僕とウチの関西弁
関西を捨てて、関東に行ってしまった好きな人を追いかけた少年――西ヶ鬼大河。
好きな人と再会を果たすも、彼女は標準語を話し、料理の味付けは濃くなっていた。
関西弁を話す彼女はもういない。
それでも大河は、彼女の傍にいることを決心する。
好きな人と一緒にいる時間は幸せで。
けれど、馴染みのない関東の暮らしにストレスが溜まりもして、大河を苦しめる。
その愛を伝えるのは標準語か?
あるいは関西弁か?
僕だと子供っぽいと思い、俺と言うようになった少年と。
ウチと言わなくなった彼女。
二人が結ばれるまでの、焦れったい物語。
関東に行こうとした。
国境閉鎖中なので、密入国専門の業者が用意した小舟で。
なのに今は、真っ暗な海に放り出されている。
小舟から落ちたのだ。
ライフジャケットのおかげで溺れはしないけど、夜の海に体温が奪われていく。
乗っていた小舟が戻ってくる気配はない。
警備船に追われているか、あるいは捕まったか。
どっちにしたって、俺はここで死ぬ。
あの人に再会もできず。
好きだと告げることもなく。
16年が終わる――
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空腹で目が覚めた。
天井の電球が眩しい。
起き上がってみると、見知らぬ部屋で寝ていたのだと気づく。
家具の色合いとか、ベッドに染み付いた匂いに覚えがあって、あの人の部屋に似ているなと思った。
だからここは女性が住んでいる部屋なのだろう。
シャワーの音が聞こえるので部屋主は入浴中……
9才のときから初恋をこじらせた俺は一途に生きてきたわけで、異性交遊の経験は0だ。そんな俺にとってこの状況は刺激が強い。おばさん、あるいは綺麗じゃない可能性だってあるわけだけど、それでも男子高校生からすればこのシチュエーションは妄想が膨らむ。
落ち着け、俺には好きな人がいるじゃないか。
体が熱っぽいのも、海に放り出されたせいだ。
それに、相手が何者かもわかっていない。
ここがどこか、ベッドに寝かされていた理由、部屋主は何者か、色々と確認しないと――ドアの開く音がした。
ドライヤーの乾いた音が数分続いたあと、
「体重、増えてる。パジャマを脱いだら、変わらないか……」
カーテンのスライド音が聞こえ、ボタンをかけ間違えたパジャマ姿の部屋主登場。
俺に気づかず、冷蔵庫を開けた部屋主は牛乳パックに口をつける。
好きな人も風呂上がりは牛乳を飲んでいた。
というか、牛乳パックに口をつけてる人物こそが好きな人だった。
「チヅル!?」
名前を呼ばれた彼女は、牛乳パックに口をつけたまま振り返る。
すっぴんを疑うほど美人で、お姉さんぶっていた彼女はお姉さんを通り越して大人な女性になっていた。俺はまだまだガキなのに。
「俺や俺! 家が隣やった西ヶ鬼。16になったけど、ほらっ」
チヅルがくれたヘアピンを見せようとして、前髪に触れる。髪を何度かきわけようと、指先はヘアピンを見つけられなかった。
ベッドに落ちてないか探してみるけれど、ない。
「嘘やろ……」
船に乗っていたときはちゃんと髪を留めていてくれた。もしかすると、海に落ちたときの衝撃で取れたのかも。
もらってから一度もなくさなかったのに。
「チヅルがくれたヘアピン、なくした。ごめん」
チヅルは凄い剣幕で近寄ってくると、空いている手で俺の口を塞いだ。そして、耳元でささやく。
「標準語で話して。今の関東は関西弁禁止だから」
頷くと、チヅルの手から解放される。
牛乳パックを近くのテーブルに置いた彼女が、優しく抱きしめてくれた。
「大河が無事だったから許す」
「覚えててくれたんダ」
「お姉ちゃんだから」
チヅルの背中に手を伸ばして、ぎゅっと抱き返した。お風呂上がりの彼女は温かくて、シャンプーの良い匂いがして、ふと、小学校低学年のとき一緒に風呂に入ったことを思い出す。チヅルの裸が脳裏をよぎった。発育途中だった裸が。
けれど、今触れているチヅルの体はすっかり大人な女性のもので、そう思うとドキドキしてしまう。
息づかいや手つきはいやらしくないか。
顔は真っ赤じゃないか。
体臭は大丈夫だろうか。
チヅルに抱き締められて嬉しいのに、不安がどんどんこみ上がっていく。
「そうだ。喉渇いてない?」
「渇いてる」
チヅルの体が離れる。
「飲みかけだけど、牛乳いる?」
「いるいる!」
牛乳パックを受け取った。
パックの表面はひんやりとしていて、熱っぽい頬にあてたくなる。けれど、今は間接キスが先だ。
喉の渇きを忘れて、牛乳パックを口にす――
「よく考えたら、丸二日も寝てたのに牛乳はダメだよね」
ということで牛乳が没収された。落胆していると、代わりに白湯が用意された。肩まで伸びた茶髪を手でかきわけながら、チヅルは白湯に息を吹きかける。
「俺、二日も寝てたん、デスカ」
関西弁を喋らないように意識すると、イントネーションがどうしても狂う。
「もう爆睡」
「チヅルの家になんでおるん――じゃなくて、いるん、デスカ」
「密入国船を待ってたら、意識を失った大河が運ばれてきて、闇医者に診てもらったあとは、知り合いってことで私の家で預かることになったわけ。にしても、漁船を警備船と間違えないでほしいよね。そのせいで大河が死にかけたんだから」
誰かが警備船と叫んだのを合図に船がスピードを急に上げて、それで振り落とされたのを覚えてる。死にかけたけど、おかげでチヅルに会えたと思うと素直に怒れない。
「船を待ってたのはなんで?」
「密入国して来た人の生活をサポートしてるの。関西だとエスカレーターは右寄りで、関東は左寄り。だからこっちで右寄りに乗って、関西出身だとばれることもあるから、サポートが必要なのよ。生活スタイルを変えるのって大変だから、ずっと付き添う形でね」
チヅルは関東でも人の面倒を見ているらしい。
外見が変わってるし、関西弁も話さないけど、性格は関西にいたときのままだ。
変わってないところを見つけて、少しだけど安心した。
「今度は私が質問する番。なんで来ちゃったの?」
「5年まえにチヅルが出てってから、いつか追いかけようと思ってた。お金を貯めたら行こうって、大きくなったら行こうって。国境の行き来も自由だったからいつでも行けると思ってた。けど、国境が閉鎖されて、それで後悔して、行くのを決心した――チヅルが俺のことを覚えてなかったとしても、会いたかったから」
ゆっくりと、標準語を意識して言葉を口にした。白湯を飲んだばかりなのに、緊張で喉がまた渇く。
「そっかそっか。なんか複雑だね、会いに来てくれて嬉しいし、私のせいで危ない目に会わせちゃったし」
と言いながら、チヅルの顔は嬉しそうに微笑んでいた。チヅルに会えて、話して、嬉しそうなのを見ると、それだけで今まで物足りなかった心が満たされる。つい満足してしまう。
だから、告白は後回しにした。
ただ、これだけは確認しておきたい。
「その、俺を家にあげて大丈夫? 誤解とかされたりとか……」
「誰に?」
「……彼氏」
「いないから平気平気」
「ほんま――じゃない。本当?」
「残念ながら本当です」
「チヅルを放っとくなんて、関東の男は見る目がないなぁ!」
「標準語」
彼氏がいないことが嬉しくて、関西弁に戻ってしまった。
「だから泊まるところは心配しなくても良いよ。関東にいるあいだは、私が面倒を見てあげるから。自分の部屋だと思ってくつろいでも良し!」
「本当に住んでも良いの?」
「もちろん! 大河は良い子だし、一人にするほうが心配だからね」
チヅルとの同棲。小学生のときにお泊まりしたことがあるけど、あのときはチヅルの両親がいた。けれど今は二人だけ。
しかも夜中で、チヅルは風呂上がり。
男子高校生には刺激が強すぎる。
でも、意識しているのは俺だけみたいで、チヅルは気にしてる素振りがない。やっぱり、6つも年が離れていると、俺は子供にしか見えないのだろうか。
そんなことを思っていたら、お腹が鳴った。
チヅルのまえなのに……
「少し待っててね」
パジャマ姿でキッチンに立ったチヅルを、静かに見つめる。
小学生のとき、チヅルの家に泊まった日の深夜もチヅルはパジャマ姿でキッチンに立ち、こっそり夜食を作ってくれた。昔食べた味を思い出していると、チヅルが料理を運んでくる。
「はい、たぬきうどん」
「たぬき? 天かすうどんじゃなくて?」
「こっちだと、たぬきうどんなんだよ」
納得がいかないものの、チヅルが作ってくれたので冷めないうちに食べる。ずるずると啜ったうどんは、知っている味と違った。
だしが濃くて、いわゆる関東の味付けだ。
関西にいたときのチヅルは、味が濃いのを嫌っていたのに。
「美味しい?」
「……うまい」
チヅルの性格は今も昔も変わらない。けれど、些細なところで変わっているところもあった。
これから同棲するうえで、変わってしまったチヅルの一面を知っていくことになるのだろうか。
関東に染まった彼女を好きでいられるだろうか。
年が6つ離れていようと。
関東と関西が分断国家であろうと。
国境が閉鎖されようと。
チヅルを好きな気持ちは揺らがないと信じていた。けれど、味付けが変わっただけの些細なことで不安がこんなにも募るなんて思いもしなかった。
それでも、チヅルの憧れた関東と暮らしを受け入れよう。
チヅルがいればきっと堪えられる。
それが恋だと思うから。
続く





