外学習の一日目は、こうして終わりを告げた。





