第一三〇話 DIE SET DOWNなお話
「動くな、銃を捨てろ!」
青年が黒いバンダナを腕に巻いているのを見た途端、少年は短機関銃を構えて叫んでいた。そのまま引き金を引いてしまいたい衝動に駆られたが、青年の前には裕子らが立っている。もしも引き金を引く際少しでも手がぶれてしまえば、彼女たちに当たる恐れがあった。
少年の隣では佐藤も同じく銃を構えていたが、やはり撃てないらしい。一方で突然銃口を向けられたに等しい状況に陥った裕子たちは、何が起きているのかさっぱり理解できていないようだった。
「ちょ、ちょっと待って! なんで銃を向けるの、私たちは何も……」
「先生そこ退いてください! そいつを殺せません!」
「殺すって……彼が何をしたっていうの?」
そう言うと裕子は退くどころか、むしろ青年をかばうようにして少年の銃口の前に立った。なんて愚かなことを……と少年は思ったが、そもそも彼女たちがこの街に来てからまだ日は浅い。同胞団の悪行の数々を知らないのだ。
「そいつは危険なグループに所属しているんです! そいつらは自分たちが生きるためなら他の人間の命なんてこれっぽっちも顧みないし、躊躇なく捨て駒にだってする。今日だって僕らはその男の仲間に襲われたんだ!」
「何をでたらめなことを……危険人物は君たちの方じゃないか」
少年の言葉に、青年は冷静にそう吐き捨てた。
「いいですか皆さん、危険なのは彼らの方だ。あの迷彩服の男は今まで私の仲間を大勢殺して回って来た、そしてその少年も同じだ。私たちは何度も彼らと対話を試みてきましたが、それらは全て無駄だった。彼らは自分たちの私利私欲のためにあちこちで人を殺しまわっているんです、野放しにしては置けない存在なんですよ」
「でたらめはそっちだろう!」
逆にこちらを貶める言葉に激昂した少年は本気で引き金を引こうとするが、青年は巧みに裕子たちの陰に隠れて射線に身を曝すことがない。それどころか本気で青年を殺そうとしている少年の姿を見る裕子たちの目が、まるで狂人を見る目のようだった。
「とにかくいったん落ち着きましょう、もしかしてお互いに何か誤解があるのかも……」
「誤解なんてない! そいつらは死ななきゃならない連中なんですよ! 僕らが生きていくためには、そいつらを殺すしかないんだ!」
裕子たちは同胞団の青年に、この街に来てから助けられたと言っていた。だから彼を疑うことなく今まで行動を共にしていたのだし、こうやって少年が銃を突き付けても彼が危険なグループの一員であるとすら理解していない。
同胞団は今まで大勢の人々を死に追いやり、今も佐藤の仲間たちを危険な目に遭わせている。それどころか今日は偶然出会った少年に対し、突然攻撃を仕掛けてきた。だが、裕子たちはその様子を目撃していないし、少年もその証拠を持ち合わせてはいない。裕子たちを実際に同胞団による虐殺が行われた場所まで連れていくのが一番手っ取り早いのだろうが、そんな時間はない。
それに裕子はさっき、青年が仲間と連絡を取っていると言っていた。この場に留まっていては、青年の仲間であり少年たちの敵である同胞団がやってくるだろう。そうなってしまう前に、裕子たちを連れてこの場を離れたかった。
「証拠はあるの? この人が危険だっていう証拠は?」
「その腕に巻いてある黒い布がそうですよ。その布を巻いている連中は、僕がこの街にたどり着いた途端襲ってきたような奴らです」
「違う、最初に襲ってきたのは彼の方だ。彼は私の仲間たちの姿を見つけるなり、撃ってきたんだ」
青年が再び出まかせを言うが、どちらの話が事実か証明するものは何もない。彼女たちが少年と青年、どちらかを信用するかによって展開は変わってくる。たとえ事実と異なっていても、人は信用した人間の話を判断するものだ。
「あのさ、一言言わせてもらっていい? あたしたちもあんたと一か月は一緒に生活してたし、それなりにあんたのことを知ってる。あんたのことは信用したいところだけど、いきなり銃を突きつけられたんじゃ、あんたを信用できる人間かどうか疑わしく思えてくるよ。第一、あんたの話が本当だという証拠はあるの?」
「証拠は……ここにはない。だけど僕の話はすべて本当だ、信じてくれ」
「ならこの人の話も、あんたの話もどっちが本当かわからないじゃない。とにかく、まずは落ち着いて話を聞かせて。だから銃を下ろして」
亜樹の言葉に少年はどうすべきか迷ったが、結局銃は下ろさなかった。亜樹たちに自分のことを信用して欲しいという気持ちはあったが、それよりも同胞団の一員である青年への警戒感の方が上回った。銃を下ろした瞬間、彼が撃ってくることを少年は恐れていた。
「ダメだ。そいつは信用できない」
「だったらあたしたちもあんたのことは信用できないよ。自分のことを信用しろって言うくせに、他の人は信用しない人はね」
「……」
「それに今まであんたがやってきたことを見たり聞いたりしていると、どうしてもあんたよりも彼の話が本当なんじゃないかと思ってしまう。あんたは彼のいるグループは私利私欲で人を殺して回ってるって言ってたけど、それはあんたも同じじゃない。あんただって今まで散々、自分が生き残るために他の人たちを殺してきたんだよね? それと何が変わらないの?」
少年は何も言い返せなかった。「生きるためならば他の人間の命なんて顧みない」「捨て駒にする」、それらは全て少年が亜樹に言ったことだった。誰も信用できないし、頼れない。だったら他の全てを利用して、全てに対して容赦のない態度で生きていかなければ、この世界では生き残れない。少年は亜樹に何度もそう語ったし、その時は本気でそう考えていた。
そしてそれらの言葉がすべて、今になって帰ってくるとは。彼女らからしてみれば少年が青年のことをいくら危険な存在だと主張したところで、少年もそれと同じかそれ以上に危険な存在でしかないのだ。単に彼女たちに対しては害をもたらさなかったから、少年と敵対していないに過ぎない。
亜樹になんと言い返すか迷う少年をあざ笑うかのように、青年が口角を吊り上げた。そして腰にぶら下げたホルスターに手を当て、拳銃を引き抜く。
それら一連の動作は、亜樹たちからは裕子の陰となる形で見えなかったのだろう。しかし青年と向き合う少年と佐藤は、彼が拳銃を手にするさまを目の当たりにしていた。
撃たれる前に撃つ。その本能に従い、少年は短機関銃の銃口を青年に向ける。少年との対話に熱中しているせいか、裕子はいつの間にか青年から離れている。裕子の身体の陰からわずかにではあるが、青年の上半身が覗いていた。
今の自分なら当てられる。一番面積が広い胴体に照準を合わせ、少年が引き金を引こうとしたその瞬間、青年は予想外の行動に出た。彼の前に立っていた裕子の手を突然掴むと、自分の盾にするかのように手元へ引き寄せたのだ。
「――――――!」
銃口の先には裕子の身体。少年はとっさに撃つのを止めようとしたが、既に人差し指は引き金を引いてしまっていた。銃火が夜の街を明るく照らし出し、裕子の腹に赤い血の華が咲く様子がはっきりと見えた。
撃ってしまった。敵ではない彼女を。そんな言葉と共に「自分のせいじゃない」「青年が盾にしたからだ」という言い訳が途端に頭の中を駆け巡る。しかし亜樹たちの悲鳴と、「撃ってきたぞ、皆隠れるんだ!」という青年の叫び声で、途端に少年は我に返った。
泣きそうな顔で腹から血を流す裕子に駆け寄る少女がいる一方で、少年に化け物を見るかのような目を向けてくる者もいる。亜樹だ。他にも目の前で起きたことが理解できていないのか、棒立ちのままの少女もいる。
「違う、僕のせいじゃ……」
そう言おうとした途端、銃声と共に頭上を何か熱いものが掠めて飛んで行った。いち早くコンビニの柱の陰に隠れた青年が、手にした拳銃を撃ってきた。
その銃口が少年をまっすぐ捉えていたが、身体が動かなかった。裕子を撃ってしまったその事実に、まだ頭が現実を理解できていない。が、青年の拳銃が火を噴く直前、佐藤がタックルを仕掛けてきて少年は地面に押し倒された。
「バカ野郎、死にたいのか……!」
そう言って、佐藤はカービン銃を構えた。が、射線上には裕子を助けようとする少女たちの姿がある。舌打ちをした佐藤は銃口を下ろし、地面に突っ伏したままの少年を近くの車の陰まで引っ張っていった。
「皆気を付けて! 彼らは敵だ、早く隠れるんだ!」
まるで正義の味方のような口調で、青年がそう叫んで発砲する。少年と佐藤が隠れた車のボンネットに火花が散り、佐藤がわずかに身を乗り出して応射する。コンクリート製の柱の表面が砕け、破片が飛び散ったが、青年は素早く身を隠して無事なようだった。
「なんで裕子先生を撃ったのよ! なんで!? あんたはまだまともな人間だって信じてたのに!」
亜樹の叫び声が響き渡る。少女たちは轟く銃声に身を竦ませながらも、どうにかして負傷した裕子を物陰に運び込もうとしていた。その彼女たちが邪魔で、青年を正確に狙えない。というよりも、青年が少女たちの陰に隠れて発砲しているような形だった。
「違う、そいつが先生を盾にしたんだ! 先生を撃つつもりはなかった!」
「信じられない! あんたいきなりあたしたちに銃を向けたでしょ、撃つつもりがないなんて嘘言わないでよ!」
なおも亜樹は叫んでいる。その一方で、どこからか車のエンジン音が聞こえてきていた。青年が呼んだという、同胞団の仲間たちがやって来たのだろう。ここに留まって撃ち合いを続けていれば青年は殺せるかもしれないが、後からやってくる同胞団とも戦う羽目になる。ここはさっさと後退すべきところなのだが、少年の足は動かなかった。
「あんたいつも言ってたよね。銃口を向けられたらそいつは敵だと思えって。銃口を向けたってことは、そいつは自分を殺そうとしているって。あんたを信じてたあたしたちが馬鹿だった、あんたは敵よ!」
亜樹のその声と共に、聞こえてくる銃声が増えた。亜樹たちも青年と共に、少年と佐藤に向かって発砲を始めたのだ。二人が隠れていた放置車の窓ガラスが粉々に砕け、銃弾が車体に突き刺さる金属音が鳴り響く。
「おい、何ボケっとしてるんだ! ここを離れるぞ!」
「でも……」
「残念だが、今あの子たちは同胞団の男の言うことを信じている。今は何をやったところで誤解を解くことは出来ないだろう。この場に残ってあの子たちと戦うか、一度退いて対策を考えるか、どっちがいい?」
今や亜樹たちも少年と佐藤に向けて容赦のない銃撃を加えていた。撃ってきた時点で、彼女たちを敵と認めて全員殺す選択肢もある。が、少年はその選択をすることが出来なかった。
こうなってしまったのは、半分くらいは少年の責任だった。少年の今までの言動と行動で、亜樹たちは少年を敵だと認定してしまったのだ。彼女たちからしてみれば、いきなり少年が銃口を向けて青年が危険人物だと証拠もなく喚いた挙句、突然裕子を撃ったようにしか見えない。青年が裕子を盾にする様子を、誰も目撃していないからだ。
今や亜樹たちは少年の敵となってしまった。今までの少年ならば、たとえ自分に原因があったのだとしても、自分と敵対する人間は皆殺すことを選んでいただろう。だが今は、そうすることが出来ない。亜樹たちに銃口を向けても、引き金は引けなかった。
ヘッドライトを灯したミニバンが二台、暗闇を切り裂きながら道路を走ってきた。サンルーフから身を乗り出した人影の手元から銃火が迸り、少年たちのすぐ脇を銃弾が掠める。青年がミニバンに向かって発砲しないところを見ると、二台のミニバンに乗っているのは青年が呼んだ同胞団の仲間たちなのだろう。
屋根から身を乗り出した同胞団の男が自動小銃を連射し、少年と佐藤も応戦する。増援が来てしまった以上、戦っていても勝ち目は薄い。それに先ほどから銃声を派手に鳴らしているおかげで、感染者にも存在を知られてしまったようだ。廃墟の街のところどころで感染者の咆哮が聞こえてくる。今はまだ姿が見えないが、じきに少年たちに襲い掛かってくるだろう。
出来ることならば亜樹たちの誤解を解き、負傷した裕子に謝罪したかった。だが今の状況はそれを許さない。ミニバンから降りた同胞団員たちが少年たちの動きを銃撃で封じながら、血まみれの裕子と亜樹たちを車に誘導している。彼女たちがこれからどこへ連れていかれるのかはわからないが、きっと少年のことは敵だと認定したままだろう。そして少年と敵対する同胞団は、彼女たちにとっては正義の味方に違いない。
今は逃げるしかなかった。少年と佐藤は同胞団員たちに牽制の銃弾を放ちながら、自分たちが乗ってきたSUVを目指した。
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