第一二九話 いいひとの話
武器と弾薬はある程度確保できた。が、それだけだった。運動公園に展開していた部隊がどこへ向かったのかその手がかりを見つけることは出来ず、どこかに安全な場所があるという情報も見当たらなかった。
運動公園の管理事務所には避難活動と感染者の排除を担当していた自衛隊の司令部が置かれていたが、残っていた通信機器や重要な書類といったものは軒並み破壊されるか、焼却処分されてしまっていた。たとえ非常時でも――――――いや、非常時だからこそ機密保持が徹底されていたのだろう。テニスコートに置き去りにされていたヘリはそこまで手が回らなかったのか破壊の跡が見当たらなかったが、搭載されていた無線機は使用不能な状態だった。バッテリーが上がっているのか故障しているのか、ヘリのエンジンが停止したままのせいなのかはわからないが、とにかく使うことが出来ない。もしもヘリの無線機が生きていたら、どこかに生存者がいないかを確認できたのだが。
「ないものねだりをしても仕方がない。武器を見つけられただけでももうけもんだ」
運動公園を離れ、セーフハウスへ戻る途中の車内で、ハンドルを握る佐藤が言った。
「武器って言っても、そんなに見つけられなかったじゃないですか。弾薬だってあまりない」
一方後部座席に座る少年は、背もたれを前に倒して広げた車内空間の中で、回収してきた武器を弄り回すことに余念がない。結局運動公園に集積してあったらしい武器弾薬はほとんどが撤収時に持ち去られたらしく、残っていたのは取りこぼされたらしいそれほど多くはない数の弾薬のみだった。屋外に遺棄されていたいくつかの死体は銃を始めとした装備品を身に着けたままだったが、一年近く風雨に曝された武器がまともに動くとは思えなかった。
「あったのはせいぜいマシンガンが二丁と、あとは使えない無反動砲の弾。それ以外の武器は今ある奴と大差ないですね」
そう言って少年は荷台から一丁の機関銃を手に取る。5.56ミリ機関銃。人間相手ならば200発の銃弾を絶え間なく叩き込む制圧射撃で敵をけん制できるし、殺到してくる感染者には弾幕を張って撃退できる。見つけられたのはたったの二丁だが、せいぜい30発しか装填できない自動小銃に比べれば圧倒的な火力を持っていると言えた。重くて嵩張るから、振り回すのには向いていないが。
「撃てもしない砲弾なんか持って来たって、何の役に立つんですか?」
少年は機関銃をしばらく眺めた後、荷台に戻す。代わりに視線を、荷台の隅に転がっている2リットルペットボトルサイズの円筒を二つつなげたケースに向けた。そのケースの中には、自衛隊が陣地や装甲車両を攻撃する際に使用する、無反動砲の砲弾が収まっている。
砲弾は自衛隊が物資集積所として使っていたらしい建物で見つけたが、肝心の砲身は撤収の際に持ち去られたのか見当たらなかった。装甲車両を木っ端微塵に粉砕できる無反動砲とはいえ、撃てなければ何の意味もない。持って帰る意味はないと感じたが、佐藤はそうでもないようだった。
「使い道はいろいろある。無線機と組み合わせれば遠隔操作で起爆できる即席爆破装置(IED)になるし、ワイヤーを使ったトラップにも使える。まあ、いろいろと手を加える必要はあるが」
特殊部隊の隊員である佐藤にとっては、いくらでも使い道があるのだろう。しかしワイヤーや無線機と組み合わせるとなると、攻撃ではなく防御や足止めくらいにしか使えない。積極的な攻勢に出る時には、あまり役が立たないだろう。
普段は街を回って物資を収集しつつ、感染者の排除や同胞団の情報収集を行うことが日課だ。拾ってきた無反動砲弾をトラップとして利用する場合、生活拠点の防衛には十分役立つだろう。しかしいずれは同胞団とも本格的に一戦交えなければならない。その時にロケットランチャーなりグレネードランチャーなり、火力の高い武器を見つけられれば良かったのだが。
「いずれにせよ、俺たちと同胞団じゃ戦える人数も銃口の数も違う。正面切って戦いを挑むことは少ないはずだ」
「でも、いつかは正面から戦うことになるかもしれませんよ」
「そうならないようにうまく立ち回らなきゃならん」
少年もそこそこ修羅場を潜り抜けてきたし、人間相手に何度も戦ってきた経験もある。しかし戦闘のプロである佐藤がそう言うのであれば、同胞団との正面切った戦闘はなるべく避けるべきなのだろう。
少年はこれまでに二度、同胞団と戦った。どちらも一対多数の状況で、少年は同胞団の連中を退けることができた。しかし勝てたのはどちらも偶然が作用していて、運が良かったからだ。もしも正面切って同胞団の連中と銃撃戦でも繰り広げたら、はっきり言って勝てる見込みはない。
「装備は貧弱でも、立ち回り次第では上手くやれるはずだ。幸い、同胞団の連中は実力はあるとはいえ元は素人だ。銃を持って粋がってるだけの連中に……」
そこで急に、佐藤がブレーキを踏んだ。余りにも急なブレーキに、姿勢を崩した少年はとっさに助手席の背もたれにしがみつく。
「1時方向、5人」
最低限の情報だが、少年には佐藤が何を言っているのかすぐにわかった。車の進行方向の斜め右に、5人人影が見えたということだ。しばらく生活していれば、相手が何を言いたいのかくらいはわかってくる。
佐藤が車を停めたのは、その人影に発見されないためだろう。このSUVはモーターによる電動走行も可能で、ガソリン車に比べて静粛性ははるかに高い。それでも動くもの一つない街中を自動車が走っていたらいくら何でも目立つし、近くを通りかかればさすがに音も聞こえる。
少年も暗視装置を装着し、佐藤が示した方向を見る。コンビニらしき建物の前で、確かに人影が5つ蠢いていた。動きから見て感染者ではない。それが同胞団の連中なのか、それとも全く関係のない生存者たちなのかは、さすがに判断しかねるが。
「どうします、迂回しますか?」
「いや、接触を図ってみよう。あいつらが何者なのか確認しておきたい。それにもしも同胞団と関係のない人たちなら、同胞団に取り込まれる前に保護しておきたいからな」
同胞団は生存者たちを取り込むことで成長してきた組織だ。生存者の中でも強い者だけを求めるのが同胞団だが、それでもそのメンバーが増えてしまう事態だけは避けたい。もしも同胞団が他の生存者と接触したら、使えそうな人間だけを引き抜いてあとは殺すか、そうでなくてもさんざん利用した挙句に死ぬ危険が高い仕事を押し付ける奴隷として扱うだろう。
「一応、銃は持っとけ。ただし俺が撃っていいと言うまでか、撃たれるまでは撃つなよ」
「わかってますよ」
少年は座席に転がっていた短機関銃を手に取り、コッキングハンドルを引いて初弾を装填した。佐藤は静かにドアを開け、カービン銃を構えて周囲を警戒する。少年も車から降り、周囲を見回した。前方にいる人影以外、暗視装置の緑がかった視界に映る者はいない。
何かあった際すぐに脱出できるよう、車のドアは開けたまま二人は前方の人影へと近づいていく。少年と佐藤は暗視装置を身に着けているから誰か外にいることがわかったが、5人組はそうでもないらしい。銃こそ持っているものの、動きが素人同然だった。コンビニの中にいる誰かを待っているようで、周囲を見回してはいるが、今にも誰かに襲われるかもしれないと身構えている気配が全く感じられない。
どうやらその5人組は女性のようだった。佐藤は少年に銃を下ろすようハンドシグナルを送り、自らもカービン銃から手を放す。代わりにフラッシュライトを握ると、姿勢を低くしていた佐藤は立ち上がった。一方少年は生存者たちが発砲してきた場合に備えて、彼らの見えない位置でいつでも撃てる姿勢を整えた。
佐藤は大きく息を吸うと、「誰だ!」と呼びかけると共にフラッシュライトを点灯した。
「そこで何をしている、ここは危険だ!」
それほど大きくはないが、しかしはっきりとした声で佐藤はそう言い放った。一方、突然ライトで照らされた5つの人影は、佐藤の存在を全く完治していなかったのか小さな悲鳴を上げた。何人かが銃を構えかけ、少年も万一の事態に備えて短機関銃を構えようとする。しかし5人組の中の一人が、仲間が銃を構えようとするのを静止していた。
「待って、撃っちゃだめよ!」
少年の位置からでは生存者たちの顔ははっきりと見えなかったが、それでも声だけは聞こえた。若い女の声だが、少年はその声にどこか聞き覚えがあった。暗視装置越しに見える人影のシルエットといい、今の声といい、少年はその人物にどこかで会っていると直感した。
「もしかして、坂口先生ですか?」
女性たちは突然立ち上がった少年にぎょっとしたようで、さらに暗視装置を身に着けているせいか誰かわからないらしい。微かに困惑の気配を見せる佐藤を無視して暗視装置を外すと、先ほど発言した女性が驚きの声を上げた。
「あなたまさか……」
少年の名前を呼んだ20代前半の女性には、やはり見覚えがあった。つい数か月前まで行動を共にしていて、少年が衝動的に飛び出してきてしまった学校で生徒たちを守っていた若い教師。坂口裕子の姿がそこにはあった。
よくよく見れば、一緒にいる他の4人も彼女の教え子であり、少年とも関わりのあった面子ばかりだった。少年と同い年で、人里離れた女子高に隠れ住んでいた生徒たち。
「あんた、なんでここに……」
驚きを隠せずそう言ったのは、少年に「生きていて楽しいのか」と問うた亜樹だった。その隣にいるのは、少年のことが好きだと告白してきた礼だろう。そもそも少年が安全だった女学院から逃げ出してきた理由の一つが彼女の告白であるということもあって、少年は何だか気まずい思いをした。一方の礼はそんなこと忘れたのか、それとも気にしていないのか、少し驚いた顔を見せるだけだった
「先生、なんでここに……」
「君こそどうして。というより、ケガしてるじゃない!」
「なんだ、知り合いか?」
佐藤は片手をホルスターの上にさりげなく置きつつ、少年に尋ねた。
「前にお世話になった人たちです。でもずいぶん前に、ここから遠い場所で別れた。とりあえず、僕が知っている限りじゃ人畜無害な人たちですよ」
「みたいだな」
佐藤が一同を見回し、そう呟く。なんで遥か西で別れたはずの裕子たちがここにいるのか。この数か月何をやっていたのか。他の連中はどうしているのか。聞きたいことはたくさんある。しかし裕子が口を開く方が早かった。
「あの、そっちの男性は?」
佐藤は少年が裕子たちと別れてから出会った人物であるため、裕子が知っていないのは当然だった。
「この人は佐藤さん、自衛隊員です。この街に来た時に助けてもらって、それから行動を共にしています」
「そうなの、私たちもこの街に来てから他の人に助けてもらってね。今は彼に行動を共にしてもらってるわ」
「彼? 誰です? というか何でここにいるんですか? 学院はどうなったんです?」
裕子の語るところによると、彼女たち一行がこの街に来たのはつい最近のことだそうだ。
少年が学院を飛び出して行った後、彼女たちは少年を探すか否かで迷ったらしい。が、出て行くと言った者を無理に連れ帰したところでどちらも良いことにはならないだろうという判断から、少年の捜索を諦めそれまで通り学院でひっそりと暮らす生活を続けたそうだ。
銃はあったし、少年やミリタリーオタクの二年生である葵から銃の使い方を教わったおかげで、少年がいなくなった後も学院の安全を保ち続けることが出来ていた。しかし数週間前になって学院がついに感染者の群れに見つかってしまい、彼女たちは逃げ出すことを選んだのだという。
「戦っても勝ち目はなさそうだったし、食料も少なくなってきてたからね。皆を車に乗せて、必要な物を積んで大急ぎで逃げ出したの」
幸い早期に脱出の決断を下したおかげか、生き残っていた生徒たちに死者は出なかった。三台の車に分乗した裕子たちはひたすら東を目指し、そしてこの街に辿り着いた。
「何で東を目指したんですか?」
「仮にも東京は1000万都市でしょう? 他と比べたら生きている人も多いかもしれないし、それに東京出身の子も多いからね。危険は承知しているけど、彼女たちの家族を探してあげたいの」
「この惨状を見てもまだ探す気か」という言葉が喉元まで出かかったが、少年は何も言わなかった。自分の安全だけを考えて何もしてこなかった少年よりも、自分の命を危険に晒してでも生徒のために行動している裕子の方が立派であることくらいは自覚していた。
「それにしても、出て行ったあんたとこんな場所で出会うなんてね。世界って意外と狭いのね」
「世界は言い過ぎだ、せめて日本だろう。だけど亜樹の言う通り、こんな場所で出会うなんてな」
大勢の人が死に、道路もあちこちで寸断され、危険な感染者が蠢く日本で、同じ人間と離れた場所で再会できる可能性はどれだけあるだろうか。たぶん宝くじに当たるよりかは少し高いくらいの確率しかないだろう。
「それで、先生たちを助けてくれたって男の人はどこに?」
「トイレに行くって、今はこのコンビニの中に。彼に仲間の人を呼んでもらったから、これから合流する予定よ。無線機の電波が届かないから、他の子は置いて私たちだけここまで来たの」
「その人、信用できるんですか?」
「出来ると思うし、したいわ。少なくとも悪い人じゃないと思うし、もしも何か変だと感じたらすぐに逃げる予定だから大丈夫」
本当に大丈夫なのかと思ったが、裕子たちも少年が出会ったばかりの頃の能天気な彼女たちのままではないのだろう。この数か月様々なことを経験しただろうし、少年と一緒にいた時にだって他者の悪意や殺意というものに晒されたこともある。簡単に人を信用してはいけないということを、身を以て理解したはずだ。
「まあ、先生がそう言うならたぶん大丈夫なんでしょうが」
少年がそこまで言った時、「すいません、お待たせしました」と、コンビニの中から男の声が聞こえた。今の声の主が、裕子たちを助けたとかいう男だろう。
すぐに建物の中から、一人の若い男が顔を覗かせた。歳は20代前半といったところだろうか。俳優やアイドルのように整った顔に、すらっと高い身長。声もなかなかいい。平和な時代だったらさぞモテただろう。中々の好青年っぷりだった。青年はいつの間にか現れていた少年と佐藤の姿にさほど驚く様子を見せることもなく、肝も座っているのだろうなと少年は思った。
「あれ、そちらのお二人は?」
「あの子は昔私たちを助けてくれた子なの。それで、そっちがその子の命の恩人さん」
裕子が親しげに青年と話す。お似合いのカップルだな、と少年は思い、佐藤と顔を見合わせた。人畜無害そうな爽やかイケメンがどうやって生き残って来たのか、不思議なくらいだった。
「佐藤さん、どうします? 僕らも一緒に行きますか?」
「俺たちは―――――――」
そこで佐藤の目がすっと細まり、手にしたカービンの引き金に指がかかる。何事かと少年が佐藤の視線を追うと、その先には青年の姿があった。
先ほどコンビニから出てきた時には死角になっていて見えなかったが、青年は左の二の腕に何かを巻いていた。この街を包む暗闇と同じ、真っ黒な色のバンダナ。
今日の午前中に避難所の小学校で戦った同胞団の構成員がそうであったように、同胞団のメンバーは皆自分たちの所属を示すために黒い布を身体のどこかに巻いている。今まで出会ってきた同胞団の連中に、例外はない。
そして今、目の前にいる青年は腕に黒いバンダナを巻いている。少年は青年と彼が呼んだという仲間の正体に気づいた瞬間、手にした短機関銃の銃口を青年に向けていた。
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